35. 大トカゲ
大トカゲがトールと女性の前に立ちはだかる。立ち上がった大トカゲは、トールよりも高かった。開かれた口からは牙が覗き、垂れた唾液と黄色のギョロリとした目がトールをぞっとさせた。
そう思ったのも束の間、トールは右手を腰に提げた剣の柄にやる。
大トカゲが向かって来ると同時に、トールは剣を引き抜き、大トカゲの首めがけて剣を振り上げた。
ビシャっと音がして、地面に赤い血が飛んだ。
「…っ」
ーーやらかした。
トールの振り上げた剣は、大トカゲの首を切ることは叶わなかった。剣先は、大トカゲの下顎を刺していた。大トカゲの口の中に、突き刺したトールの剣先が見えた。
一発で仕留められなかったことに、トールは焦る。
大トカゲが唸り声を上げ、刺された剣を抜こうと頭を振る。あまりの力に、トールは剣ごと振り回されそうになったが、なんとかその場で耐える。
「トール、そのまま」
アーサーの声がした。次の瞬間、トールの横を何かが勢いよく通りすぎ、大トカゲの首に一本の大きな傷が刻まれた。
トールは目を見張る。
大トカゲの向こう側に、アーサーが軽やかに着地する。右手を腰の後ろに添えたアーサーは、余裕そうな笑みを浮かべていた。
大トカゲの首についた傷から、真っ赤な血が吹き出した。トールは地面にうずくまる女性をかばい、女性が血を被らないようにする。
大トカゲはその場に崩れ落ち、動かなくなった。
アーサーは左手に持った短剣を軽く振り、刃についた血を飛ばして、トールらの方へと振り向いた。
「ごめんね、トール。血まみれにしちゃって」
アーサーは申し訳なさそうに謝る。
「俺は大丈夫です。仕留めてくれて、助かりました。ありがとうございます」
トールはぺこりと頭を下げた。アーサーが仕留めていなければ、トールは大トカゲに剣ごと吹っ飛ばされていただろう。
トールはアーサーが短剣で大トカゲを仕留めたのに気付き、あらためてアーサーのすごさを感じた。
「いえいえ、トールが大トカゲを押さえてくれてたから、やりやすかったよ」
アーサーはにこっとほほえむと、トールらの方へと戻ってきた。
トールは女性の方へと向き直り、女性の前にしゃがむ。
「突然すみません。大丈夫でしたか?」
トールは女性に声をかける。女性はまだ震えていて、目の前で起きたことに呆気にとられていたが、トールの声ではっとしたようだった。
「…っ、大丈夫です!助けてくれて、ありがとうございます。本当に、助かりました…」
女性はばっと頭を下げた。緊張の糸が切れたのか、口から嗚咽が漏れた。幸いにも、怪我はないようだった。
女性は、アーサーと同じくらいの年のようだった。きっちりと結い上げられた髪は、少しほつれており、所々に葉がついていた。遠出をするようなしっかりとした服装をしていて、女性の傍らには平民の使う旅行鞄と短剣が落ちていた。
ーーこの人、一人で森に…?
トールは女性の格好と持ち物を見て、驚くとともに不信に思う。今どこにいるのかはわかっていないが、森の奥であることは明らかだった。いつ魔物に襲われてもおかしくない森の奥まで一人で入ることは危険だった。
「それは、お気になさらず。…どうして一人で、森に?」
アーサーが女性に尋ねる。アーサーも、トールと同じことを感じていたようだ。
トールは自分の背中にかかった大トカゲの血を魔法で洗うついでに、土だらけになっている女性にも洗浄魔法をかける。アーサーはきれいなままだったので、魔法をかける必要がなかった。
女性は目を見張りながら、トールの魔法にお礼を言うと、アーサーの質問に答えようと口を開いた。
その時、アーサーがトールの肩を押した。
「!?」
トールはよろけて、地面に手をつく。
すると、トールの目の前を何か硬いものが通りすぎた。
「!」
トールは硬いものの飛んでいった先を見る。
アーサーが顔の前で、右手の人差し指と中指の間に、投げナイフを挟んでいた。
「…え?」
トールは飛んできたものの正体を見て震える。アーサーがトールの肩を押していなければ、どうなっていたことか。
女性も、突然の出来事に唖然とする。
アーサーの目がすっと細くなる。
「いるんでしょ?出てこないと、これ、投げ返すよ?」
背筋が凍るような声だった。
トールも女性も震え上がる。
投げナイフの飛んできた方向から、ガサッという音とともに、一人の若い男性が神妙な面持ちで出てきた。顔の左側に、大きな傷痕があった。
「え、ジェナス…?」
女性がどうして、と呟く。
「知り合いですか」
トールが尋ねる。
「…ええ。私と同じ村の、村人です」
女性は、ジェナスと呼んだ男性のことを信じられないという顔で見つめながら、答えた。
アーサーは右手の指に挟んでいた投げナイフを左手に握り直し、ジェナスに向ける。
ジェナスは、慌てて両手を挙げた。しかし、アーサーとトールに向けた眼差しは鋭かった。
「…誰だ、お前ら。メアリに何をした。メアリから離れろ」
ジェナスは低い声で言い放った。
「ジェナス!違うの!」
メアリと呼ばれた女性は、ジェナスに言い返す。
「この人たちは、私が魔物に襲われていたところを助けてくれたの!威嚇しないで」
ジェナスは疑わしげにアーサーとトールを見る。
鋭い目を向けられて緊張するトールと、軽くほほえんでみせるアーサー。
ジェナスはふう、と息を吐く。
「…わかった。すまない、ナイフを投げて」
ジェナスが頭を下げる。
アーサーはにこっと笑うと、ナイフの刃先をくるりと自分の方へと回し、柄をジェナスの方へ向けてナイフをジェナスに返した。
渋い顔でナイフを受け取るジェナス。
「すみません、助けてくださったのに、こんな…」
メアリがぺこぺこと頭を下げる。
「いいんですよ」
ひらひらと手を振って答えるアーサー。
「メアリ、どうして一人で森になんて来たんだ。危険すぎるだろ」
ジェナスが険しい顔でメアリに問い詰める。
「だって、もう一か月よ?唯一戻ってきたあなたは、もうだめだとしか言わない。私はそれで諦められないの」
メアリは一瞬うろたえたが、きっと鋭い視線をジェナスに向けて言った。
「だからって、おまえが行く必要はないだろ」
「他は誰も行かないじゃない。私が、行かなきゃ」
二人の間に険悪な空気が流れる。二人のやり取りを、アーサーとトールはそっと見守っていた。
ジェナスはため息をつきながら頭を抱える。
「…おまえが行って何かあったら、俺はあいつに顔向けできない」
「…でも、それは彼を見捨てる理由にはならないわ」
「あの状況を見てないから言えるんだよ」
「それならなおさらよ」
「わかってくれよ…」
「…」
ジェナスの悲痛な声に、メアリは黙り込んでしまった。
黙り込んでいても、二人は互いに譲りたくないという意思を全面に押し出していた。
「…一体、何があったんですか」
トールはおそるおそる尋ねた。
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