とある公爵夫人の独白(2)
刑が執行されたその日の朝は雲ひとつない清々しい青空が広がっていたのに、突如大粒の雨が降り注ぎ、雷鳴を轟かせた。
それはまるで本日行われた処刑が過ちであることを神が示しているように思えた。
非公開とされた友人の処刑にエリーゼは立ち会えず、せめてイザベルの最期の場所だけでも目に焼き付けようと、処刑場の封鎖が解かれると直ぐに足を踏み入れた。
差した傘に打ち付ける雨音は足音をかき消す。気温も低く、霧が立ち込めていて数メートル先の視界も明瞭ではない。
それでも靄の中に冷然と佇む断頭台とその刃が朧げに現れ、足を進める毎に雨の中に血の臭いが混じり始め、大好きで大切な友人はもうこの世にはいないのだと、全てが終わってしまったのだと再確認した。
(…………結局私はベルのために何も出来なかった)
父に止められ、母にも危ない真似はやめなさいと窘められ、自分だけならまだしも家族が巻き込まれる可能性がある以上、二の足を踏んでしまった。
届くはずがないのに、自室でごめんなさいと泣いて懺悔し、せめて死者が向かうという天国で幸せに暮らせるよう、今日は朝早くから神殿で祈りを捧げた。
エリーゼは祭祀を担っている事情から一般の信者と比べれば女神に思いが届くだろうと信じ、大司教に許可を貰った上で神殿内部の図書館で資料を漁り、大っ嫌いな長ったるい祝詞を調べあげて祈ったのだ。
腕に抱いた花束に目を落とす。
世間では大罪人として報道されている友人の処刑だ。
ただ首を落とすだけでは罪に釣り合わない。もっと痛めつけて殺すべきだと何も知らない市民達は豪語し、貴族たちは予想通りランドール公爵家を責め立てるか、傍観者しか存在しなかった。
そんな空気の中で処刑に立ち合った重臣達は皇帝の機嫌を損ねぬよう、処刑後献花しないだろうとエリーゼは街で購入したのだ。
霧は濃い。雨足も強いのでエリーゼの歩く舗装されてない土の道はぬかるんでいて一歩踏み出す毎に泥が跳ねた。
そんな悪天候なので、はっきりと断頭台を視認した時になってようやくその下に座り込み、胸を押さえた人影を目にした。
傘も差さず、全身びしょ濡れで微動だにしない。けれども、彼の背中を覆っている漆黒のローブに描かれた紋章をエリーゼは何度も目にしたことがある。
「…………皇子殿下」
思ったよりも大きな声で呟いてしまったみたいだ。エリーゼの声は雨にかき消されることはなく、青年の耳に届いた。
座り込んでいた青年の身体がゆっくりとこちらを向く。
エリーゼは悲鳴をあげそうになった。喉が引き攣り、口元を手で覆う。
なぜなら彼の前面が赤く染まっていたからだ。白かったはずのシャツに手袋、頬にも微かに赤い何かが付着していて降り注ぐ雨に流され滲んでいた。
全身にこびりつくその赤い付着物は言うまでもない。
(この方は……第三皇子だわ。名前は確かユリウス殿下)
だが、第三皇子は皇子の中で唯一戦場に指揮官として出陣していたはずだ。ここにいるはずのない人物が、血まみれで友人の処刑場に座り込んでいる。異様な光景に理解が追いつかない。
立ち上がったユリウスはグイッと頬に付いた水滴を手で拭うが、手袋にも血が付着していたので却って汚れた部分が拡大しただけだった。
目に映るもの全てが敵だと認定しているような鋭い凍った蒼の瞳に、切れた唇から冷ややかな言葉が発せられる。
「貴女はベルの友人だったエリーゼ・アエステッタか?」
飛び出した愛称に目の前の皇子が友人と親しい仲であることを悟る。
(それにこの声どこかで)
記憶を漁る。イザベルにはエリーゼの知っている範囲では親しい殿方は存在していない。そもそも異性との交流は必要最小限に留めていた。
それでもずっとそばに置いていた、共に行動していた人物をエリーゼは知っていた。
最初は護衛騎士なのかと誤解していたが、彼女に聞くと一緒に暮らしていて家族のようなものらしかった。
仮面をつけて顔を隠していたその人物の話をする時だけ、イザベルは心底嬉しそうで乙女のように頬を薔薇色に染め、最近ではようやく恋心を自覚したと同時に失恋したのだと泣きついてきた。
『あの人はね、何物にも染まらない濡れ羽色の髪に、この世で一番美しい宝石のような蒼い瞳を持つ人なの。他の人がどう言おうが、私は彼のことが大好きなのよ』
ふふっと照れながら教えてくれたまだ恋心を自覚していない頃のイザベルを思い出す。
すっと正面からエリーゼはユリウスに対面する。
目の前の皇子は濡れ羽色の髪こそ健在だが、瞳は憎悪に濁りきりお世辞にも美しいとは口にできない。けれども──
(…………そういうことなの)
点と点が線で繋がり、友人の想い人は目の前の人なのだと直感的に確信した。




