84. 殺さなかった理由
森の中に、駆ける足音と上がった息の音が響く。
「うん、この辺まで来れば歩いて平気かな」
アーサーはそう言うと、走る速さをゆるめた。
「…」
ぜーぜーと息が上がったトールは、返事をすることができず、無言でうなずくしかなかった。
――もう無理、走れない…。
アーサーの馬鹿みたいな体力に付き合える体力を、トールは持ち合わせていなかった。途中から、アーサーについていくので精一杯になっていた。アーサーはと言うと、余裕そうな表情で立っていた。走っている時も、疲れているようなそぶりなど全くなかった。逃げる前には、騎士を殲滅させていたというのに。
――この人の体力、どうなってるんだろう…。
そう思わずにはいられないトールだった。
そんなトールの顔を、アーサーが覗き込んでくる。
「トール、大丈夫?」
「…」
無言で首を横に振るトール。
「そっか。じゃあ、ちょっと休もうか」
「…」
トールはぶんぶんと首を縦に振った。
しばらくすると、息も整って疲れがとれてきた。
「今日は運動したね」
ケラケラと笑いながら言うアーサー。
「あれは運動とは言わないです…」
地面に寝そべりながら、トールは呆れまじりに言う。
アーサーはトールの横に座ると、血で真っ赤に染まった剣を鞘から抜き、血を拭き取り始めた。ニーナが言っていたことを気にしているみたいだった。
「トール、すごい疲れてるね」
剣を磨きながら、息の上がったトールを見てアーサーが言った。
「なんかすみません…。…アーサーさんの体力がありすぎるだけな気がしますけどね」
トールは皮肉を含ませながら言った。
「そう?」
きょとんとして答えるアーサー。
「そうですよ」
「そうかな?まあ、騎士がそんなに強くなかったから。それもあるんじゃない?」
「…」
――そんなに強くなかったのか…。
アーサーの強さに、呆れ返ってしまう。
ふと、トールは疑問に感じたことを口にしてみる。
「…アーサーさん、それって、わざと騎士を殺さないでおいたってことですか?」
「…」
トールは隣に座るアーサーの目をじっと見る。
アーサーはにこっとほほえんだ。
「そうだね。…トールに鉢合わせた騎士を殺すって言った後、すぐに出会っちゃったから。まだ、考えられてなかったでしょ?…いくらなんでも、早すぎるかなって」
「アーサーさん…」
トールは起き上がって座る。
「ありがとうございます。気遣ってくれて」
トールはぺこりと頭を下げた。
アーサーの身としては、アーサー・ラングレットに気付いた騎士たちの息の音を止めてしまいたかっただろう。それなのに、トールを気遣って殺さないでおいた。それがありがたくもあり、申し訳なくもあった。
「いいんだよ、気にしないで」
アーサーはほほえんだ。
「まあ、命は取らなかったってだけだから」
「? どういうことですか?」
首をひねるトール。
「騎士たちの手足の腱を斬っておいたんだ」
「え?」
すっとんきょうな声を上げたトールに、アーサーはにこっと笑う。
「魔物暴走の対応に追われて、たぶん神官たちは騎士にまで手が回らない。完治しないと思うよ。そうなると、剣は振れないしまともに動けもしない。騎士としての命は終わり」
淡々と言ってのけるアーサー。
「…」
トールは唖然とした。
たしかに、今思い返せば、アーサーは騎士の手足を重点的に斬っていた。戦えない体にし、騎士をやめさせるという意図があるのならば、納得だった。
――えげつない…。
殺されないだけましかもしれないが。
「口封じはできないけどね。俺の顔を見た騎士が、少しでも減るに越したことはないから」
「そうですね…」
騎士を戦えない体にされ、騎士団はどうするのだろうと、トールは考える。アーサーの強さを恐れ、むやみに追うことは諦めるのか。それとも、仲間がひどい目に遭わされたことに怒り、さらに追跡を強化するのか。どちらに転ぶにせよ、騎士団が追跡をやめることはないだろう。
「…それに、あんまり殺しちゃうと、俺、怒られちゃうから」
アーサーは目を伏せながら言った。
「…」
トールはアーサーをじっと見る。
――怒られちゃうって、誰にだろう…?
王家や騎士団にではなさそうだった。たとえ王家や騎士団に怒られたとしても、アーサーはものともしなさそうだった。
「…俺も、怒りますよ。むやみに殺したら」
アーサーは顔を上げ、トールを見つめた。灰色の瞳に、トールが映る。
「必要なときがあるのはわかってます。必要なときは、止めません。俺だって、殺しちゃいましたもん」
トールは初めて人を斬った時の感覚を思い出して震える。手に残る感触が、まだ気持ち悪かった。
「でも、そうじゃないときに殺そうとしたら、止めます。それは、やっちゃいけないので」
真剣な声で言うトールに、アーサーは目をぱちくりとさせた。そして、ふっと微笑みを浮かべた。
「…さっきのは、殺すのは必要だったと思う?」
磨かれたアーサーの剣の刃が、キラリと光った。
「それは…」
トールは口ごもった。
必要かと言われれば、必要だった。口封じをするのが一番だ。が、わかってはいるのに、断言できない自分がいることに、トールは歯がゆさを感じた。と同時に、必要ならば人を殺すことをいとわなくなっている自分もいることに気付き、チクリと胸が痛くなる。
黙り込んでしまったトールの頭を、アーサーがぽんとなでる。
「あはは、ごめんね、意地悪言って」
「いえ…。すみません、止めるとか言っておいて、まともに答えられなくて」
「ううん。難しいことだっていうのはわかってるから」
アーサーはふっとほほえんだ。
「ありがとう、止めるって言ってくれて。…もし、俺が堕ちるようなことがあったら、トール、君に止めてほしいな。頼んでも、いい?」
まるで堕ちることが前提であるかのようなアーサーの物言いに、トールは胸がズキリと痛んだ。
「もちろんです。俺が、アーサーさんを止めます」
「ありがとう」
アーサーはほほえんだ。悲しくなるような微笑みだった。
「…アーサーさんは、つらくないんですか」
ぼそりと尋ねるトール。
「?」
アーサーは首をかしげつつ、トールを見た。
「俺は、つらかったんです。人を、殺すの。アーサーさんは、どうなんだろうと思って…」
「…」
アーサーは遠くを見つめる。
「…どうなんだろうね。初めて人を殺したときは、それどころじゃなかったから。もっと別のことに気を取られていて、なんとも思わなかった。今は、…わかんないや」
「…」
「感覚が麻痺してるのかもね」
アーサーはにこっと笑った。どこか壊れたような笑みだった。
「アーサーさん、無理してるんじゃないですか」
「無理?してないよ?」
アーサーはきょとんとして首をかしげる。
「無理してない人は、そんなふうには笑いませんよ」
「…」
二人の間に、気まずい沈黙が流れた。
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