一目惚れという病
『一目惚れ』という言葉は皆さんよくご存知だろう。かくいうオレもご存知だ。読んで字のごとく一目見て惚れるというやつだ。創作物の中によく転がっている。いや、現実世界にも転がっているのかもしれない。しかし、オレの前には転がって来なかった。オレは『一目惚れ』をひとつの病気と仮定したい。だって、体温が高くなり呼吸が荒くなり、動悸が激しくなるのだ。それは正しく病気だろう。経験したことないのに良く分かるなだって?ちゃんと過去形で書いたじゃないか。だって今オレはそんな状態なのだから。
「た、た、太一と、も、も、申します。」
ああ、くそっ、言葉が上手く出ない。おかしいどうしてだ。普通に残念な気持ちで三井家を出たはずだ。そして五郎が向かった先が傾いた家だったことに少なからずショックを受けていたはずだった。
「帰ったぞ。」
五郎はそう言いながら扉を開けた。開けた先の土間で着物姿の女性が忙しそうに炊事をしていた。
「あ、五郎、お帰り。遅かったね。」
そう言ってその女性がこちらを向いた。いや、女性じゃない、女の子だ。若い女の子だ。高校生くらいだ。浅黒い肌にぱっちり溺れ落ちそうな瞳の女の子だ。ぷっくり柔らかそうなほっぺの女の子だ。可愛いしか表現できない女の子だ。顔の半分くらいあるんじゃないかっていう目がかわいい。手入れする道具もないのに彼女なり一生懸命手入れしてるであろう髪の毛を後ろで縛ってるのがかわいい。かわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいい、かわいいが押し寄せてくる。なんだこれ、体が動かない。金縛りか?陰陽術か?
「ん?だれ?」
その女の子はオレに気付いた。オレと目が合った。ああ、吸い込まれそうだ。ビリビリっとオレの体に電流が流れるのを感じた。何処からか攻撃を受けているようだ。
「おう、太一郎じゃ。道に落ちとった。」
「もう、またぁ、物みたいに言わないの。」
ちょっと待て。なんだこの五郎と美少女の仲の良さは。ままままさか嫁じゃないだろうな。断固反対だ。どこの馬の骨とも知れない五郎にこんな美少女をやれるかっ。
「た、た、太一と、も、も、申します。」
「たたたいち?へんな名前。」
「違います。太一です。太一郎じゃなくて太一です。」
「太一ね。ご飯まだでしょ。食べて食べて。」
「頂きますが、その前に聞かねばならんことが。」
「ん?何?」
「まずお名前を。」
「あ、まだだったね。私はさよだよ。」
さよさよさよさよさよさよさよ。素晴らしい。天上天下この名前より素晴らしい名前は存在しない。オレが認めない。
「で、さよさん。」
「さよでいいよ。」
「え?あの、さ、さよ。」
「はい?」
「お二人の関係は何ですか?」
さよと五郎は顔を見合わせた。ああ、いやだ。聞かなければ良かった。こんな美女と野獣のカップルなんていやだ。神様仏様どうか。
「「義理の親子」」
二人は同時に答えてくれた。つまりはそういうことらしい。この世に神は存在した。その証明はなされた。
「義理ってどういうことですか?」
「まあ、それは飯を食いながら話そう。上がれ。」
五郎は草鞋を脱いで居間に上がった。
「何か手伝います?」
オレは気が利くアピールをさよにする。
「いいの?じゃあ、ちょっと待って。」
さよはお椀にご飯を盛り付け味噌汁を入れる。それをお盆に乗せる。メニューはご飯と味噌汁と漬物だ。まさに和だ。
「これ運んで。」
「はい。あ、足拭くものないですか?」
オレはまだ裸足なのだ。
「いいよ、そのまま上がって。」
「はい、もう一膳もてますよ。」
「ありがとう。これが五郎で、こっちが太一ね。」
オレは両手に二膳持って土間から上がる。そこは板の間だった。奥に五郎がどんと座っている。五郎の前に一膳置く。
「男の仕事じゃないじゃろう。」
「五郎は分かってないですね。家事が出来ない男はもてませんよ。」
「なんじゃそりゃ。」
さよも自分の分を持って居間に上がってきた。さて手を合わせて。
「「「いただきます。」」」
オレと五郎は味噌汁に手を伸ばしずるずると啜る。少し出汁が薄いがここの生活水準じゃこんなもんだろう。十分うまい。考えてみたらこれさよの手料理だよな。世界一うまい。
さよは二人が手をつけるのをじっと見て少ししてから食べ始めた。やだ、何これ、かわいい。が、なんか申し訳ない。
「わしはな。」
五郎は早々とご飯を食べ終わり箸を置くと同時に語り出した。
「菊池という豪族の傍流の生まれでな。しかし、まあ、なんだ、権力争いに負けての。その最中妻は死んだ。元々体の弱いおなごじゃった。」
マジか。こんな五郎も苦労してきたんだな。
「それで姉の嫁ぎ先であるこの三井郷に逃げてきたというわけじゃ。」
「さよは?」
「さよは三郎兄の前妻の子でな。養子にもろうた。まあ、わしひとりでは生活もままならんでな。」
あきさんの子かと思ってたら三郎さんの方か。ちょっと待て。五郎とさよは血が繋がってない?危ないよ、それ。
「再婚はしないんですか?」
「嫁はもういらん。あんな辛い思いはもうこりごりじゃ。」
「……」
オレとさよが結婚しました。さよが死にました。あ、オレ気が狂うわ。
「ここからが本題じゃ。」
ここから?今までで十分重かったが?
