話せるようになりました
「レーゼ、もう一度言ってくれないか?」
お父様が絨毯の上に座っている私のことをグイグイ覗き込んでくる。その頬は上気し、鼻息が心做しか荒い。
(仕方ないわね)
今一番の笑顔をつくり、首を少し傾けながらお父様のお願いを叶える。
「パー!」
「くっ! 娘が可愛すぎる」
胸を押さえ、お父様は床に崩れ落ちた。すると今度は横からひょっこり現れた金髪が視界を奪う。
好奇心に満ち溢れた翠の瞳が、きらきら輝きながら私をのぞき込むのだ。
「れ、レーゼ、僕も! 僕はレーゼのなんだい?」
「にー!」
今度はニカッと歯を見せながら。
ヴィスお兄様も胸に片手を当て、もう片方を壁についた。
「ねえ、お母様にもちょうだい」
もじもじしながらお母様も乞うてくる。
「まーま!」
「ずるいぞ、レイラだけ二文字じゃないか」
「うふふ。私か一番レーゼちゃんと一緒にいるものね~。特別なのよね?」
(……ごめんなさい。一番言いやすかっただけなんです)
みんな、私が一言話すだけでこのような状態だ。はっきりいって両親の状態は親バカというものだと思う。お兄様の状態は……ちょっと行き過ぎた家族愛?
お願いされなくても何度だって言ってあげるのに、家族は私が発する一言一言に対して、まるで宝を貰ったかのように幸せそうな表情をする。
言葉を発せるようになったのは三ヶ月前。その頃にはハイハイも完璧に仕上がりつつあり、伝い歩きもし始めた。
そこそこ動けるようになった私は活動範囲を広げようと試みた。
そんな私に立ちはだかったのは部屋のドアノブだ。歩けるようになれば他の部屋にも行けると考えていた私はすっかり忘れていた。
ハイハイではドアノブに手が届かないことを。
あの時のショックは言葉に言い表せない。
届かないというそんな簡単なことに気が付かなかった私。その頭の悪さ具合にドアの前で涙目になりつつ震えていたら、怪我をしたのかと心配させてしまった。
又、運良くドアが閉まってなければ脱走できるが、そんなことは滅多にない。あったとしても、部屋に大人がいる時だ。
それにドアに近付こうとすると、昼間一緒に過ごしているお母様に「危ないわよ」とすぐ抱き抱えられてしまう。
なので二足歩行が出来、ドアノブに手が届くようになるまで、活動範囲を部屋の外に広げるのはお預けとなった。
「ママって呼ばれるのも素敵だけれど、ほかの言葉も早く聞きたいわね。レーゼちゃんとの会話楽しみだわ」
私を抱っこし、ソファに座り直したお母様がそんなことをぼそりと呟いた。
(ふふふ、お母様まだですよ!)
これで終わりだと思わないで欲しい。歩行の時と同様にみんなが寝静まった夜半、夜な夜な練習したんだから。
私はこれまで練習してきたその成果を見せた。
「にーに、ぱーぱ、まーま、しゅき!」
家族が一斉に固まった。
「ま、ま、ま、待ってくれ。え、夢?」
そう言って崩れ落ちていたお父様は顔を上げ、自身の頬を引っ張る。にゅーっと伸びて、限界まできてパチンと戻る。
「好きって言ったかい?」
がっちり肩を掴まれた。視線が鋭く、語気も……強い気がする。
(お父様、普通の赤ちゃんならここで泣いてますよ。私だから泣かないだけで)
「うん、しゅき! ぱーぱしゅきよ」
そんなことを思っているとはおくびも出さないで、私はにっこり笑った。
「い、いつの間にこんなに話せるように。娘は天才なのか!?」
(……練習したので。あと、前世の記憶があるので)
感激しているお父様を横目に、私はお母様から差し出されたおもちゃを握る。
今のところ家族に生まれ変わったことを伝えるつもりはない。皆を混乱させるだろうし、話したところで利点も、話さなければいけない危機的状況も起こってないから。
(処刑って結構刺激が強いしね)
極悪人でもない限り、あんな皇帝陛下の側近達に囲まれて執行官に首を切られるなんて経験ないだろう。
私の件は例外中の例外なのだ。
そんなことを考えていると、死ぬ直前のユースの表情を思い出してしまう。
(ユース元気かな。予定が狂ってなかったらそろそろ結婚式よね)
彼が出陣していた隣国との戦争は、私が産まれて一ヶ月後にはへストリアの勝利で終わった。凱旋パレードも帝都の大通りで開催された。
私は幼すぎてお留守番だったけれど、参加したお兄様がどんな様子だったのか教えてくれたのだ。
ヴィスお兄様の話の中には第三皇子──ユースの名前は出てこなかったけれど、執行官様は彼が軍功を上げていると言っていた。
だから戦争の勝利という大きな祝賀と共に、聖女フローラとの結婚も順調に行われるだろう。
幸せそうに微笑み合う二人を想像してチクリと心臓が痛む。
(…………お祝いするって決めたのに。私ったらまだ)
歴代随一の聖女様に対して何も取り柄がない私では太刀打ちできっこなかったのに。
ユースが好きだと気付いた時には何もかも遅かった。どんどん遠い存在になってしまって。
私は離れていくユースをただ見ていることしか出来なかった。
(会いたいな)
日に日に強く、無性に思う。処刑から一年と少しだけなのに。抱きしめられた温もりを恋しく感じるのだ。
「──どうしたの? お腹でも痛い?」
ふわりと優しい声が上からかかる。
多分暗い顔をしていたのだと思う。だから勘違いさせてしまったのだろう。お母様は私のお腹をゆっくりさする。
「んーん」
首を横に振る。そうして握っていたおもちゃをお母様に渡した。
「違うもので遊びたい?」
「ん!」
「分かったわ。ちょっと待って……」
「僕が持ってくる!」
立ち上がりかけたところに、ヴィスお兄様が役を買って出る。ビュンッと走って部屋を出ていき、おもちゃ箱ごと戻ってきた。
「さあ、レーゼはどれがいい?」
「…………」
(これって)
胸を張ってヴィスお兄様はおもちゃ箱を見せてくれたのだが、中身は木彫りの馬やボールなどで。
「ヴィス、それは貴方のおもちゃ箱よ」
お母様が冷静に指摘する。
「……お兄ちゃんなのに、自信満々で間違えたの恥ずかしいな……」
赤面するヴィスお兄様の気の抜け具合に笑ってしまい、私は零れ落ちそうだった感情に蓋をした。