105. 王宮仕えの魔法使いと囚われのお姫様
大変おまたせしました。
王宮内の、とある一室。
きらびやかな内装と、高級感のあふれる調度品の数々。王族の居室と言っても過言ではないその部屋は、華やかさに似合わない閉塞感があった。
そんな部屋の中央で、一人の女性がソファに座っていた。
ふわりとしたドレスを身にまとった彼女が、膝の上に置いた分厚い本のページをぺらりぺらりと繰る音だけが部屋の中に響く。
耳にかけていた光沢のあるハシバミ色の髪が一房、はらりと落ちた。
「…」
彼女は頭を上げる。
「ご無沙汰しております。お元気ですか」
「変わらずよ」
突然音もなく目の前に現れた赤髪の男に、彼女は答える。
「あなたも変わらずみたいね、マルツァー」
彼女は人形のような綺麗な容姿に、鮮やかな緑色の瞳の持ち主だった。その緑眼がマルツァーをとらえる。
「ええ、おかげさまで」
魔王討伐パーティーの一員にしてウィシュタル王国の中でも指折りの魔法使い、マルツァー・ファルダは笑ってみせる。
彼は今、王家に仕え魔法を研究する上級魔法使いだった。
「何か読まれている最中でしたか」
マルツァーは彼女の手元の分厚い本に気付くと、尋ねる。
「たいしたものではないわ。ただの物語」
彼女はぱたんと本を閉じた。表に現れた表紙にマルツァーはちらりと目をやる。
「我が国の建国神話ですか」
「そう」
「面白いですか?」
「面白い?…そうね、物語としてはありきたりだと思う」
マルツァーの質問が不意なものだったのか、彼女は首をかしげながら答えた。
「はは、物語としてはありきたり、ね。貴女でないと言えない感想でしょう」
「あなたも言いそうよね。だって、王家に睨まれても気にしないでしょう」
「それは我らが魔王討伐パーティーのリーダー、レオナルドのことですよ。僕のようなしがない伯爵家の子息の態度としては少々分不相応だ」
「よく言う。建国神話にも出てくる由緒正しい家の嫡男が、何を言っているの?」
彼女は楽しそうに、煽るような物言いをする。
「当時ノイストリア帝国の辺境の地にして魔王と魔物のはびこる魔境だったウィシュタル。その地で立ち上がったギルフィア・アークトゥルスは仲間である剣士アリスティア・ウィルバウナー、光魔法の使い手セラフィーネ、そして魔法使いメデオーレ・ファルダとともに戦い、ウィシュタルの人々を束ね、メデオーレ・ファルダの大魔法で作られた聖剣をもって魔王を倒した。そして、英雄ギルフィアは帝国の支配から脱し、ウィシュタル王国を築いた。
…この建国神話で重要な人物であるメデオーレ・ファルダの子孫があなたたちファルダ家でしょう?公爵家であるウィルバウナーに並ぶ家だと思うのだけれど」
マルツァーは肩をすくめて見せた。
「はるか昔の話ですよ。神話の続きをご存知で?建国したばかりの王国のため奔走したウィルバウナーとは対照的に、ファルダは魔法の研究に没頭した。ファルダの人間は、魔法狂と言っても過言ではないんです。役に立つともわからない魔法研究に没頭し、王宮の政治はそっちのけ。そのせいで歴史ある家にもかかわらずいまだに伯爵家だ。だが、それにさえも無関心。それがファルダの性であり、…処世術なのです」
「ふうん。意味ありげね」
「さあ、どうでしょう」
「今のあなたはファルダの性で王家に仕えているの?それとも処世術?」
彼女の挑戦的な瞳がマルツァーを刺す。
「…あなたは、彼の味方なの?」
「…」
マルツァーは黙っていた。
マルツァーは彼女の座るソファの後ろの壁にかかった一枚の絵の前にゆっくりと歩み立った。
「敵ではありませんよ」
絵を見上げながらマルツァーは言う。
「味方かと問われると、どうでしょうね。僕はただ、僕の求める魔法を作り上げるだけだ。それが彼の役に立つかはわからない。それだけです」
彼女は後ろ向きにマルツァーを見上げていた。そんな彼女をマルツァーは見下ろす。
「僕が味方なのか敵なのか、貴女はすでに答えを出しているのでは?」
彼女はにこっとほほえむ。かつての仲間を思い起こさせるほほえみ方に、マルツァーの目尻がぴくりと動いた。
