太助
『旅は道連れ世は情け』という言葉をご存知だろうか。旅はひとりより連れがいた方が良いってことだ。これは旅行だけのことではない。例えば人生。人生も誰かと助け合った方が良いよってことだ。
別に人生でなくても良いのだ。今オレの物語は修行編に突入している。朝暗い内から目算で約20キロほどを全力疾走、その後休憩という名のすもう。家で朝食を食べたあとは馬術の練習。ここまでは五郎と一緒に行うので、かなりキツいがまあ良い。
午後は庭でひたすら木刀を振るう。これがまあキツい。景色が変わらないところで行うのだ。筋力的にキツいというより脳が飽きたと訴える。
五郎はその間何をしているかというと、満月の夜には見えなかったが庭には小さな岩がひとつどんと置かれている。小さいと言っても人間の子供くらいの大きさはある。それを肩まで持ち上げゆっくりと下ろすを繰り返している。
初め見たときはおったまげた。五郎は人間じゃないのかもしれないと真剣に考えたもんだ。あれをやれと言われても困るので五郎には話し掛けられない。
五郎のことはいい。オレだ。さよが水を持ってきてくれたときは頑張るがそれ以外は正直飽きた。一緒に修行する連れ合いがほしい。
そう思っていると、木の柵の隙間からひとりの小柄な男が近付いてくるのが見えた。
「季長様。」
柵の向こうから五郎を見ながらそう言った。すえなが?だれぞそれ?
「おお、太助か。早く玄関から回ってこい。」
「はい。」
太助と呼ばれた男は玄関に向かう。ちょっと待て。土間にはさよが。いや、五郎の感じからすると馴染みの人間だろう。しかしだ、オレがこの世界に来てから五郎とオレ以外がさよに近付いたところを見たことがない。しかもこいつは若い。若い男だ。
「ちょっとお花を摘みに。」
「は?」
五郎がぽかんとしているのを尻目に縁側に飛び乗り居間を抜ける。すると太助はさよに片膝を突き頭を垂れていた。
「さよ様、お変わりなく。」
「太助、来る度にいちいちそんなことしなくていいよ。」
「いいえ、いけません。これはけじめです。」
なんだか主従のような雰囲気だ。羨ましいぞ。オレもさよに一生の忠誠を誓いたい。足の指の間を舐めたい。そう言えばさよの実父って三郎さんだ。三郎さんの名字は三井さんだ。あきさんが言っていた。ここは三井郷だ。五郎が言っていた。三井郷の三井さん、あの立派な家、三郎さんはたぶん村長みたいな存在だ。さよはきっとお嬢様なのだ。
なんて考えていたら太助は片膝を突いたまま顔をオレに向けた。
「あの男に変なことされてませんか。されてますよね。この場で叩き切ります。」
はあ?変なことなんて…いや、してるかもしれない。いやいやしてない。手も握ってない。そんなことしたら子供が出来てしまう。
「されてないよ。優し…おかしい人だよ。」
ちょっとさよさん?おかしいって何ですか?優しいで良かったんじゃないですか?
「やはりそうですか。叩き切ります。」
太助は立ち上がり腰の刀に手をかける。
「はあ?何?なんなのお前?人の苦労も知らないで。てか、さよに近付きすぎ。」
オレは持っていた木刀を構える。
「さ、さ、さよ、だと。さよ様だろうが。訂正しろ。」
「はあ?オレはさよからそう呼んでって言われたからそう呼んでんの。他人がつべこべ言うんじゃねぇよ。」
「貴様!不敬にもほどがある。いざ尋常に勝負。」
「ちょっと、二人とも…」
「やめんか。」
「あいたー。」
さよが止めようとする前に五郎がオレの頭を後ろから殴った。なんでオレだけ。
「太一郎、花はどうした。はよ摘んでこい。わしはスミレが好きじゃ。」
「え?」
あれ?なんでオレがお花を摘みに行くことになってるんだっけ?
