70. 師匠
「そういえば」
パンを食べ終わると、アーサーが思い出したように尋ねた。
「トールは、故郷に帰りたい?」
「それは…」
返答に困る質問だった。
困り顔になったトールを見て、アーサーはあわてて付け加える。
「あ、俺のことは気にしなくていいからね。トールが、どうしたいのかって話」
「…本音を言えば、帰りたいです。一度、家族に会いたい。でも、そんな勇気は、俺にはないんです」
そう言ってトールは笑った。ひきつっていないか不安だった。
「それは、まだ強くなれてないって思ってるから?」
「そうですね…。強くなるって言って家を出たのに、強くなれてないんで…」
「じゃあ、強くなって帰ればいいんじゃない?」
アーサーはそう言ってトールに笑いかける。
「…それができたら苦労しませんよ」
話聞いてたのかこの人、と思いながらトールは言った。
「うーん、別に強くなるのは、トールなら難しくないと思うけど」
アーサーは少し考えると、トールに尋ねた。
「トール、君は今までどんな訓練を受けていたの?」
「訓練ですか?…よくあるやつですよ。素振りとかで型を練習して、打ち込みをして、少しだけ対人戦をやっていました」
少し怪訝な顔をしてトールは答えた。
「なるほど。そしたら、あまり実戦に近いことはやっていないのかい?」
「まあ、そうですね。俺は弱かったから、そこまでやらせてもらえなかったんで」
トールの答えを聞いてふむふむとうなずくと、アーサーは立ち上がった。
「トール、立って。で、剣を持って」
「…?わかりました」
アーサーの意図することがよくわからないまま、トールは自分の剣を取り立ち上がった。
その間に、アーサーは近くに落ちている枝を物色していた。
「うん、これがいいかな」
アーサーは剣と同じくらいの長さの手頃な枝を拾うと、左手に持った。そして、足をそろえてすっと立ち、体の左側をトールの方へ向け、右手を腰の後ろにやり木の枝を片手で構えた。
「トール、今から俺を倒してみて」
「え?…俺は実剣で、アーサーさんが持ってるのは、ただの枝ですけど…」
いくら魔王を倒した英雄と言えど、さすがにどうなのか、と、どうしても思ってしまう。
「あはは、俺はやられたりしないから大丈夫だよ」
それを聞いてケラケラと笑うアーサー。
――そうでしょうけど…。
「でも…」
渋るトール。彼はアーサーの実力を疑っているわけではなかった。しかし、トールの中にはとある不安が残っていた。
にこにこしてトールを見ていたアーサーだが、少し、口角を下げた。
その瞬間、アーサーのまとう雰囲気が変わった。恐れをなさずにはいられない殺気が、アーサーから放たれた。
トールはその殺気を受け、恐怖で固まる。瞳孔が揺れた。
「ほら、トール、やらないとやられるよ?」
相変わらず笑顔なアーサーだったが、その笑みは見た者に恐怖を与える笑みだった。
震え上がるトール。
しかし、トールは本能的に自らの危機を察知すると、剣を抜いた。
「うあああああああ!」
トールは剣を振り上げ、叫びながらアーサーの方へ突進していく。アーサーへと剣を振り下ろした。
アーサーは軽く左腕を動かした。すると、トールはアーサーの振った枝に吹っ飛ばされ、背後の木に背中を打ち付けた。
「痛…っ」
思わずうめき声が出る。アーサーの枝を受けた剣を持つ手に、ビリビリと衝撃が走っていた。
英雄の実力とはここまですごいのか、とトールは呆然とする。ドラゴンを一人で倒すほどだ。ちっとも本気は出していないのだろうが。
しかしゆっくり呆然としている間もなく、トールはアーサーの殺気にびくりと震える。
「まさか、もう終わりだなんて言わないよね?」
ぷらぷらと枝を振りながら、アーサーが言った。
「…っまだ、やれます」
トールは立ち上がりながら言い、笑顔を浮かべた。内心恐怖でしかなかったが、目の前に立ちはだかる強さの塊には、笑うしかなかった。
「お、いいね。どこからでもおいで」
アーサーは嬉しそうにした。
トールは再び、アーサーに向かって駆け出した。
そして、夕方。
ぼろ雑巾のようになったトールは、地面に突っ伏していた。もう動けそうになかった。
トールはアーサーに幾度も向かっていったが、その度にアーサーに軽くあしらわれていた。結局、トールの刃はアーサーに届くことなく、一方的にやられて終わった。そして、今に至る。
