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今代の小さな代行者(1)

 春が終わり、夏を迎える準備を皆がし始めたころ、私は週一のお祈りのために神殿を訪れていた。

 だからその日、幼い頃の私に重ねてつい彼女を助けてしまったのは本当に偶然なのだ。



 ◇◇◇



 習慣となっているお祈りを終え、帰宅の途に就こうと馬車へ戻ろうとしたのだが、心地よい風と穏やかな天気になんとなくこのまま帰るのは勿体ないと、祭祀を行う湖の方へ足を向けた。

 帝都の中で一番美しいと評される湖は、水底まで透き通っている。青い水面の下には魚がゆうゆうと泳いでいて、水草の間から小魚達が顔を出す。


 儀式を行う神聖な場所ではあるものの、常時一般の人に解放されていて、美しい景色を眺めるために観光客がいることもままあるが、今日の先客は一人だけだった。


 その子は両手で持つ大きな紙を熱心に読み、何やら唱えている。


(あの子は────)


 真夏に映える鮮やかな金髪は親譲りの緩やかなヴェーブを描いていて、けぶるようなまつ毛に縁取られる瞳の色は珊瑚色。


 ──アエステッタ公爵家、前世での私の友人であるエリーゼの娘。


 瞬時に何者なのか分かったのはそれだけが理由ではない。彼女は今代の夏の祭祀担当で、齢八歳にして昨年はエリーゼに補佐してもらいながら夏を呼び、今年は彼女だけで呼ぶらしい。

 そして昨年の祭祀には私もデューリング伯爵家の娘として参加していたから勝手に見覚えがあった。


(名前はエディトだったけ)


 エリーゼには元々三人の息子がいる。けれども、祭祀を行えるのはその血を引く娘だけ。彼女はそれはもう大変な思いをし、四人目にしてようやく娘を生んだと風の噂で聞いた。


 友人の子供かつ、祭祀を行う湖のそばで熱心に唱えている姿はつい気になってしまう。

 私はエディトに声をかけてみることにした。


「ねえ、何してるの? こんなところで日傘もささないでいたら日射病になってしまうわ」


 いきなり話しかけたら不審者になってしまうかなと不安になりつつ、日傘で彼女の上に日陰を作り声をかけた。

 エディトは突然声をかけられてきょとんとしているので、その隙を突いてざっと彼女が握っている紙の内容に目を通す。


(……シルフィーア語。夏の祝詞(のりと)かな。だとしたら)


 昨年の様子を思い出し、何故こんなに熱心に練習しているのかを悟る。

 けれどもそれは表に出さず、私はエディトの身長に合わせて屈み、にこりと笑いかけた。


「よければ私に何しているのか教えてくれないかしら」

「…………お姉さんだれ? どうしてそんなこと聞いてくるの?」


(あ! 名乗ってなかった)


 これでは完全に不審者ではないか。だんだん怪訝な目を向け始めるエディトに私は慌てて名乗る。


「私はテレーゼ・デューリングと言うわ。貴女と同じ貴族で伯爵家の娘なの」

「へぇ、私のこと知ってるの?」

「ええ、アエステッタ公爵家のエディト様でしょう? お供もつけずにこんなところにいて、今頃貴女のお母様は心配しているのではないかしら」


 ああ見えてエリーゼは心配性なのだ。ようやく生まれた掌中の珠である娘を、護衛も付けずに神殿に送り出すような母親には絶対にならないはず。


 「お母様」という言葉にエディトは反応し、みるみるうちにしょんぼり項垂れる。


「心配よりまた怒られちゃうわ」

「どうして?」

「ええっと……」


 初対面の相手に話していいか迷っているようだ。防犯上は正しいし、私もここで退散した方がいいのだろうけれど。


(もう一押しすれば押し切れる気がする)


 彼女の悩みが何なのか悟った私は見て見ぬふりを出来なかったし、祭祀に関しては得意分野なのだ。役に立てる自信がある。


「誰にも言わないから。お姉さんにだけ教えてくれない?」


 如何にも不審者が言いそうなセリフだなと自分で思いながら畳み掛ける。


「ほら、悩みごとを他の人に話すと少しはすっきりするって聞いたことない?」

「…………ほんとうにひみつにしてくれる?」

「するする」

「なら……わたし、このままじゃひとりで上手く夏を迎え入れられないってお母様に叱られて」


 私はエディトの答えに瞳を伏せた。


(やっぱり)


 昨年の祭祀で違和を持ったのだ。あれは祭祀を担当する者しか気づかないほど些細な異変だったが、エリーゼの代より若干劣っていた。


 まず、花冠を湖に落とした際の色の変化が薄い。

 次に湖の周りは季節が瞬時に移り変わるはずが、速度が落ちていた。

 極めつけには一筋吹いた風が強すぎたこと。


(手順は間違っていなかった。そもそも隣でエリーゼが補助していたのだから大きな間違いが起こることはありえない)


 さて、何が原因なのか考えているとエディトは涙声で続ける。


「いっぱい練習してるの。なのにうまく出来なくて」


 ぽろぽろと溢れる涙は頬を伝って落ちていく。


「わたしにしかできないのに。わたしのお役目なのに。代わりはいないのに」


 伝う涙を指で拭う。


「お母様はできないならもういいって仕方ないって。わたし、どうにかしてできるようにするって言ったの。だけどお母様は……この時点で無理ならば貴女には無理なのよって」


 それは幼子にとって辛い宣告だっただろう。まるで自分の存在を否定されたかのような気持ちになっただろう。


「来週が本番なのにこのままじゃみんなに迷惑をかけてしまうの。だから完璧にできるようにならなきゃって、ここで練習してるの」


 彼女は小さな体に不釣り合いな重圧を背負い、押しつぶされそうになっていた。




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