「太助も馬鹿なことを言っとるな。」
「しかし。」
「わしが決め、三井家が賛同したんじゃ。おぬしに文句を言う資格があると?」
「ぐぬ。いえ、ございません。失礼つかまつりました。」
太助は悔しそうに頭を下げる。へっ、ざまぁ。
「季長様、その男は何者なのですか?」
「まだ何者でもない。だから何者にもなれる可能性がある。御家人にもな。」
「しかし。」
「それとも何か?おぬしはさよが菊池に取られても良いと申すか?」
「他の豪族は…」
「肥後で最弱の三井家と底辺まで落ちぶれた竹崎家、縁を結びたいと思う豪族は嫌がらせがしたい菊池くらいなもんじゃ。」
「ぐぬぬ。」
竹崎…誰の名字とか考える前にその単語を聞いた瞬間どくんとオレの心臓が大きく脈打った。竹崎…この世界に来て初めて聞いた単語であるはずなのだが、馴染みがあるような、ないような…
「もう良いな。よし、はよ庭に来い。太一郎も花を摘みに行かぬなら早よ来い。」
五郎に連れられ3人で庭に移動する。さよはホッとした顔をし、こちらに手を振っている。かわいい。
オレと太助は木刀を持って素振りを開始した。
「もうちょっと腕を上げよ。」
オレには何も言わないのに太助には素振りの型を指導し始めた。
「ちょ、オレは?」
「太一郎はまだその段階にないな。」
一蹴された。ちらりと太助を見るとすんごいドヤ顔…くそがっ。
「あ、アシガスベッター。」
「ぐへっ。」
オレは肩から太助に体当たり。太助の体格はオレよりふた回りくらい小さいから軽く吹き飛ぶ。
「てめぇ、やりやがったな。」
太助は殴り掛かってきた。いきなり右ストレートとはちみはボクシングというものを分かってないねぇ。そんなことじゃA級ボクサーには…
「あいたー。やんのかこら。」
オレも太助に掴み掛かる。
「お、いいぞ、やれやれ。素手なら存分にやれ。」
五郎もあおり出した。オレと太助は殴り合い掴み合いの大喧嘩だ。
「おい、さよ、見てみろ、面白いぞ。お、太一郎なかなかやるな、お、その技はなんじゃ。組手甲冑術に似ておるな。」
授業で柔道があったのだ。喰らえ大外刈り!
「ちょっと笑ってないで止めてよ、五郎。」
「がっはっはっ。男は気に入らんことがあれば拳で語り合うのが一番じゃ。権謀術数なんて大嫌いじゃ。くたばれ菊池!」
オレと太助は存分に殴り合った。二人とも目の上が腫れ顔が歪む。
「ふむ、もう良いか?よし、素振りじゃ。」
五郎は容赦がない。オレと太助は顔をぱんぱんに腫らしながら素振りを開始する。五郎は岩を持ち上げ出す。
「なあ、チビ。」
「チビじゃない、太助だ。」
くそ、顔が歪んで喋りにくい。
「もしかして、お前さよが好きなの?」
「ななななななな、そそそそそんなわけ。」
そういうことらしい。分かるよその気持ち。さよはかわいいもんな。
「さよ様が生まれてからずっとさよ様を守ってきたのだ、そんな、すす好きとか、そんなのではない。」
「ふーん。」
「それにオレはもう結婚した。子供もいる。嫁が怖い。だからそんなのではない。」
「はあ、妻帯者なのお前。」
「お前も見たことあるだろう。」
「は?お前の家どこ?」
「隣だ。」
あー、見たことあるわ、挨拶もしたわ、赤ちゃん抱いたふっくらした気の強そうな女の人。たまに外で母乳あげてるから目のやり場に困るのだ。
「みのが言うのだ、お前が格好いいと。」
太助がすんごい悔しそうに言った。へえ、今までそんなこと言われたことないけど。この世界にオレの顔が合っているのだろうか。
なんだよ、焼き餅かよ。それでやたら突っ掛かってくるのか。
「心配すんな、オレはさよ一筋だ。」
「だから、さよ様と、まあ良い。なあ、お前。」
「お前じゃない、太一だ。」
「太一、死んでもさよ様を守れよ。」
「もちろんそのつもりだが、手柄立てないとなんだよなあ。」
「それでも守れ。ここだけの話だがな。」
太助は五郎に聞かれたくないのか小声になった。
「鎌倉殿が幕府なるものを開いてからは世の中が安定してしまった。お前や季長様が手柄を立てられるような大きな戦はもうないかもしれん。」
む。鎌倉…幕府…聞き覚えあるなんてもんじゃない。いい国作ろう鎌倉幕府だ。じゃあなんだ?ここは異世界じゃなくて日本の鎌倉時代?モンスターとか狩って出世したりしない?
手柄を立てられないのは困るが平和ってのは良いもんだ。いや待て、ここは内政無双の出番ではないか?内政無双って何すればいいんだっけ?悪い領主を懲らしめるんだっけ?ここの領主って誰だ?三郎さんだ。さよのお父様だ。懲らしめられるかっ。
んー。他は…じゃがいもか。じゃがいもで収穫量アップだっけ?じゃがいもってどこで手に入れるんだ。んー、分からん。あ、詰んだ。あー、さよごめんなさい。オレたちは結ばれない運命なのかも。
「おい、聞いてるか?顔が絶望で染まっているぞ。」
「詰んだ。誰だ、高校の勉強なんて大人になってからは使えんとか言った阿保は。オレか?」
「何訳のわからんことを言っておる。」
「太助。オレはどうすればいい。どうすれば、さよを守れる。」
「強く、強くなるしかない。」
強く…か。もちろん武力だけではないだろう。経済的とか政治的とか、そういうのを総合してなのだろう。
「おい、太一郎、太助。もういいぞ。」
五郎がオレたちに声を掛けた。気付けば空に夕日が差していた。太助のお陰であっという間の素振りだった。
「ご飯出来たよー。」
家の中からさよの声が聞こえる。結婚出来ぬまでも守りたい、この生活。真っ赤に染まる空の下、オレと太助は顔を見合せ頷き合ったのであった。