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ヤギモドキ

作者: 京本葉一

 長きにわたるダイエットウォーズは、妻の全面敗北という形で終結した。


「わたしの棺桶には、コンビニスイーツを詰めこんで」


 遠ざかる理想。報われぬ努力。万感の想いを秘めながら、妻はシュークリームを手にとり、味わい、涙を浮かべ、静かに笑みをこぼした。すべてを許したもう聖母のごとく慈しみを感じさせる妻がいた。口の端についた生クリームをそのままに、「全種ね、全種よ」と念を押してくる妻がいた。


 無条件降伏を受け入れる。

 それはつまり、好きなものを、食べたいときに食べたいだけ食べるということ。


 恐るべきことだ。リンゴしか食べていないのに体重が増加した妻が、糖質と脂質を制限なく摂取している。しかし、夫である私が止めることはない。世界チャンピオンに挑むボクサーのように鋭い眼光を放っていた妻が、笑顔であるからだ。お好み焼きを食べてニコニコしているのだ。そのマヨネーズを、どうして止めることができるだろう。


「炭酸飲料の一気飲みなんて、何年ぶりかな」

「チャレンジするのは結構だけれども、途中で爆笑するのはやめようか」

「どうして?」

「ホットプレートの惨状をみてほしい」

「悲惨ね。飛散して」


 私たちはすべてを許していた。

 くだらないことを楽しめるだけの余裕があった。


 たとえ待ち受ける未来がどのようなものであっても、今このときが幸せであったなら……なんてことを考えながらの生活が三週間ほど続いたころ、私は気づいた。

 太っていない。

 寝息をたてながら圧しかかってくる妻の体重が減少している。

 なにも気にしなくなった妻は気づいていないが、理想の体型に近づいている。


 一体どういう原理なのか。


 努力や我慢を放棄したことにより、強烈なストレスから解放された結果だろうか。いつ何を食べても悔いを残すことはない盤石の精神力が為せる御業か。いくらでも食べるから、栄養状況を心配しなくなった肉体が溜めこまないように適応したのか。それとも妻の体内にいる腸内細菌たちが変異を起こし、特殊な成分でも出しはじめたのか。


『メェー』


 就寝時、なにか聞こえた気がした。耳をすましていると、妻の寝息のほかに、どこからか『メェー』という鳴き声のような音が聞こえる。

 どこからか。

 妻のお腹あたりから。

 私は妻のお腹に耳を当てた。『メェー、メェー』と、ヤギの鳴き声のような音がする。ヤギであるはずがないから一頭でも二頭でもないが、複数いる気がする。

 よくよく耳をすまして音をひろう。やはりグゥーでない。腸の蠕動運動ではなさそうだ。もしかして「うんめぇ~」とか言ってないかと気になったが、妻の体内に知らないオッサンがいるはずもない。やはり『メェー』としか聞きとれない。

 細菌は鳴かないだろう。寄生虫は『メェー』と鳴いたりするのだろうか。まさか寄生じゅ……。


「妻のお腹のなかに、ヤギをよそおった何かがいる?」


 恐るべきことだ。しかし、不穏な響きではない。この何かが妻の体型変化に関係している可能性は否定できない。すべてを許したもう聖母パワーが具現化したものかもしれない。この獣の鳴き声ような音を発する現象、あるいは何かは、悪いものではないとおもってよいのだろうか。


『メェー』


 聞いていると、いつの間にか眠っていた。この牧歌的な響きには睡眠導入効果があるらしい。安眠効果も抜群だった。

 それは夜な夜な鳴いている。

 妻が寝ているときだけ鳴いている。

 気になって気になって仕方がないせいか、毎朝の目覚めが爽やかでならない。


「ヤギのふりねぇ……草食アピールかしら」


 思いきって妻に打ちあけたものの、お腹のなかにヤギモドキがいるくらいで危機感を覚えることはないらしい。理想の姿に憧れ、それではない自分を否定していた妻はもういない。抗い、戦い、疲れ果て、願望を捨てた妻は、どんな自分であっても無条件で受けいれる。


「今年のクリスマスは……ふふっ」


 すでに頭のなかはクリスマスケーキであふれている。妻が幸せであるのなら、私がすることはなにもない。忘れよう。今年はサウナスーツもいらない。おいしいケーキをおいしくいただこう。そうだ、フライドなチキンも食べたい。


「チキンは?」

「愚問ね」


 にんまりとたくらむ妻のスマイルは、自信に満ちて輝いている。


「メリークリスマス」

「ハッピークリスマス」


 期待と喜びがふくらみ、クリスマス前なのにクリスマスを祝う言葉を交わした。チキンやケーキをそろえる前から、私たちはとても気分がよかった。

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