降りかかる(1)
「どうして貴女なんかが陛下のお気に入りになっているのよ!」
ヒステリックな声と共に乾いた音が部屋に響いた。
「一体どんな小細工をしたの? 伯爵家の分際でっ」
立て続けに違う令嬢からも無事だった左頬を平手打ちされた私は、よろめいて尻もちをついた。
(…………遅かれ早かれこうなることは想像していたけれど歯を食いしばっても中々痛いわ)
ひりつく両頬と固い床にお尻を打ち付けた痛みに涙が滲む。このような今年一番の最悪な状況に陥った理由を説明するには時を少し遡らなければならない。
◇◇◇
何故か午後の休憩時間だけユースの給仕を担当することになった私は、今日はどのお菓子を紅茶に添えようかと厨房で悩んでいたのだが、そこにずかずかと怒りの形相の侍女が闖入してきたのだった。
侍女の格好としてふさわしくない豪奢な髪飾りに、舞踏会に行くかのような隙のない化粧を施しているその人を、私は一方的に知っていた。
「ヴェローナ様いかがいたしましたか──っ!」
彼女は私の問いに答えることなく、流れるように机上に置いてあったティーポットを掴んで中身を私に向かってぶちまけた。
反射的に顔は腕で庇ったが、それでも庇いきれなかった箇所に沸かしてまだ数分しか経っていなかったお湯がかかる。長袖のお仕着せを着ていたことで大部分は布越しになったが、一部は直に湯に触れたのだ。その熱さに顔を顰め、呆気に取られている間に腕を掴まれ、強引に厨房から連れ出される。
お湯を被って上半身が濡れている不自然さにすれ違う者が二度見してくる。ヴェローナ様はお構い無しにずんずんと進み、皇宮の中でも人の寄り付かない、今はもう誰も使用せずに物置となった部屋に私を押し込んだ。
よろめきながら足を踏み入れると部屋の奥にはこれまた一方的に見知った顔が何人か待ち構えていた。
そこで私は悟ったのだ。ああ、目立ちすぎたんだなと。
(皆さん、コネを使って皇帝付きになった高位貴族のご令嬢方だわ)
皇帝付きの侍女は主にふたつに分かれていて、ララのように優秀な人材をその才能で起用したパターンと、主に親のコネでねじ込んだ、仕事そのものにはやる気がなく、ただユースのお手つきに──皇后になりたい令嬢のパターンだ。
私は伯爵家なのでどう頑張ったって後者は無理。そのため最初から前者のやり方でユース付きの侍女の座を射止めたいと思っていたのだが、今私のことを睨みつけている方々は後者にあたる。
この怒り具合と以前のヘンドリック様の驚き具合から、きっとユースが命じた私の扱いは異例中の異例で特別扱いなのだ。
仮病を使って休んでいる間に、気にもとめてなかった下っ端の侍女が、事情がどうであれ皇帝の気を引いているとなれば気分が悪いだろう。
私がユースのお気に入りになったと思っても仕方ないかもしれない。
(ああ、頭が痛いわ……どう切り抜けようかしら)
彼女達を刺激せず穏便に事を解決する方法について悩んでいたところ、彼女達が手を出してきて冒頭に戻るのだ。
ユースの花嫁の座争いは私の預かり知らぬところでやってほしい。参戦する気なんて更々ないし、高位貴族の恨みはお兄様たちにも迷惑がかかるので買いたくない。
「この売女がっ」
唾を吐きながら嫌悪を露わにするヴェローナ様は侯爵家のご令嬢で私のふたつ上のお方だ。大輪の花だと社交界で評される面影は一切なく、罵詈雑言を吐くその顔は醜い。
(とにかく今は彼女達の怒りをできる限り鎮めるのが先決)
「わたくしたちを差し置いて、何の取り柄もない貴女がどうして!!」
「わかりません。はっきりしているのは、皆様が体調を崩されている間だけ代役としてお茶汲みをするよう侍女長から指示されたことだけです」
「嘘おっしゃい! なら何故わたくしたちが復帰した後も貴女の仕事になっているのよ!」
(そんなの知るわけないじゃない! ユースに聞いてほしいわ!)
真っ向から反論すると火に油を注ぐだけなのでぐっと堪える。
「ま、いいわ。ここで反省してなさいな」
ヴェローナ様に頤使された取り巻きの侍女が私に近づいてきたので叩かれるのかと思ったのだが。
これまでとは打って変わって私に伸ばされた手は優しくて──カシャンと音がした途端無防備だった両腕が重くなる。
は? と視線を落とすと見るからに重たそうな枷が付けられていて、枷から伸びる無機質な鎖は部屋に備え付けられていた真鍮製のキャビネットの柱に繋がっていた。
ヴェローナ様はこれ見よがしに鍵の束を私の前で回してみせた。
(さすがにこれは)
さぁっと血の気が引いた私に満足したのかヴェローナ様は妖艶に微笑む。
「忘れていなければ帰りに出してあげるわ。──身分を弁えず出しゃばる貴女が悪いのよ」
くすりと笑って無情にも鍵のまわる音がした。