「敵か味方か、ではないけれど」
彼女は視線をもとに戻した。
「私の出した答えはこう。神官エステルは、彼の負う痛みを取り除くことができる。剣士レオナルドは、彼を苦しめる世界を変えることができる。そして魔法使いマルツァーは、彼を縛る運命を壊すことができる」
「…どういう意味です?」
マルツァーは眉をひそめた。
「エステルとレオナルドについてはわかります。エステルは腕の良い光魔法の使い手で、レオナルドは実力も権力も備えた傑物だ。ですが、僕については理解できませんね。僕が彼を縛る運命を壊すことができる?そもそも、彼を縛る運命とは何なのです?どうやら英雄となることとは違うようだ。僕ができることは魔法だけです。その運命とやらが何かわからないことには、なんとも」
歩きながら話すマルツァーは、彼女の正面に立つ。
「建国神話、読み直してみたら?」
マルツァーに建国神話を見せながら、彼女は悪戯っぽく笑った。
「魔王を封じた聖剣を作ったのが、あなたの先祖の大魔法使いメデオーレ・ファルダ。彼はなぜその剣を作ったの?圧倒的な力を持つはずの魔王に打ち勝てる聖剣を、どうして作れたの?」
「…歴史に消えた知ですよ」
「いいえ、隠れているだけ。あなただってわかっているでしょ?」
答えは肯定であることが、先程のマルツァーの答えの間に表れていた。
「ちゃんと読めば、見えてくる」
「…貴女の洞察力には舌を巻きますよ」
マルツァーはあきれたようにほほえんだ。
「まったく、貴女は暗黙の了解を見事に破ってくれる。一応、初代の魔王討伐を深堀るのは禁忌なんですよ。今や王家に権威を与える建国神話ですからね。僕だって、メデオーレの聖剣の秘密には触れないようにしてきた。貴女は僕に、踏み込んではいけない領域へ踏み込む理由を与える気で?」
「そのつもりよ」
「そこは否定してくださいよ」
彼女はきょとんとして首をかしげた。
「だって、あなたが気にならないはずないでしょ?」
「それはそうですが」
「それに、天才と呼ばれるあなたなら、消えた知にたどり着けるでしょ?」
緑色の瞳に射竦められ、マルツァーの背筋にぞくりと戦慄が走る。
「…たどり着けない、とは言いたくないですね」
「ふふ、そう言うと思った」
彼女は楽しそうに笑う。
マルツァーの視線が鋭くなった。
「それで?貴女は僕にメデオーレの聖剣の秘密を暴かせて、一体何をしたいのです?」
「今は、メデオーレの聖剣は魔王が現れる"始まりの森"にあるのよね」
彼女はマルツァーの質問には答えなかった。はあ、と息を吐くマルツァー。
「ええ。王家にゆかりのある先代英雄が魔王を倒すのに使って以来です。あの剣は、王家の血を引く者にしか扱えませんから」
「不思議よね。きっと誰もが、王家の血を引くレオナルド公子が魔王を倒すと思っていた。でも違った。魔王は、聖剣なしで倒された」
「こんなことになるとは、誰にとっても誤算だったでしょうね」
「そう?」
「…?貴女にとっては、誤算ではなかったので?」
マルツァーは首をひねった。
「まさか。そもそも、誤算は何かを企んでいる人にしかあてはまらないでしょ?私の場合、企みとも言えない素朴な願いだもの。誤算と言うよりも、予想だにしなかった出来事」
「たしかにそうですね。…と、いうことは、この誤算でさえも誰かが裏で糸を引いていると?」
「そうかもしれない、というだけ。考えすぎかもしれないけど」
「…あながち間違っていないかもしれませんよ」
そう言ったマルツァーを、彼女はすっと目を細めて見つめる。
「…マルツァー、何か知っているの?」
「いいえ。貴女の予想に僕も賛同する、というだけです」
「そうするだけの根拠があるのね」
「はは、引きこもりの魔法使いがどんな根拠を持てると言うのです?」
一笑に付すマルツァー。
「いろいろ持てるんじゃない?だって、あなたほどの実力があれば、他の魔法使いの目をかいくぐって好きに動けるんでしょ?」
「それ、誰にも言わないでくださいよ」
「そもそも言う人がいないけど。言ったら何か面白いことでもあるの?」
