平穏の終わり
「それで私との約束も忘れ去っていたわけね。もっと早く言ってくれれば良かったのに」
ヨシヨシとイザベルの頭を撫でて慰めてくれるのは友人のエリーゼだ。彼女はイザベルとおなじ四大公爵家──夏の祭祀を司るアエステッタ公爵家の娘である。
イザベルは彼女にユリウスのことを洗いざらい吐いた。ただ、相手が皇子と聖女なのは隠し、他の貴族の息子と娘だったことにして。
「もうベルったら疎いのね~無自覚にそこまでベッタリくっついていられるのがすごいわ。お相手さんも、他に好いた令嬢がいたのにベルのことをよく受け入れていたわね」
「たぶん……身寄りがないところに私が付け込んだ感じだったから断れなかったんじゃないかな」
エリーゼに話しながら大泣きしていたイザベルは、はしたなくも鼻をすすり、ガラガラの声で答える。目は言わずもがな真っ赤になって腫れていた。
舞踏会の日から二ヶ月が経ち、季節は既に夏へと移り変わっていた。
イザベルは失恋が確定した日から一週間くらい毎日わんわん泣いていて、気持ちが落ち着くまで邸宅に引きこもる生活を送っていた。
それでもいつまでもうじうじしているのは性にあわないし、意味もない。その後また一週間ほどかけて自身の恋心を頑丈な心の箱にゆっくり詰め込んで鍵をかけ、重石をつけて封印した。
けれども長年無自覚に垂れ流していた恋心がそんな簡単に収まる訳もなく、案の定箱から漏れ出てその度に押し戻して鍵をかけ……今に至る。
(でももう決めたの。ユースとフローラのことを応援して、二人の前では絶対に笑顔を絶やさない。会ってる時は一時的にでも恋心は完全に封印。友人の距離感を保つって)
直ぐに距離をとったら変に思われるだろう。だから徐々に、だが確実に、ユリウスと距離をとることが目下の目標だ。
今のところこの作戦は成功している。何度か二人にあったが、表面上は今までと何ら変わらない穏やかな関係を築けているのだ。
時折ユリウスが物言いたげにイザベルを見つめている気がするが、これは自分の気のせいだろう。
(それにやっぱりお似合いだった)
市井の者へのお披露目として皇宮のバルコニーにフローラとユリウスが二人揃って立つ行事があったのだが、対になる正装に身を包んだふたりはそれはそれは見目麗しい比翼の男女のように見えて、イザベルでさえ息を飲むほどだった。
だからもう恋心が叶わないのは仕方の無いことなのだ。諦めもついている。ただ、何故か父のイザークは納得がいかずイザベルよりもこの婚約に不満を持っているみたいだった。
そんな父は放っておいてイザベルはひとつの決意をした。
(私はあの約束を守ることだけに徹するの)
『約束するわ。何があってもそばにいるって』
ずっと覚えている。彼の六歳の誕生日に指を絡ませ約束したこと。
隣に立つことは出来ないけれど、家族として友人としてそばにいることは許されるだろう。イザベルはその立ち位置で二人を見守り、幸せを願うことに決めた。
そのことをエリーゼにも伝えると、彼女は信じられないものを見たかのような目を向けてくる。
「泣いている顔で言われても説得力ないわ! ぜんっぜん諦めきれてないじゃないの!」
「うぅだってぇ」
ぽろぽろ溢れる涙をゴシゴシ拭う。
「決意はしても心が追いつかないのぉ」
応援に徹すれば徹するほどズキズキと心が痛むのだ。最近では胃までも不調をきたしてイザベルの意思を無下にしようとしてくる。
「……告白だけでもしてしまえば?」
「無理無理無理! 今の関係がギクシャクする方が辛いの」
「そうかしら? 好きを自覚した時点で足掻いたところで過去と全く同じ関係には戻れないわ」
エリーゼはこくりと紅茶を飲んだ。
「ま、ベルが決めることよね。ただ玉砕覚悟で想いだけでも告げるなら早くしなさい。ほら、私夏の祭祀じゃない? 続く季節、秋の祭祀担当であるメインウッド公爵家のファーラ様とよくお話をするのだけれど……」
エリーゼはきょろきょろと辺りを見渡して声を潜めた。
「秋は季節の花冠以外に大剣を女神に捧げるみたいよ。大司教様からそれ用の長ったらしい祝詞を暗記しておくよう言われたって」
「それって」
すぅっと心の臓が冷えていく。
「あまり考えたくは無いけれど戦争が始まる兆しよ。大剣を捧げるのは勝利への祈祷よね。ベルも覚悟しておいた方がいいわ」
それはすぐに現実のものとなる。
エリーゼと話して数ヶ月も経たず、無謀にもヘストリアに宣戦布告してきた隣国との間に開戦の火蓋が切られた。その最前線にユリウスが指揮官として志願し、出征すると耳にした。
イザベルが本人に確認取るまでもなく、トントン拍子に話は進み、ユリウスはもちろんのこと、騎士団の団長であるイザークも出征することとなる。
そうして咎人として──処刑される寸前の出来事を除いて、ユリウスと最後の対面を覚悟も出来ないまま迎えるのだ。




