90. 英雄嫌い
「トール・エインズ?誰だ、それは」
「元騎士見習いです。一応、俺の元同期にあたります」
その言葉に、ヴィンセントの目がすっと細くなった。
「詳しく」
「はい。俺と同じく、魔王復活の年に騎士団に入団した奴です。魔物狩りの成績だけはいい奴でした。まあ、それ以外はからっきしで、魔王討伐後の人員整理で見習いをクビになるほどの実力しかありませんでしたが」
エヴァンはふっと鼻で笑いながら答える。
「そうか。なぜ、門番に情報を伝えた人物がトール・エインズだと思った?茶髪茶眼の少年などたくさんいるだろう」
もっともな質問をするヴィンセント。
「見たんです。実際にあいつを」
エヴァンはきっぱりと言った。
「反逆者は一人ではありませんでした。はじめは誰といるのかわからなかったのですが、俺たちがやられた後、そいつは隠れていた路地から出てきました。フードを被っていましたが、一瞬、顔が見えました。あれは確実に、トール・エインズです。声もあいつそっくりでした」
「なるほどな。それならばその人物は、トール・エインズの可能性が高いな。…にわかには信じがたいが」
他の騎士たちも同様のことを思っているようだった。誰もが微妙な表情を浮かべていた。
重くなった空気を軽くするかのように、ヴィンセントは言った。
「ファーガス、貴重な情報感謝する」
「いえ、お役に立てれば光栄です」
エヴァンはぺこりとお辞儀した。
「それで、アーサー・ラングレットとトール・エインズは南門から出ていったのか?」
ヴィンセントは隊長に尋ねる。
「はい。おそらく、南に向かったかと」
「『災いの森』、か?」
「はい。あの情報は教会から内密に共有されたもので、まだ表に出しておりませんので。知らずにあの森まで進んだかと」
「運が味方したな。我々が急ぎ追わなくてもよくなった。今回ばかりは、取り逃がしたこと自体は不問にしてやる」
「寛大な処置、感謝いたします」
隊長は深々と頭を下げた。
「アーサー・ラングレットが現れたというのは、誰が知っているんだ」
「我々と南門の門番、教会の神官たちです。ですが、どこまで広まっているかまでは…」
「わかった。レオナルド、頼む」
「はい」
レオナルドは懐から杖を取り出すと、呪文を唱えた。
「"へラルド"」
次の瞬間、杖先からぱっと光が放たれ、上空に向かって消えた。
「今のは…?」
隊長はおそるおそる尋ねる。
「箝口令を出させた。よく聞け。おまえたちは、アーサー・ラングレットには出会わなかった。それゆえに、トール・エインズがアーサー・ラングレットとともにいたことも知らない。いいか」
ヴィンセントが言い放つ。騎士たちに向けられた視線は鋭かった。騎士たちはぶるりと震える。
「…なぜですか」
エヴァンがぼそりと言う。その声は、不満げだった。
そんなエヴァンを、レオナルドがすっと睨む。笑顔なだけに余計に恐怖を与えた。
「それは、おまえにとって重要なことか?」
「重要です。俺だけではありません、全員にとって重要です」
「ファーガス」
隊長が冷や汗を流しながらたしなめる。が、エヴァンはそれにかまわず続けた。
「伏せる意味がわかりません。公表すれば、証言も集まる。反逆者はともかく、エインズのような平民がボロを出さずに逃げ切れるわけがない。より反逆者を追い詰めやすくなるのではありませんか?」
「本当にそう思うのか?」
レオナルドの返しに、エヴァンは眉をひそめる。
「はい。違いますか?逆に、副団長はどう思われるのですか?」
「そうか。おまえの考えの欠陥がわからないのであれば、俺の考えは知らなくていい。悪いな」
エヴァンの目尻がぴくりと動いた。
「…本当に、反逆者を捕まえる気はおありで?」
レオナルドの笑みが鋭くなる。
「どういう意味だ?」
「あなたは三年間、アーサー・ラングレットとともにいたのですよね。情がわいているのでは?反逆者を逃がそうとしているのではありませんか?本当に、王家に忠誠を誓われていますか?」
「おい、やめろ」
隊長が焦って止める。しかし、エヴァンは止まらなかった。
「副団長。俺は、あなたのことが信用できません」
「…」
きっぱりと言い切ったエヴァンの言葉に、その場が凍りつく。
「…そうか」
レオナルドはつかつかとエヴァンの方へと歩み寄り、エヴァンの前に立った。反射的に屈してしまいそうになる圧が、レオナルドから放たれていた。エヴァンはごくりと息を飲んだ。が、レオナルドから目を反らすことはなかった。
その光景を、騎士たちは固唾を飲んで見守る。ヴィンセントとキティだけは、何てことなさげに眺めていた。
レオナルドは腹の底が見えない笑みを浮かべていた。
「信用してくれなくて結構。俺が信用に足る立場にないことも承知済みだ。が、これだけは言っておく」
レオナルドはすっと笑みを消した。
「俺はあの日、目の前で、信用していた奴に反逆された。止められなかった俺がどれほど後悔したかわかるか?裏切られた悔しさと怒りがどれほどのものかわかるか?」
レオナルドの圧に、部屋の騎士たちは震え上がる。
「ときにファーガス。おまえはアーサー・ラングレットのことをどれだけ知っている?これでも俺は三年もあいつとともに過ごしたんだ。騎士団の中では一番あいつのことをわかっている。それゆえに、あいつに近付くには俺が適任だ。おまえが俺のことを認めなくとも、俺が王家に任命されたウィシュタル王国騎士団の副団長であることは覆らない。俺は、公私ともにあいつを捕まえたいと思っているさ」
「…っ」
レオナルドの声は怒気をはらんでいた。刺すような視線に、エヴァンはたじろいだ。
「…一つ、いいことを教えてやろうか」
レオナルドはエヴァンを見下ろす。
「俺は、あの英雄のことが心底嫌いだよ」
レオナルドの視線は、驚くほどに冷たく、鋭かった。
恐怖でエヴァンの瞳が揺れた。喉がひゅっと鳴る。
「失礼、致しました…」
エヴァンは震える声で謝る。レオナルドと目を合わせる勇気はなかった。
「と、いうわけだ。レオナルドに関しては心配しなくていい。万一があっても、俺が対応できる」
どっしりとかまえたヴィンセントの言葉に、レオナルドはにこっとほほえむ。
ヴィンセントの視線がすっと鋭くなった。
「くれぐれも、アーサー・ラングレットに遭遇したこととトール・エインズがいたことは黙っていろ。これは命令だ。わかったな」
「はっ」
ヴィンセントの命令に、騎士たちは一斉に返事をした。
エヴァンだけは、苦々しい顔をしたままだった。
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