「ありませんよ、何も」
マルツァーは首を横に振る。
「このままでは僕に都合の悪いことまで推察されてしまいそうだ」
やれやれと肩をすくめながら、マルツァーが言う。
「都合の悪いことがあるのね」
「誰にだってあるでしょう」
「そうでしょうね。都合の悪いことがあるから私はここに閉じ込められているの」
彼女は楽しそうに笑った。指で光沢のあるハシバミ色の髪をもてあそぶ。
それを見て、マルツァーは若干、顔を歪めた。
「…髪、伸びられましたね」
「また、切るの?」
「いえ、しばらくは。この前、他の魔法使いたちの前で半端な長さの髪の使えなさをくどいくらいにぼやいておいたので、しばらくは切らずに済むかと」
「ふふ、あなたのぼやきは面倒くさそう」
「失礼な。まあ、わざとやってるんですが」
「あなたほどの魔法使いに言われれば、従わざるをえないものね」
「おや、皮肉ですか?」
「そう聞こえる?」
「ええ。自業自得ですがね」
マルツァーのヘーゼル色の瞳に影がさした。
「仮にも僕は、王宮に仕える上級魔法使いで、貴女をここに閉じ込めている魔法の檻を形成している一人ですから」
彼女はマルツァーをじっと見つめた。
「あなたはただの門番。私をここに連れてきて閉じ込めたのは、あなたではない」
少し驚いたような顔をするマルツァー。
「門番ならば、閉じた扉を開けることもできるのでは?」
「そうかもね。でも、あなたは開けないのでしょう?」
「…」
無言が肯定を物語っていた。
彼女は手に持った建国神話の本を前に置かれたテーブルに置こうとする。その時だった。
「…っ」
彼女の手からするりと本が落ち、地面にバサリと派手な音を立てて落ちた。胸を押さえ、その場にうずくまる。
「! 大丈夫ですか!」
マルツァーは慌てて駆け寄り、彼女の横に跪いて心配げに見上げた。
「…本当に、体調にお変わりはないのですか」
「…大丈夫よ。まだ、大丈夫」
苦しそうな顔で答える彼女に、マルツァーは顔をしかめた。
「申し訳ありません。僕が、あの時気付けていれば…」
「謝らないで。あれは、あなたの預かり知らぬところで起きたものでしょ。あなたが謝ることないじゃない」
「ですが、今でも...」
「あなたのせいではない」
きっぱりと言い切った彼女の言葉に、びくりとするマルツァー。そして諦めたように息を吐いた。
「無理はなさらないでくださいよ。何かあればすぐに言ってください。…そうでないと、僕は彼に顔向けできない」
彼女は顔をほころばせた。
「ありがとう。あなたがいなければ、私はどうなっていたことか」
「どうだか。…大事な友人のためですよ。今の僕にできることは、このくらいだ」
「十分すぎるわ」
彼女は緑色の瞳に悲しげな光をたたえた。
呼吸が整ってくると、彼女は独り言のように呟いた。
「…私は、囚われのお姫様という役から逃れることはできないのかしら」
「…貴女の騎士に見切りをつけて、自力で逃げ出しますか?」
「それができるなら、とっくにしてる。それに」
鮮やかな緑色の瞳が、マルツァーをきっと睨む。
「私が彼に見切りをつけるなんてありえない」
「僕は、誰とは言ってませんけどねえ」
「私も、誰とは言ってないわ」
無言でほほえみあう二人。
しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのは彼女の方だった。
「…アーサーはまだ、捕まってない?」
「ええ。相変わらず絶賛逃亡中ですよ」
「そう。…なら、いいのだけれど」
そして、ぽそりと呟いた。
「…そのまま、私という呪縛からも逃げてくれていいのに」
「…」
マルツァーはほほえんでいるだけだった。
それを見て、彼女は眉をひそめる。
「それ、なんの笑み?」
「いや、特には。本心ではないくせに、と思っただけですよ」
「何をもって、本心ではないと?」
「見ていればわかりますよ。貴女たちは、幼なじみとして一緒に育ったからですかね、とてもよく似ている。…本心を隠そうとするところがね」
「…」
彼女はふっと笑みをもらした。
