花開く恋慕(2)
「お父様はどうしてお母様を妻に迎えたの?」
帰宅後、夕食を食べ終わったイザークが席を立つ間際に問いかければ、父はちょっと驚いたように目を開いた。
「いきなりどうしたんだい。もちろん、愛しているからだよ」
「なら──人を好きになるってどんな感じなの? お母様を好きだと思ったのはいつ?」
昼間に感じたこの胸の違和感。それはきっとその類のもので。すぐに聞けるのはイザークしかいなかった。
(応援すると答えたことが苦しい)
帰宅しても後悔していて、いつまでもうじうじと考えている──そんな醜い自分が嫌いだ。
イザークは目を眇め、ふわりとイザベルの頭を撫でた。
「長くなりそうな質問だから場所を変えよう。おいで」
連れられて書斎のソファに並んで腰かける。執事が温かな紅茶と珈琲を淹れて退出したのを見計らい、イザークは話し始めた。
「イレイナとは神殿で出会ったんだ。一目見て、ああこの人しかいないと確信した。彼女は私のことを初対面で顔を真っ赤にしている変な人だと思ったらしいが」
思い起こしているのか、イザークは少し遠くを眺めている。その口元は柔らかく緩み、亡き妻への愛しさが溢れているようだ。
「お父様がお母様のことを大好きなのはよく知っているわ。だって、何年経っても新しい妻を迎えなかった。後妻なんて、お父様の爵位と年齢なら選り取りみどりだったのに」
「女神に誓ったからね。私は生涯を通してイレイナしか愛さないし愛せない。愛しい彼女だけが私の妻だよ」
見事な惚気だ。けれどもそんな父が大好きで、いつか自分の伴侶となる人も同じくらい愛してくれればいいのになと思っている。
「それで、好きになるというのはどのような感じなのかを答える前に、今から私の言うことに当てはまる人を想像してほしい」
「分かったわ」
こくんと頷き、イザークの言葉を待つ。
「まず、ずっとそばにいたい相手」
(……もちろんお父様と、ララと、ユースね)
「健康でいてほしい人」
(同じ三人)
「次に離れると無性に会いたいと思う人」
(程度の差はあれど、お父様とユースとララね。この三人の中で今ダントツなのはユースだけど。だってずっと一緒にいたのにいなくなってしまって、寂しいもの)
皇宮に行ってしまったユリウスはここには戻ってこない。けれども、彼の使っていた部屋はそのままの状態で保存されており、イザベルが寂しさを紛らわせるために時折その部屋で寝ているのはランドール公爵邸で公然の秘密となっている。
「気を抜くとずっとその人のことばかり考えてしまう相手」
(ユース?)
不安で不安で仕方ないのだ。皇宮で上手く立ち回れているのかと。ただ、彼はイザベルよりとても器用なので心配無用だろうが。
「最後にその人のそばに自分以外の異性がいると心がモヤッとする」
(…………)
ぴしりと固まったイザベルにイザークは珈琲を啜りながら娘の表情に笑う。
「さて、全部に当てはまる人物がいたんじゃないかな」
「いる、いるけれど最後のやつは……」
「──最後のは好きな相手にだけ持つ感情だよ」
「好きな相手?」
「そうさ。恋慕する相手だ。私だったらイレイナだね。彼女のそばに他の男がいるなんて想像しただけで相手の男を握りつぶしたくなる」
(それは……その、えっと、)
物の見事に数秒固まる。次の瞬間にはボンッと顔を真っ赤にした。
(えっ違っ! た、た、たしかにユースのことは好きだけれども!!!! そんなつもりでっ)
はたと気づく。思い返せばイザベルが誤解していただけで、もうずっと前からユリウスのことが好きだったのではないかと。
小さい頃から「好き」を連呼していたのでイザベルの中では意味が希薄化していたかもしれない。
(他の誰かがユースの隣にいるのは嫌だ。ユースの隣は私の場所であってほしい。これは家族としての感情からだと思っていたけれど)
誰にも渡したくない。譲らない。彼に抱きつくのだって、愛称で呼ぶのだって、イザベルだけの特権であって欲しい。
「お父様ありがとう。ちょっと整理してみるわ」
「お役に立てたのなら何よりだ」
イザークを残して書斎を後にする。
(フローラに嘘をついてしまったわ)
家族としてはもちろん、異性としてもきっとイザベルはユリウスのことが好きなのだろう。
そうなるとこの心持ちで応援するのは不可能だ。次に会えた時に謝って自分の恋心を打ち明けようと心に決めた。
◇◇◇
「イレイナ、私達の娘は大きくなったよ」
何者にも代えられない愛しいわが子を見送り、イザークは大輪の花が咲き誇る花畑の中で微笑む妻が描かれた絵画を撫でる。
「どうやら立派に恋をしているみたいだし……ただ、想いに気づかないのは鈍感すぎるね。見守っているこちらがやきもきしてしまうよ」
イザークの独り言は続く。
「彼も彼で幼少期から私の娘への独占欲は強いのにこれまた無自覚ときた。ようやく自覚したようだが、これ以上気づかないなら発破をかけるところだったよ」
やれやれと首を横に振る。
「ほら、見ておくれ。私の娘は気立てが良くてとっても可愛らしいからこんなにも求婚状が送られてくるんだ。これら全てをベルの元に届く前に握り潰しているのだから、それ相応に頑張ってくれないと」
イザークは執務机のチェストを開け、無造作に入れられている数十通の中から一通を取りだし、蝋燭の炎に焚べた。端から燃え上がり、無惨にも煤となる。
「ベルの恋路は私達よりも困難だが……彼だったら幸せにしてくれるだろうから。もうそろそろ君との約束を果たす時が来ると思うんだ」
そっと絵画にくちづけして、イザークは執務机の上に置き直す。
「──イレイナ、どうかベルのことを見守ってくれ」
そうして絵画の中の最愛の妻に向かって微笑みかけた。