「さよに縁談話が来とってな。」
「は?」
おい、うそだろ?やっぱり神はいないのか?
「菊池からじゃ。」
「……」
「絶対やらん。」
「私もいや。」
オレも断固反対です。デモ隊結成して座り込みます。夜なべして横断幕作っちゃいます。
「太一郎。」
「ん?」
「お前何でもいいから手柄立てろ。」
「え?なんで?」
「そしたら、さよをやる。」
「え?」
「え?」
オレはきょとんとした。さよもきょとんしている。
「どうじゃ?いらんか?」
いるかいらんかで言ったらいる。え?いいの?なんか都合良くない?いや、ここは男を見せる時ではないか?異世界来てすぐのご都合展開、なろうにはよくある話じゃないか。
「お義父さん。」
「まだお義父さんじゃない。」
「さよを僕にください。」
「話聞いとるか、おぬし。手柄を立てたらじゃ。陰陽術とか馬鹿なこと言っとれんぞ。」
「任せてください、お義父さん。」
オレはガバッと立ち上がる。
「やるぞ、やってやるぞ。おーーーー。」
「はぁ、やっぱりダメかもしれんな。」
五郎は頭を抱え、さよは口を抑えくすくすと笑っていたのだった。
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この日は三人で夜まで語り合って過ごした。と、言っても基本的に五郎が菊池さんの愚痴を言ってそれをオレとさよが聞く感じだ。さよが五郎の養子になったのは3年前らしい。さよは菊池さんに会ったことないらしいが、3年間毎日こんな愚痴聞かされたら菊池さんのこと嫌いになるわな。
ちなみに五郎は現在28歳、さよは17歳。五郎…もっと上だと思ってたよ。
昼にはさよがおにぎりを握ってくれた。具も海苔もない塩にぎりだ。しかし、考えてほしい。さよが素手で握ったのだ。これ以上の料理は存在するだろうか?1日語り合ったお陰で二人とずいぶん馴染めたと思う。
外が暗くなりさよは違う部屋に行った。オレと五郎は居間で雑魚寝だ。敷き布団もタオルケットもない。まあ夏らしいからいいけどさ。エアコンも扇風機もないけど、そこまで暑くない。今日1日でいろいろありすぎたからすぐに眠れるだろう。
と、思ってた時期もありました。五郎の爆音のいびきと蚊で眠れない。壁に隙間が多すぎるのだ。
オレは起き上がりそっと木の扉をあけ、縁側に出て腰を下ろす。小さな庭があり木の柵で覆われている。空を見上げれば満月が見えた。
今朝オレは令和の名古屋にいた。熊本の松橋駅に着いたと思ったら、いつの間にか異世界だ。1日でずいぶん遠くまで来たもんだ。
目の前でオレが消えたばあちゃんは心配しているだろうか?しているだろうな。申し訳ないことをした。不可抗力だが。
「眠れないの?」
オレが物思いにふけっていると不意に後ろから声が聞こえた。いつまでも聞いていたいかわいい声だ。ろうそくを乗せた燭台を持ったさよが立っていた。昼間の着物とは違い、薄い浴衣だ。しかも軽くはだけている。オレは思わず唾を飲み込んでしまう。
「五郎のいびきがね。」
「ああ、そっか。」
さよは燭台を縁側に置きオレの隣に腰を下ろした。
「ごめんね、変なことに巻き込んで。」
「変なことじゃないさ。五郎に拾われて良かった。」
五郎はあれで優しい男だ。拾ってくれたのが五郎じゃなければオレはもうこの世にいないかもしれない。
「太一は帰らなくていいの?家族いるんでしょ?」
「うん、両親に兄に弟…でもたぶん帰れない。」
「そうなの?遠いの?」
「たぶんめちゃくちゃ遠い。」
なんせ異世界だ。距離なんてプライスレスだ。もう会えないのだろうか…そう思うと寂しいな。親孝行も出来なかった。
「あれ?泣いてる?」
「泣いてなんかないやい、これは汗だい。ぐすん。」
「なにそれ。」
「さよ、家族になってください。」
「これから一緒に住むんだから家族じゃない?」
「いや、そうじゃなくて。」
「ああ、そういう。手柄を立てたらね。」
「え?良いってこと?」
「家長が決めたみたいだからね。」
「そういうもの?」
「そういうもの。」
ここの世界観だとこういうものなんだろう。さよと結婚したいがこのままだと悔しい。
オレのこの世界での目標が出来た。ズバッと手柄を立てる。そしてさよに惚れてもらう。刀も陰陽術も使えない、恋愛経験もないオレにはどうしたらいいのかさっぱり分からない。でも、やるしかない。やるしかないならやってやる。オレは満月とさよにそう誓ったのであった。