「そう。アーサーのこと、よくわかってるのね。…良かった」
「良かった?」
怪訝な顔をするマルツァー。
「もう、アーサーには私だけじゃない。彼のことを理解できる仲間であり友人がいる。彼を縛る彼のかくしごとさえも壊してくれるかもしれない。あなたは私の本心ではないと言うけれど、半分合ってて、半分間違ってる。アーサーがいつまでも私に縛られていてほしくないというのは、紛れもなく本心。でも、それでもまた一緒にいたいというのも、本心なの」
「…」
「矛盾しているのはわかってる。無謀な願いだってことも」
「…僕からは、何とも」
「嘘。あなたの中では、しっかり答えがあるんでしょ?」
緑色の瞳に射竦められ、ぎくりとするマルツァー。
「…はは、さすが」
諦めたようににやりと笑うマルツァー。
「そうですね、実のところ、僕は無謀だと思っていますよ。今の貴女たちの置かれた状況は、非常に厳しい。無礼を承知で言いますが、アーサーは反逆者だし、貴女は囚われの身だ。どうしたって、それは覆らない。そんな中で願いを叶えるのは、至難の技でしょう」
「…ふふ、そうね。その通り。でも」
彼女は真剣な目をして言った。
「四年間、ただ囚われのお姫様の役を演じていただけじゃないの」
彼女は窓に目を向ける。外側から板を打ち付けられ、何も見ることはできなかった。
「得られる情報はすべて得てきた。足りない知識は補った。私なりに、できることをしてきたの」
「なぜ、そこまで…」
マルツァーの方を向くと、ふっと微笑みを浮かべた。
「私は、探してるの。見つけたいの。私の願いを叶えられる道筋を」
「…」
「馬鹿で夢見がちなお姫様だと思った?」
「いえ、まさか」
マルツァーはゆっくりと首を横に振る。そして、彼女のことをまっすぐに見据えた。
「僕は本当に貴女を尊敬してるのですよ」
マルツァーの眼差しは真剣だった。
「突然囚われの身となって四年。長い年月です。それも、大事な人が命を賭して戦うのを、見守ることすら許されずにいるには。…普通なら、壊れてしまってもおかしくはない」
「…私が、壊れていないとでも?」
「…?」
「あなたに答えは求めないわ。私にだってわからないもの」
うつろな目をした彼女に、マルツァーは少し、眉をひそめた。
「壊れた人間は、自分のことを壊れているかもとは思いませんよ」
「…そうね、そうかも」
その時、時刻を告げる鐘が鳴り響く音が聞こえた。
はっとするマルツァー。
「すみません、そろそろ…」
「ええ、わかってる。…来てくれるだけでありがたいもの」
「おや、貴女がそんなことを言うとは珍しい」
「さすがに失礼じゃない?」
「失礼をしました」
わざとらしくぺこりと頭を下げてみせるマルツァー。
そして頭を上げると、申し訳なさそうにほほえみながら言った。
「ではまた、ジリアン様」
その言葉とともに、マルツァーはその場から消え去った。
「…そんな、同情しないで」
マルツァーのいたところを見て呟くジリアン。
ふと何かを思ったのか、ジリアンは立ち上がって背後を向く。
そこには、魔王討伐を果たした四人の肖像画が豪勢な額縁に入れて飾ってあった。先程、マルツァーが見ていた絵だった。
ジリアンは肖像画をじっと見つめる。
自信にあふれたレオナルド、優しくほほえんだエステル、ツンとした表情のマルツァー、そして。
アーサーの顔だけが、黒く塗りつぶされていた。
上から塗られた絵の具を剥がそうとしたのか、ところどころ削られた跡があった。
「…塗りつぶすくらいなら、飾らないでいいのに」
見えないアーサーの顔を見つめながら、愚痴をこぼすジリアン。その言葉の端は、震えていた。
ジリアンはおもむろに、自身の唇にそっと指を置く。
淡い記憶がジリアンの脳裏を駆けめぐった。
ジリアンの足から力が抜ける。そして、そのまま床に崩れ落ちた。
「…っ、アーサー…っ!」
泣き声を押し殺すかのように、ジリアンはソファに顔をうずめた。
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