変わりゆく(1)
次に目を覚ましたのは寝台の上だった。
重たいまぶたをゆっくり開くと、ぼんやりとした視界に見慣れた天蓋が真っ先に飛び込んできた。
「わたしの、へや」
部屋に熔けていく声は掠れ気味で、口の中はカラカラだ。
怠さを感じながらも体を起こそうとすると頭から何かがずり落ちる。寝台に落ちたそれを拾うと真っ白な小さめのタオルだった。濡れており、頭に乗せられていたことからおそらく冷やすために用意されたものだろう。
(そうだ。急に目の前が暗くなって)
少しづつ倒れた時のことを思い出す。ユリウスが必死に自分の名前を呼びながら抱き抱えてくれたのは微かに覚えているが、それもあやふやな記憶でプツリと途切れている。
「お水……」
けほけほと咳き込みながら水差しを探すが見当たらない。握ったタオルをサイドテーブルに置いて身体をもう一度起こす。
「きゃっ」
くらりと目眩がし、派手な音を立ててイザベルは寝台から落ちてしまった。盛大に額を床に打ち付け、悶絶する。
「いたい」
その音は廊下にも響き渡ったらしい。ものの数秒で外が騒がしくなり、大きな足音が近づいてくる。同時に言い争うような声も続く。
「おやめ下さいでんっ──」
「うるさい。ベルっ」
ドアが壊れるのではないかと思うほど力任せに開けられるのと、痛みが少し引いたイザベルが顔を上げるのは同じタイミングだった。
そこには肩で息をして額には薄らと汗を滲ませた見慣れたようで見慣れない彼がいた。
整った鼻筋や漆黒でつややかな黒髪は見慣れた彼の外見だ。けれども普段付けていた仮面も、その下に隠れていたアザも綺麗さっぱり消えている。
無意識に息を止めてしまうほど完璧な美しい顔立ちがそこにはあった。
「ゆー、す?」
呼べば深い海を思わせる碧眼が大きく見開き、すぐに緩む。
「ベル」
もう一度、彼は自分の名を呼び、急いでイザベルを抱きかかえる。その腕はぎゅっと自分をきつく抱きしめ、離れることを許さない。
「ベル起きたんだね」
こくんと頷く。ここでようやく倒れる寸前にユリウスの呪いが解けたことを思い出した。
(ああ。もう、大丈夫なのね)
ユリウスに色んなことを聞きたいが、カラカラな喉では上手く言葉を紡げない。
イザベルはクイッとユリウスの胸元のシャツを引っ張った。
「お水、もってきてほし、い」
「──持ってきているよ」
会話を遮った人物──イザークはユリウスの腕の中に抱きかかえられている愛娘に微笑む。
「おと、さま」
「無理して声を出さなくていいよ。ほら、飲みなさい」
水の入ったコップを渡されるが、上手く掴めず手からすり抜けて床に落としてしまう。
「ごめ……なさい」
「謝らなくていい。五日も眠っていたんだ。体力も落ちているさ」
(……五日!?)
どうやら相当長い時間眠っていたらしい。
(だからこんなにユースも過保護になっているの?)
抱き抱えていないで隣にある寝台に下ろしてくれればいいものの、一向に離す気配がない。見上げれば麗しい顔が自分に対して安堵を含めた柔らかい眼差しを向けてくるので気まずくて目を逸らしてしまう。
「ユリウス、ベルを寝かせてあげてくれ」
「…………はい」
イザベルの心を察してくれたイザークが代弁してくれる。ユリウスは寝台にイザベルをゆっくり下ろしたが、未練がましそうだ。
代わりにコップに水を注ぎ、口元まで持ってくる。
「ベル飲んで」
また落としても仕方ないので、そのままいただく。こくこくと普段の倍の時間をかけて飲み干した。
そうして十分なほど喉を潤してから口を開いた。
「ユースの呪いは解けたってことでいいのよね? 何か後遺症とかある? 何も無い?」
矢継ぎ早に質問すると、イザークがイザベルの頭を撫でながら笑う。
「自分のことより、ユースの心配なのだね」
「だって……! ねえ、もう少し近くで貴方の顔を見せて。お願い」
「わかった」
ユリウスが寝台に腰掛け、イザベルの右手を取って痣のあった場所に持っていく。
「好きなだけ納得するまで触ればいいよ」
「じゃあ遠慮なく」
じっくりと眺めつつ何度も指を彼の頬や額に滑らす。
「呪いが解けたのよね」
「うん」
「もう発作も起こらない?」
「起こらないよ」
「ほんとに本当に解けたの?」
「解けたよ」
「嘘ついてないわよね? 例えば、私には分からないような方法で痣を隠しているとか」
何度も何度も尋ねるイザベルにユリウスはふっと笑う。
「大司教様やフローラにもお墨付きをもらっているよ。疑うなら聞いてみると良い」
「疑っている訳では無いのよ。ただ、現実味がなくて」
何年も解呪の方法を探し、ようやく神聖力が効くかもしれないという手がかりを見つけ、フローラに協力してもらっても解ける気配はなかったのに。
いきなり解呪されたのだ。イザベルにとって都合のいい夢なのかと錯覚しそうになってしまう。
「もうひとつ、その服装はどうしたの」
いつもの彼は飾り一つついていない質素な白いシャツに黒いズボン姿だ。
だが、今の彼は至る所に細やかな飾りや刺繍の入ったマントを羽織り、なんというか皇子の様相で────
(追いかけてきた人も殿下と言いかけていたわ)
これまでユリウスのことをそう呼ぶ人は誰一人居なかった。小さい頃は使用人達がこぞって敬称を付けようとしていたが、当の本人が拒否したことで使われることはなかった。
「……さっきの方も皇宮の方よね?」
すると嫌悪感をあらわにした彼は吐き捨てるように言ったのだ。




