とある公爵夫人の独白(1)
「エリーゼまたね!」
屈託ない笑顔と馬車の窓からこちらに向けて大きく振られる手。それが自分が見た友人の最後だった。
イザベルが投獄されたと知ったのは、彼女に死刑が下されたことを父から知らされた時だった。
朝早くから皇宮に出かけた父は、行きよりも老けた顔でエリーゼに書斎に来るよう言ったのだ。
「い、ま、何と仰いました……?」
十数年過ぎた今でも鮮明に覚えている。落ち着いて聞いてほしいとエリーゼの両肩に手を置き、気落ちしている父の瞳には顔の引き攣った自分が映っていた。
父から告げられた話が現実のこととは思えなくて、一瞬これは夢なのかと錯覚したくなるほど信じたくなくて。けれども、いつも冗談を言って笑わせてくる父がこれまで見たことないほど真剣な顔であるのと、ここ最近ため息ばかりで顔が暗かったことを合わせると本当のようだとも思った。
「皇女殿下がお亡くなりになった」
エリーゼは震えながら父のシャツを強く握りしめて叫んだ。
「私が知りたいのはその後のことですっっ!」
皇女が皇宮で惨殺されたことは既に帝都中に広がっていた。犯人はその場で捕らえられ、収監されているとも。衝撃的な事件に煽られてその事件が発生してから二週間ほど、平均と比べて街での犯罪が増えたという。
エリーゼも他の友人達とまさか皇女殿下の身に降りかかるとは……自分たちも用心しないといけないわと話していたのだ。
「殿下を……刺殺した……その人物の名は────」
無情にも父が告げた名は容赦なくエリーゼの心を突き刺した。
「──イザベル・ランドールだ」
(う、そ、でしょう?)
足に力が入らなくなりその場にへたりこんでしまう。
(ベルが? 皇女殿下を? どうして? 殺す理由なんて何一つないじゃないっ!)
親友と言っても過言ではないほど親しい付き合いだった彼女は、溌剌としていてきらきらと常に輝いているような人物だった。
皆と同じく愚痴ることもあるが、基本的に人のことを悪く言わない。表情豊かで誰とでも仲良くなり、慕われる。人を恨んでましてや殺害する人物ではないことは確かだ。
「残念ではあるが、皇族を殺めた罪は重い。彼女は死刑が確定した」
頭が真っ白になり、上手く頭が働かない。
「お前とは親しかったが……このような事件を起こしてしまう人物だったということだ。イザベル嬢のことは忘れなさい」
まるでイザベルのことを悪党のように言ってくるので、エリーゼは反論する。
「ベルはそんなことしませんっ! きっと何かの間違いです! そうだ。わたし、私だけでもベルの味方になって何か……」
──出来ることをと続くはずだった言葉は父に遮られた。
「馬鹿な真似はやめなさいっ」
ぴしゃりと強い語気にエリーゼの動きは止まり、酷く泣きたくなってしまう。
エリーゼはイザベルが犯人ではなくて冤罪だと確信していた。その上で自分の大切な友人が罪を被せられ、命の危険に晒されているのだ。助けたいと思うのは当然の帰結だろうに。
「馬鹿? 馬鹿と仰いました? 馬鹿なのはお父様の方ですよっ。ベルは冤罪です! 犯人は大剣で胸を一突きしたと聞いています。騎士の家系とはいえ、訓練していないベルになせる技ではありません!」
父はそこで初めて感情を顕にしてくしゃりと顔を歪ませた。
「そんなことは分かっている!」
父は顔を手で覆った。
「私だってできるのならば……お前と同じように公爵を助けたいさ」
(その言い方は……まさか)
「…………公爵様も?」
反応はない。だがそれは肯定したと同義だ。
(ありえない)
なのに父は泣きそうな顔でエリーゼに言うのだ。
「まだ公にされていないがランドール公爵、イザーク殿も反逆罪で捕まっているのだよ。父と娘、それぞれこの帝国で重罪とされる罪を犯したことにより、ランドール公爵家は取り潰しだ」
──出来すぎている。そう思い、裏で誰かが手を引いているのではと疑ってしまう。
きっと父も同じ考えなのだろう。強く拳を握りしめ、震えていた。
「それに、イザベル嬢に関しては自白があるのだ。私もこの耳で彼女が『皇女殿下を殺した』と発言するのを聞いた」
理解を拒絶して首を機械的に横に振るエリーゼの両肩に再度手を置き、父は娘に言い聞かせる。
「いいか、これだけ証拠があり、その中には皇帝陛下の証言も含まれている。不可解な点があるとしても、逆らっては私達に累が及ぶ。たとえ異議があったとしても口にしてはいけないよ」
「…………ベルに、会うことはできますか」
せめてそれだけでも許してほしい。無性に会いたい。彼女の口から何があったのかを聞きたい。
(彼女には味方がいない)
敵までは行かないが、我が身可愛さで傍観者となるだろう。
だからエリーゼだけでも無罪を信じていると伝えたかった。
「会うことはできない。許可が下りないのだ」
その返答に父も試みたことを察する。
「嫌です。お父様、受け止めきれません」
「だが、どうにもできないのだ。本当に────惜しい人を亡くした」
過去形の言葉にああ、父の中では変わることのない決定事項なのだと、両親の爵位に守られているだけの自分にできることはないのだと絶望した。




