61. 裁かれない罪 その3
貯蔵庫に、お姉ちゃんが入ってきた。
「あ、トール、帰ってたのね。おかえりなさい」
お姉ちゃんはおれを見て言った。
「ただいま、お姉ちゃん」
「ミア、どうした?」
「お母さんがね、今のうちにもう少し木の実を採りに行ってほしいって。今年は魔物も多いから、荒らされてだめになる前に採っておこうって、他の家の人たちと話してなったんだって」
「なるほどな」
「お父さん、今は忙しい?」
お姉ちゃんは手にストールを持っていた。行く準備はしてきたみたいだ。
「今、ちょっと手が離せないかな…」
父さんは少し困ったように言う。父さんはさっきおれが狩ってきたホーンラビットをさばいている真っ最中で、動けそうになかった。
魔物の狩り方を習っていないお姉ちゃんが一人で森に行くのは危険だった。
父さんはおれの方を見た。
「トール、一緒に行ってやれないか?」
「うん、わかった」
おれはうなずいた。任せてもらえることが嬉しかった。役に立てると思うと、やる気がわいてきた。
「くれぐれも、奥の方には入るなよ。手前だけにしておけ」
「うん」
父さんの真剣な言葉に、おれとお姉ちゃんは神妙な面持ちでうなずく。
おれは近くにかけていたモスグリーンのストールを手に取って羽織る。上着なしだと、外はもう寒すぎる季節だった。
「いってきます」
「いってらっしゃい。気を付けてな」
おれは短剣を腰に提げて、片手にかごを持ってお姉ちゃんと森へ向かった。
「トール、村の人たちが褒めてたよ。頼れる狩人だって」
歩きながらお姉ちゃんが言った。
「本当?」
「もちろん!トール、もう一人で森に入れるじゃない。こんな弟がいて私が誇らしくなっちゃう」
お姉ちゃんは嬉しそうに笑った。
そんなお姉ちゃんを見て嬉しくなったけれど、少しつっかえるようなかんじがした。
「でも、まだ森の手前の方だけだよ。奥の方には入れないし、狩っても下位の魔物ばっかりだし…」
なんだか素直に褒めてもらえる気分じゃなかった。自分がまだまだな気がしたんだ。
お姉ちゃんはおもむろにおれの頭を軽く叩いた。
「痛っ」
別に痛くはなかったんだけど、思わず声が出た。
お姉ちゃんの方を向くと、お姉ちゃんはむすっとした顔でおれのことを見ていた。
「そんな弱気なこと言わないの!せっかく頼りになるのに、弱気でいたら頼りなく見えちゃう。トールはもっと自分のことを誇っていいの」
お姉ちゃんは叱るように言った。
「うーん」
「まったくもう…」
微妙な反応のおれに対し、お姉ちゃんがあきれたようにぼやく。
お姉ちゃんはこう言ってくれるけど、頼りになるのはおれなんかよりも断然お姉ちゃんだ。
兄弟の一番上だからかな、しっかりしててお姉ちゃんがいると安心できる。兄弟をまとめてるのはお姉ちゃんだし、村の人からも信頼されてる。おれとは一つしか変わらないのに。一応おれも「お兄ちゃん」なんだけどな。トーマにはなんか頼りないって言われるし、メルも困ったことがあると真っ先にお姉ちゃんのところに行くし。
まあ、おれも何かあったらお姉ちゃんに頼っちゃうんだけどね。おれももっと頑張らなきゃ。
森につくと、木の下に落ちている木の実を拾って集めた。まだ残ってはいたけど、踏みつぶされているものも多かった。たしかにこれは、今のうちに拾いに来ておいて正解かも。
かごの中身が木の実で埋まってきた頃だった。
突然、背筋にぞわりと悪寒が走った。
「!」
その悪寒があまりにも冷たくて、思わず震え上がった。すごく嫌なかんじだった。
これは絶対、まずいやつだ。
似たような感覚は、今までも経験したことがあった。でも、ここまでのは初めてだった。
「…?トール?どうしたの?」
突然立ちすくんだおれに、お姉ちゃんが不思議そうに尋ねた。
「…お姉ちゃん、下がって」
じわじわと心の中に恐怖がしみていった。
いや、きっと気のせいだ。怖くなんてない。だって、森にはいつも来てるじゃないか。
おれは短剣を抜いて右手に握る。
お姉ちゃんはおれが剣を抜いたのを見て、はっと息を飲んだ。
おれはまわりを見渡した。薄暗い森の中に、カサカサと枝がこすれる乾いた音が聞こえた。
絶対、何かいるんだ。油断するな。見つけろ。
自分の心臓が脈打つ音がいやに大きく聞こえる。
どこから何が出てきてもおかしくなかった。たしかにその気配を感じていた。
「…いた」
無意識に呟いていた。
おれたちのいる正面だった。森の奥へ向かう方向だ。これなら、お姉ちゃんを逃がせる。
「お姉ちゃん、すぐに村まで逃げて」
「え、でも…」
「逃げて。何かいるんだ。危ないから」
少し声が震えた。
声だけじゃなかった。剣を握った右手もガタガタと震えていた。
お姉ちゃんに気付かれたくなくて、震えを止めようと左手で右手をおさえた。怖がっている自分が情けなくて悔しくなる。
「…」
お姉ちゃんは戸惑っているみたいだった。
そりゃ、そうだよな。
だってお姉ちゃんは、森で魔物に遭遇するのは初めてなんだ。だからこそ、おれがお姉ちゃんを村まで逃がさなきゃ。
ガサリと、落ち葉を踏む音がした。その音におれとお姉ちゃんはびくりと震えた。
「…っ」
言葉を失った。
そこにいたのは、ヘルハウンドだった。
図鑑では見たことあったけど、実際に見るのは初めてだった。でも、見てすぐにわかった。首まわりのオレンジ色の毛が火みたいだった。口もとからのぞいた鋭い牙とそこからしたたる唾液にぞっとする。
「どうして、ヘルハウンドなんかが…」
お姉ちゃんが信じられないとでも言うかのように、呟いた。
本当にその通りだった。どうして、ヘルハウンドなんかが出るんだ。
ヘルハウンドは中位の魔物だ。こんな森の手前の方にいるはずがないんだ。それなのに、どうして。
叫びたくなった。どうしてこんなことになってるんだって、わめきたかった。でも、唸り声を上げて威嚇してくるヘルハウンドの前では、ただただ震え上がるしかなかった。
おれはぐっと唇を噛んだ。
「お姉ちゃん、逃げて」
「無理よ。トールを置いて逃げるなんてできない」
「おれのことはいいから!お願いだよ、逃げて!」
なんとかしてお姉ちゃんを逃がしたかった。おれがお姉ちゃんを守らなきゃ。おれがやらなきゃ。おれが、おれが。
ヘルハウンドがゆっくりとおれたちの方に近付いてきた。
反射的に、片足が後ろに下がった。
下がっちゃだめだ。倒さなきゃ。動け、おれ。
ヘルハウンドが後ろ足に体重をかけた。
来る。そう思ったときだった。
視界が下に落ちた。