「おーい、トール、生きてる?」
ぼろぼろなトールとは対照的に、数時間前となんら変わらないアーサーがやって来て、言った。
「…なんとか、生きてます」
トールの声は死にそうだった。
「ほんと?なんか、死にそうな声してるけど」
アーサーは地面にへばりついているトールの横に座った。
「どうだった?」
アーサーはトールに尋ねた。
「…アーサーさんが、強すぎます」
「あはは、そういうことを聞いてるんじゃないよ」
切実な感想を述べたトールを、アーサーは一笑に付した。
「俺が聞きたかったのは、トールがどう動けたかってこと。どうだった?」
トールは、少し考えた。
「…なんだか、騎士団にいた頃よりも動けた気がします」
アーサーはにこっとほほえんだ。
「そっか。それは、どうしてだと思う?」
「うーん」
――なんでだろう…。
騎士団での訓練と今のアーサーとの手合わせの内容に、大きな違いはなかった。もっとも、相手の強さは天と地ほどの差があったが。
トールははっとする。
「アーサーさんが、強すぎたからかもしれないです」
「?」
首をかしげるアーサー。
「騎士団では、見習いどうしの手合わせが多かったんです。一番強い相手でも、隊長くらいで。下手な動きをすれば、相手を傷付けちゃうんです。でも」
トールはアーサーを見る。
「アーサーさん相手なら、そんな心配しなくてよくて。むしろ、俺がやられないようにするので精一杯で。…なんだか、魔物と戦ってるみたいでした」
トールの最後の一言に、アーサーは声を上げて笑った。
「あはは、面白いこと言うね」
「いや、全然、変な意味はないんですけど」
トールはあわてて弁解する。
「わかってるよ」
アーサーはふう、と息をつくと、微笑みを浮かべた。
「遠慮、かな。たぶん、それが原因だったんだよ。トールは優しいから、万が一にも相手を傷つけちゃうことを恐れて、無意識に抑えちゃってたんだろうね。だから、うまく動けていなくて、強くなれなかった。でも、魔物と戦うときは、しっかり動けてる。今日もね」
アーサーはトールに笑いかけた。優しい笑顔だった。
「トールは、ちゃんと強くなれるよ。俺が保証する」
その言葉に、トールは目を見開く。トールの目がうるんだ。
「俺…っ、強く、なれるんですか…?」
トールの声がつまる。
アーサーが深くうなずいた。
それを見て、トールの目から涙があふれでた。トールの口から嗚咽が漏れる。
「やだなあ、そんなに泣かないでよ」
アーサーは笑いながら、トールの頭をぽんぽんとなでた。
「俺…っ、絶対、強くなってみせます。アーサーさんの言葉を、嘘にはしません」
ぼろぼろと流れる涙をぬぐいながら、トールは言った。
その言葉に、アーサーは少し目を見張った。しかしすぐに笑顔が浮かんだ。とても、嬉しそうだった。
「ありがとう。俺で良ければ、いつでも相手するよ」
「本当ですか…!」
トールはぱあっと顔を輝かせる。
自身を救ってくれた、憧れたアーサー本人に手合わせしてもらえるなど、これほど嬉しいことはなかった。
「でも、頑張りすぎないでね」
「できる範囲で、頑張ります」
アーサーの言葉に、トールはそう言って笑って見せた。それを見て、アーサーもほほえむ。
「もう、すっかり暗くなっちゃったね」
「そうですね…」
空はとっぷりと暗くなっており、あまたの星が輝いていた。
「あと数日すれば、第一城壁近くの街に着きますかね」
第一城壁は、王国の南部と中部を隔てる大きな壁だ。南で出現する魔王の侵略を防ぐため、はるか昔に建てられたものだ。
「そうだね。…今日はもう、休もうか」
「はい。俺、今日はもう動けないです…」
「あはは。トール、ぼろぼろだもんね」
「逆になんでアーサーさんはそんなに元気なんですか…」
「なんでだろうね?」
ケラケラと笑うアーサーに、トールはうろんな視線を向ける。
――俺の弱さがどうとかいう話じゃないと思う…。
トールはアーサーの化け物じみた体力に恐れをなした。
話しているうちに、二人はいつの間にか眠り込んでいた。
そんな二人を、祝福するかのように夜空の星が照らしていた。
読んでいただきありがとうございます!
2章はこの話で以上になります。
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