62. 裁かれない罪 その4
おれは突然後ろに引っ張られて、地面にしりもちをついた。
「え」
何かを切り裂くような、嫌な音がした。
びっくりした。何が起きたのかわからなかった。
おれの目の前に立ったお姉ちゃんが、地面に崩れ落ちた。
「お姉ちゃん…?」
おれは立ち上がってお姉ちゃんに駆け寄った。嫌な汗が流れた。
「…っ」
信じられなかった。信じたくなかった。
お姉ちゃんのスカートは大きく破けていて、真っ赤に染まっていた。そして。
「どうして…」
お姉ちゃんの両太ももに、大きな傷口が開いていた。真っ赤な傷口から、黒い煙がかすかに立ち上っていた。ヘルハウンドから受けた傷独特の症状だ。
自分の瞳が揺れるのがわかった。
お姉ちゃんの息は荒くなっていた。痛すぎて叫び声さえ上げられないみたいだった。
お姉ちゃんはおれを見上げてほほえんだ。そのほほえみを見て、おれの胸がずきりと痛んだ。
「ごめんね。トールに、怪我、してほしくなかったから」
身体から、温度がすっと引いた。
お姉ちゃんを守れなかった。守られてしまった。
お姉ちゃんは、気付いていたんだ。おれが足がすくんで、動けなくなっていたことを。恐怖にのまれてしまっていたことを。
気付かれていたんだ。そして、かばってもらった。
頭が真っ白になった。
ヘルハウンドはお姉ちゃんに怪我を負わせて気が済んだのか、前足についた血をなめていた。
ぷつりと、何かが切れる音がした。
その後のことは、よく覚えていない。
気付いたら、ヘルハウンドが地面を赤く染めてに倒れていて、おれはその前に立っていた。右手に握った短剣が血だらけになっていて、顔にはぬるりとした生暖かい液体がついていたから、おれが倒したんだと思う。でも、それも合ってるかわからない。おれが、中位の魔物のヘルハウンドを、一人で倒せると思う?
ただ、これまでにないほどずっしりとした重みが全身にのしかかっていたのだけは、覚えていた。
それでも、ヘルハウンドが倒されていたのは事実だった。そのおかげで、おれたちは村まで逃げ帰れたんだ。
おれは気絶してしまったお姉ちゃんを背負って、急いで村まで駆け戻った。
お姉ちゃん、無事でいて。
お姉ちゃんの荒い息の音を聞きながら、ただただお姉ちゃんの無事を願い、自分のふがいなさに泣きたくなりながら走っていた。
「トール?…ミア?どうしたんだ!」
息を荒げて森から出てきたおれたちを見て、近くにいた村の大人が焦りをあらわにしておれたちのもとへ来た。
「どうしよう…っ、お姉ちゃんが、お姉ちゃんが」
言葉がうまく続かなかった。村の大人を見た瞬間、もう大丈夫なんだと、早すぎる安心感が押し寄せてきて、胸がいっぱいになる。
村の人はおれの頬にとんだ血とお姉ちゃんの足の怪我を見てぎょっとした。
「おい…、これ、何があったんだ」
「ヘルハウンドが、出たんだ。お姉ちゃんがおれをかばって…」
声が震える。
「ヘルハウンドだって!?嘘だろ…。おい、トレヴァーとメグを呼んで来てくれ!ミアが重傷だ」
「なんだって!わかった、すぐ呼んでくる」
トレヴァーとメグは、父さんと母さんの名前だ。何事かと近くによってきた人が、走って父さんたちを呼びに行った。
村の人たちが、続々と集まってきていた。
「まあ、ミア…!早く手当てしないと」
「ミア、大丈夫かい…?」
村の人たちが、意識がおぼろげなお姉ちゃんの手当てをしてくれた。それがひたすらにありがたかった。おれはもう、どうしたらいいかわからなくなっていたから。
「トールは怪我はないか?」
ただ見ているしかできなくなっていたおれに、一人が心配そうに聞いてきた。
「うん。おれは何も…。お姉ちゃんが、かばってくれたから」
言ってから、自分のふがいなさがひしひしと感じられてきた。思わず手のひらを握りしめていた。
「なら、よかったが…。頬の血はどうしたんだ?」
おれは頬に手をあてる。乾いた血がぱりぱりとしていて頬がつっぱっていた。
「ああ、これ…。たぶん、ヘルハウンドの返り血だと思う」
「返り血?」
怪訝な顔をされた。
「ミア!トール!」
そのとき、父さんの声が響いた。思わず振り向くと、父さんと母さんが心配げな表情で駆けてきていた。
「父さん、母さん…」
のどに込み上げてくるものがあった。
「トレヴァー!メグ!こっちだ。ミアが、ヘルハウンドにやられたらしい」
村の大人たちが父さんと母さんをお姉ちゃんのところへつれてくる。
「嘘だろ…」
「…!」
足に大きな怪我を負い、意識のないお姉ちゃんを見て父さんと母さんは絶句した。二人の顔には絶望が浮かんでいた。
おれのせいだ。おれが、もっと強ければ、こんなことには。
腹の奥がすっと冷えていくようだった。
「ミア、大丈夫…?」
母さんがお姉ちゃんに問いかける。お姉ちゃんは痛みに顔をゆがめたままで、反応はなかった。父さんと母さんは悲痛な表情を浮かべた。
「今すぐ教会に連れていく。馬を使わせてくれ」
父さんはお姉ちゃんを担ぎ上げると、近くの人に言った。
「もちろんだ。用意してある」
「ありがとう」
気付けば、村の馬は乗れる準備をして連れてこられていた。
父さんはおれが呆然と立ち尽くしていることに気付くと、おれのもとへとやって来た。
「ごめんなさい、おれっ…」
嗚咽が漏れた。
「トールは、怪我はないか」
「…うん」
父さんは優しくほほえんだ。
「トール、ありがとうな。ミアを、連れて戻ってくれて」
父さんはそう言って、おれをぎゅっと抱きしめた。それがあたたかくて、そして痛かった。
「じゃあ、行ってくる」
父さんはお姉ちゃんを抱えて馬にまたがると、ものすごい勢いで馬で駆けていった。
「トールだけでも無事で、よかった」
母さんはほっとしたように言うと、おれを優しく抱きしめた。
視界がぼやけた。
「母さん、ごめんなさい…!おれ、お姉ちゃんを守れなかった。お姉ちゃんに守られちゃったんだ。おれが強くなかったから…!ごめんなさい、ごめんなさい」
一気に感情が押し寄せてきた。
おれは一体、なんてことをしてしまったんだ。
どうしようもないほどの後悔と無力感、そして自分への嫌悪感に押し潰されそうになる。
「いいえ…!トールは謝ることなんてない。トールはミアをちゃんと連れて戻ってくれたじゃない。あなたはよく頑張ったわ。ありがとう、トール」
母さんはそう言って、おれをより強く抱きしめた。
「…っ」
涙があふれて、ぼろぼろとこぼれ落ちる。
母さん、違うんだよ。おれは頑張れてなんかいないんだ。頑張れてたら、こんなことにはなっていないでしょ。
おれは声をあげて泣いた。おれの泣き叫ぶ声
が、響き渡っていた。




