解呪(2)
はっと慌てて口元を押えるが時すでに遅し。響き渡ったイザベルの声はフローラ達にも聞こえていたようだ。
後ろから「えっ」という驚きの声が聞こえる。
(まっまって、確かに私は誰かを夫にしなければならないけれど……それにしても!)
ランドール公爵家の一人娘であるイザベルには、上にも下にも兄妹が存在しない。イザークが縁遠の子供などを養子として引き取ることもなかったことから、きっとイザベルが爵位を継ぐか、イザベルの夫となった者が当主の座に就くはずだ。
だがしかし、公爵家の当主だなんて野望を持つ貴族たちからしたら喉から手が出るほど欲しい座だろうに、ちっとも縁談の話は上がってこない。
変だなと思いつつも、政略結婚を無理やり押し進められないことに安堵している自分もいて。まだまだ先のことだろうと頭の片隅にも残っていなかったのだが。
(婚約……そうね、もうそろそろ結婚していてもおかしくない年だもの。話の一つや二つあって当然よ)
「大きな声を出してしまいすみません。まさか婚約を打診されるとは予想外でして。えっと破り捨ててもよいとは……?」
「イザベル嬢とあそこに居られる方の間に私が入る余地はないと思っているからですよ」
「へ!?」
頭が真っ白になる。
ロイが示したのはフローラに何やら囁かれているユリウスだ。
「あ、あの、ユースは別に」
「違うのですか? 私はてっきり恋仲なのかと」
「えっこ、こい、なか!? 違いますっ!」
反射的に否定するが一瞬もやっと心が曇る。
(なんか胸が苦しい……?)
思わず胸元を押さえるが既に違和感は消えていた。気のせいだろうとイザベルはロイに向き直る。
「ユースとそのような関係になることはありませんから」
(ロイ様はユースが皇族であることをご存知ないからそのような突拍子もないことを仰るのよ!!)
そういえばお菓子屋の店員にも恋人に間違われたので傍から見ると距離が近すぎる可能性はある。だが、それだけだ。
現実的に考えて、貴族ならまだしも、第三皇子であるユリウスが皇子の地位を捨てて公爵家に婿入りするなんてそんな日が来るわけがないし、イザベルがさせない。
やはり皇子の隣に立つのは他国の王女か皇女がふさわしい。
「ですので仮にロイ様と婚約したならばきっと良い関係が築ける気がします」
ロイの家は侯爵家だ。家門としても釣り合いが取れているし、彼は次男であるので婿入りしていただくにも好都合。
悪い噂は今のところ聞いたことがなく、顔立ちも整っている。求婚されたならば断る理由が何も無い。
イザベルは前向きに彼との婚約を考えてみようと心に決めた。
「ありがとうございます。父が勝手に求婚状を送り付けようとしていたので迷惑になってしまうと思ったのですが……前言撤回します。是非とも私との婚約をご検討して頂けると」
「!」
前振りもなく手の甲に唇を落としてきたので、異性からの慣れてない求愛にぱっと頬が朱色に染まる。
そうして真っ赤になったイザベルに、ロイは柔らかな笑顔を向けながら締めくくるのだ。
「──良いお返事をお待ちしておりますね」
話を終えたロイがその場を辞し、イザベルはフローラたちの元に戻るためにくるりと振り返った。
するとユリウスがイザベルの顔を凝視していて、首を傾げてしまう。普通の声量でも会話できるところまで近づき、未だ一瞬たりとも視線を外さないユリウスに声をかけてみる。
「ユース、どうかした? 凝視されるとちょっと落ち着かないわ」
「ベル、僕は──」
何故か困惑し、戸惑っているユリウスが何かを言いかけたところ、突然眩い光が辺りを包み、眩しさにイザベルは目を瞑る。
(何が起きて……)
「ユース、フローラ、だいじょ──っ!」
光が終息し、おそるおそる瞳を開けたイザベルは息を呑み、目を見張った。フローラもユリウスを凝視して固まっている。
どくどくとはち切れそうなほど心臓が早鐘を打ち、驚きすぎて上手く息を吸えない。
(う、そ)
ユリウスがいつも外で着用している仮面に亀裂が入り、からんと床に落ちていた。ただ、それだけでは驚くことはなかったのだが。
現れたのは見慣れた黒塗りの皮膚ではなくて────
陶磁器のようになめらかで、今までの記憶が夢の出来事だったかのようなものが視界に映っているのだ。
それは、呪われていなければどのような顔立ちなのだろうかとずっと想像していたユリウスの顔で。
だが、それが見られるのは切に願っていた解呪後のことで。
つまり──
イザベルは力が抜けそうな足を叱咤してユリウスの元へ一秒でも早くたどり着けるよう駆ける。
「のろい、が」
震える手でそっとユリウスの顔を包み込む。
「解けた……の?」
涙で視界はぼやける中、額にあった幾何学模様のアザが薄くなっていることに気づいた。アザを撫でると指先に鋭い痛みが走ったが、ますます薄くなり、最後には消失した。
「あぁ」
ぽろぽろと嬉し涙が頬を伝う。イザベルの触れるユリウスの頬は黒塗りではない。
ずっとずっと願っていた悲願が叶ったのだ。喜びはひとしおで、この勢いのままユリウスに抱きつこうとしたのだが。
「ほんとうに……よかっ、」
(あれ?)
刹那、喜びを分かち合いたいのに、ぐらりと視界が揺れる。
「ベルッ!」
イザベルの異変に気づいたユリウスが悲鳴にも似た声でイザベルのことを呼び、自分の背中に腕を回した感触を、途切れる意識の中で感じていた。




