すり抜けていく(2)
「……なあ」
「ん?」
「そこまでレーゼが擁護するのは…………会いたいと言っていた人が────皇帝だからなのか?」
彼の発言に目を丸くして見つめてしまったのは仕方の無いことだろう。私はどう反応するのが正解か分からず、否定する必要も無いような気がしたので首肯することにした。
「去年の夏、海での会話のことよね?」
「ああ」
「そうよ。私はずっとずっと皇帝陛下に会いたかった。陛下にお会いするために侍女になったの」
卒業前、最後の夏休みに行った旅行でアレクに聞かれた。どうして皇宮の侍女になるのかと。ユースと同じように働く必要なんてないじゃないかと。
その際、言ったのだ。会いたい人が皇宮にいて、会うために侍女になるのだと。
彼は覚えていたのだろう。ユースのことになると熱心になる私に疑問を持ち、過去の会話と結びつけたのだ。
「どうして」
「どうしてって?」
「陛下にこれまで会ったことないだろ。俺だって文官になる以前にお会いした回数は、片手の指分も埋まらないんだ。まして、レーゼとなれば俺よりも会う機会はないだろう?」
その言葉は私に重く伸し掛る。勝手に心臓はズキズキと痛みを覚えていて、ひとりで苦笑する。
そのまま受け流せばいいのに、反論してしまう。
「あるわよ。私は昔の陛下をよく知っているもの」
幼少期のことなら誰にも負けない自信がある。大人になった後のことは負けてしまうけれど。
「そんなわけないだろ。会ったことがあるだけなら分かるが、よく知っているって何言ってるんだ?」
「信じてくれなくてもかまわないわ。そこら辺、アレクには関係ないでしょ」
何も関係ない。首を突っ込む必要はない。疑問を持つのは理解できるが、いつもよりやけに突っかかってくるアレクにモヤっとしてしまい、突き放す言い方になってしまった。
アレクは押し黙ってしまい、空気が重くなる。
「…………ごめん。もう時間だから先に行くね」
自分が招いた結果なのに居ずらくなってしまい、真っ赤な嘘を吐いてアレクから逃げようとすると、アレクが私の右手を掴まえ、立ち上がろうとしていた私の動きを制した。
「関係ないわけないだろ。あるに決まっている」
「?」
覚悟を決めたかのような強い眼差しに一瞬囚われる。透き通る紫水の瞳には困惑する私が映っていて、彼の纏う雰囲気の切り替わりについていけない。
「俺は──」
続く言葉が私の耳に届く前に、アレクは私の背後に視線を移して瞠目した。
「──テレーゼ」
そうして不意に差した影と声に全てが遮られた。突如現れた人物は間髪を入れずに視界の横から手を伸ばし、アレクに掴まれたままだった私の右手を手中に収めた。
取られた右手につられて首を動かす。
「ここにいたのか」
「…………陛下」
ユースは糊の利いたシャツに軽い上着を羽織っただけで、帯剣しているのを除くと皇帝にしてはラフな格好だった。
「……何か御用でしょうか」
「いや、特にない。用があるのはララだ。彼女が探していた」
ぶっきらぼうに言い放ったユースは自身の手に収めた私の手を解放した後、頭を垂れたアレクに目を向ける。
「頭を上げよ。邪魔したようだな」
「いえ、とんでもないことです」
アレクは立ち上がり、私に言った。
「呼ばれているんだろう? 早く戻った方がいい」
「うん、そうだけどアレクは何か言いかけていたよね? その話はもういいの?」
さっきは珍しく真剣な様子の彼にこちらまで異様に緊張してしまった。
ユースが現れ話が中断したことにほっとしている自分に少し嫌悪を覚え、そんな罪悪感から続けるよう促してみたけれど彼は首を横に振った。
「…………今はいい。また日を改めて話してもいいか?」
「もちろんよ。埋め合わせするから空いている日にちを教えて」
「ああ」
気まずさはあるものの、表面上は普段通りにまたねと手を振ってアレクとは別れた。




