33. 傷跡
「うわあああああああ!」
トールの叫び声とともに、アーサーとトールは崖の下へと落ちていった。
はるか下には、池と緑がうっそうとした森が見えた。
二人に池の水面が迫ってくる。
ばしゃん、と派手な水柱が立った。
二人は池から顔を出す。
トールは濡れた髪を後ろにかき上げながら、崖の上の方を見た。さすがに崖下までは宝石鳥は追ってきておらず、トールはほっとして息をついた。
「なんとか、撒けましたね」
「そうだね。よかった」
アーサーは首を振って髪の水をはじき飛ばしながら言った。
「でも、びしょびしょになっちゃったね」
「ですね。乾かしましょう」
トールは水中から鞄を引き揚げる。鞄は水を含んで普段よりもずっしりとしていた。引き揚げた鞄から水が滴り落ちるのを見て、トールはげんなりする。
トールは岸まで向かい、陸地に鞄の中身を取り出して乾かし始めた。どれもびっしょりと濡れていた。ついでに濡れた服も脱いで、木の枝に引っかけた。
「アーサーさん、地図、大丈夫ですか」
ふと思い立って、トールはアーサーに尋ねた。
「ああ、大丈夫だと思うよ」
アーサーは腰に提げた鞄から地図を取り出し、広げて見せた。
「もらった時に、マルツァーが魔法をかけてくれたんだ。濡れないし、破れないし、燃えないよ」
「すごいですね…」
アーサーが広げて見せた地図は、しっかりと無事だった。水跡一つ付いていなかった。
アーサーは地図を鞄に戻すと、腰から鞄をはずして岸に置く。
「服、乾かしますよ」
「ありがとう」
アーサーは上衣を脱ぐと、トールに渡した。トールはそれを受け取って、木の枝にかける。
濡れた服を脱いだアーサーの裸になった上半身を見て、トールは目を見張った。
「アーサーさん、その傷って…」
アーサーの右肩から右胸にかけて、大きな傷痕がくっきりと刻み込まれていた。ひどい傷痕だった。引き締まった身体に不釣り合いで不気味ですらあった。
今まで、水浴びは交代でするか、一緒にしても暗い時間帯だったため、トールはアーサーの身体をしっかりと見たことがなかった。
思いもしなかった傷痕に、トールは言葉を失う。
「…、ああ、これね」
アーサーはちらりと傷痕に目をやる。
「昔、ちょっとね。油断しちゃった」
あはは、と笑いながら答えるアーサー。笑顔の裏に、何か隠されているような気がした。
「…左じゃなくてよかったですね。アーサーさんは、左利きだから」
トールは、深くは聞かないことにした。きっと、言いたくないような出来事だったのだろう。無理に話してもらいたいとは思わなかった。
「…そうだね」
アーサーは目をすっと細めた。
「…?」
アーサーの曖昧な反応に、トールは首をかしげる。
そんなトールを見て、アーサーはにこっと笑った。
「えい」
アーサーは握り合わせた両手の中に含んだ水を、トールの顔に向かって飛ばした。
トールの顔に水が直撃し、トールは思わず目をつぶる。
「わっ、ちょ、アーサーさん、何するんですか!」
何気に痛かったトールは、アーサーに文句を言う。
「あはは」
笑うアーサーを見て、トールははっとした。
屈託なく笑うアーサーは、心の底から楽しそうだった。
--アーサーさんがこんなに楽しそうなこと、今まであったっけ。
いつもにこにこして笑っているアーサーだが、その笑みはどこか表面的だった。何かを必死で隠しているかのような笑みだった。けれども、今のアーサーの笑顔は、そんな詮索など不要なほどに純粋だった。
思わず、トールの顔がほころんだ。
アーサーが、心の底から笑ってくれることが嬉しかった。そんなアーサーの笑顔を見れたことが、トールは嬉しかった。
トールは両手で水をすくい、アーサーに向かってかけた。
「わ、トール、やってくれるなあ」
「アーサーさんが始めたんでしょ」
トールはにやっと笑う。
声をあげて笑うアーサー。
「あはは、なんか、懐かしいなあ」
アーサーは懐かしむような目をしつつ、トールに水をかけ返した。
「あっ、アーサーさん、まだやりますか」
トールの言葉ににこっと笑うアーサー。
二人が水をかけ合う音と笑い声が湖に響いていた。
「…遊びすぎちゃったね」
「ですね…」
気付けば、日が傾き始めていた。
アーサーとトールは、池から上がり、岸に寝そべっていた。遊んでいる間に、服はすっかり乾いていた。
「トールが容赦ないからだよ」
「いや、アーサーさんもでしょ。というか、アーサーさんの方が容赦なかったですよ、絶対」
トールのせいにしてくるアーサーに対し、トールは反論する。アーサーはケラケラと楽しそうに笑った。
トールははたと気が付いた。
--アーサーさん、俺のこと、君付けしてない。
思い返せば、水遊びをしている途中からだった。アーサーとの距離が近くなったようで、呼び捨てになっていることにトールは嬉しくなる。思わず顔がほころんだ。
「どうかした?」
にやにやとしまりない顔をしているトールに気付き、アーサーが尋ねる。
「いや…、アーサーさんが、俺のこと呼び捨てにしてるなって思って」
「…あ」
トールの言葉を聞いて、アーサーははっとした。
「つい、呼び捨てになっちゃった。ごめんね」
「え、そんな謝ってもらいたかったわけじゃなくて。むしろ、嬉しいなって」
「そうなの?」
きょとんとするアーサー。
「はい。だって、より親しいかんじがするじゃないですか」
その言葉に、アーサーは驚いた表情を浮かべた。そして、ほほえんだ。
「そっか。じゃあ、呼び捨てで呼ぶね、トール」
「ぜひ」
トールも笑顔を見せた。
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