懐かしい友人(2)
「まずはお礼を言わせてください。娘の件でご尽力いただきありがとうございました」
「か、顔をお上げくださいっ!」
思わず声を張り上げ、ソファから立ち上がった。
何度も言うが公爵家と伯爵家では家格に圧倒的な差がある。本来、私から声をかけることははばかられ、たとえエリーゼが私に用があるとしても、自ら向かうことはないのだ。
なのに自ら足を運んだのは、それほど今回の件で私を立てているということだ。
今年は立て続けにユースやフローラと遭遇し、距離はあるものの自然に会話しているので忘れてしまいそうになるが、今世での私の地位に比べるとエリーゼも含めて全員雲の上の存在なのだ。
そんな至高の存在に頭を下げられるなんてお父様が知ったら真っ青になることだろう。
「あの、私……頭を下げていただくようなことをご令嬢にしたわけではありません」
「いいえ、大したことですよ。娘は貴女の助言で劇的に改善していました。恥ずかしながら祭祀に携わっていた私でさえ気づかなかった部分でしたのに。聞けば、テレーゼ様はシルフィーア語が堪能とのこと」
(やっぱりエディトは私のことを全て話してしまったのね)
元祭祀担当者として上達したエディトに疑問を持つことは想定できる。その理由を娘に尋ねるのも、エリーゼならするはずだ。
私もエディトに口止めをしていないのだから、彼女に私の言動が伝わってしまうことは仕方ない。
「その上でお聞きします。貴女はどこでシルフィーア語を習ったのでしょうか」
その声は柔らかさの中に緊張が混ざっていた。
真っ先に疑われていると感じる。それはそうだろう。秀でた才能も何も無い、シルフィーア教を信仰しているとはいえそこまで熱心な信徒とは思えない娘が、最難度の言語を習得しているのだから。
「失礼ながら貴女のことを少し調べさせていただきました」
(正直に言ってしまうのがエリーゼらしいなぁ)
隠しても何ら問題はないのに、不誠実だからと前置きしたのだろう。
「学園を首席で卒業されるほど、優秀な人材であることを加味しても不可解なのです」
「学園の授業計画にシルフィーア語の授業は入ってないが、私は身につけていることでしょうか」
「ええ、神官を目指すのであれば神官志望のための特別コースがありますので多少理解できますが…………テレーゼ様は皇宮の侍女の職に就いていますね」
「はい。その通りです」
彼女の話し方からするにやはり私のことをイザベルだとは考えてないようだ。生まれ変わりは荒唐無稽な話なので、テレーゼとイザベルを結び付けられたらもはや人間をやめて、全知全能の神になったのでは? と思うけど。
(シルフィーア語が出来る理由はさりげなくぼかそう)
私はできる限り焦らないよう自分自身に言い聞かせる。焦ったらエリーゼに隠し事があるのかと疑われる。
「よろしければ何処でどう習ったのか今後のために教えていただけませんか」
「独学です」
「独学?」
「はい!」
にこりと笑って笑顔で突き通す。
「教典を複写した書物が学園の図書館に所蔵されてまして、翻訳されたものは拝読したことがあるのですが、是非とも原典を自力で読んでみたいと」
「…………にしては発音が」
「?」
「読みについては理解しました。しかしながら話す方はどう学んだのでしょうか」
「…………」
(そこまで考えてなかった)
「ええっと」
途端、挙動不審になってしまう。左に目を逸らす私は、明らかになにか隠している人物のお手本だ。
「……司教様の説教を聞いて覚えました」
苦し紛れの嘘である。声にも滲み出ていた。
「…………そうですか。司教様に」
エリーゼは瞳を伏せ、追求の手を止めた。
「貴女の貴重な時間を長い間奪うのもあれですから、ここら辺で終わりにしましょう。ですが、最後にひとつ贈りたい物があります」
コトリと机上に置いたのは小さな箱だ。
「娘から預かってきましたの。お礼の品との事で開けてください」
「…………これはブローチでしょうか」
箱から出てきたのはとても高価そうな大きなブローチだ。彫られている細工は細かく、素人ではその繊細な職人技を評価し尽くせない。
(どこかで見たことあるような……あっ!)
イザベルの時、誕生日にエリーゼから貰った物に酷く似ていた。あれはオーダーメイドでその道の職人さんが一つ一つ丁寧に作っているので、注文しても数年待ちなのだとか。
エリーゼはツテと公爵家の権力を使って順番待ちに割り込んだと言っていたので印象に残っている。
(確かここを押すと──)
側面にある窪みを爪で押した。パカッと音がして表面の宝石が台座から外れた。
(そうそう! ここが外れて中に小物を入れられるのよね)
満足して外した宝石をはめ込んでいると。
「やはりあなたは────……なの? いや、ありえないわ。──……がないもの」
震えるような途切れ途切れの独り言にエリーゼの方を見ると瞳が潤んでいる。
「公爵夫人? 如何なされましたか」
「失礼、目にゴミが入ったみたいだわ」
目を擦り息を吐く。
「テレーゼ様」
「はい」
優しい眼差しの中に先程は無かった熱が見え隠れする。
「ぜひ……私の邸宅に遊びに来てちょうだい。娘が貴女に会いたがっているし、私も──貴女のことを歓迎するわ」
「どうかお願いね」と強く望まれ、これ以降はアエステッタ公爵家に関わらないつもりだった私も、頷くしかなかったのだった。




