解呪(1)
「『凍てつく冬に終わりを告げ、新しい春へいざ変わらん。女神よ我らの声を聞きたまえ』」
言葉と共に慣れた手つきで花冠を池の中に落とす。ポチャンという響きと同時、湖面が波打ち、景色が移り変わった。
(よし、今年も無事に春を迎えられた)
瞳を閉じてしばしの間、春風を堪能する。頬がぴりぴりするような冷たい風ではなく、ふわふわとくすぐるような柔らかい風に、思わず口元が緩む。
春を呼ぶ儀式が無事に今年も終わり、観覧していた神殿関係者や貴族達はそれぞれ席を立って帰り始める中、イザベルはしばしその場で自身が呼び込んだ春の兆しを堪能した。
しゃがんでいたイザベルの頭上に影が差す。
「ベル」
「なあにユース」
見上げたイザベルの瞳に映るのは穏やかな笑みをたずさえたユリウスで。彼はいつものお決まりの台詞を言うのだ。
「何度見てもベルの儀式が一番綺麗で素敵だよ」
「ありがとう」
満面の笑みを向け、すっと差し出された手を取ってイザベルも湖を後にした。
「さてと、フローラの元に行きましょう。今日こそ呪いが解ければいいのだけれど」
「いい加減ベルも諦めたら? フローラも多忙な身。付き合わせるのは申し訳ないだろう」
「それはそうだけど」
イザベルのわがままに二人を巻き込んでいることには変わりないので、中々言い返せない。
(一年間試行錯誤して症状は抑えられている。でも、それだけなのよね)
フローラに神聖力を分け与えて貰い始めたユリウスは、発熱も、喀血も、以前より頻度が減って過ごしやすそうだ。
ただ、アザは消えていないし、黒塗りも治っていない。
解呪するには何かが違うのかもしれない。ただ、手がかりは神聖力だけなのだ。これを止めてしまい、逆戻りになるのは自分が耐えられない。だからこのまま続けてもらうしかない。
(可能性として、年単位で神聖力を注ぐ必要があるのかもしれないし。それに、こんなに顔立ちが整っているのにアザが消えないのは勿体ない)
片側だけ仮面をつけているとはいえ、つけていないもう片方の素顔を見た令嬢達から密かに人気が高いことをイザベルは知っていた。
ユリウスはフローラを除いてイザベル以外の令嬢達とはあまり会話をしないが、時折街中で人を助けているらしく、それを見かけた令嬢達が茶会で彼の話をするらしいのだ。
ユリウスの死を防ぐのが解呪の目的ではあるが、他の令嬢達と同様にイザベルもまっさらなユリウスの顔を見てみたいなと密かに思っていた。
そんな自分の欲望に蓋をして、フローラを探す。
途中、大司教に会ったので彼女の居場所を尋ねると彼女もイザベルたちを探して湖の方へ戻ったとのこと。
祭祀の最後、フローラは他の者に呼ばれて離席していたのでどうやら入れ違いになったらしい。
大司教に礼を言って来た道を戻れば、ようやくフローラを見つけた。
「フローラ!」
後ろから声をかければ蜂蜜色の長い髪とヴェールが翻り、フローラは駆け寄ってくる。
「ベル、もう帰っちゃったのかと思った」
「約束しているのに帰るわけがないわ」
「だよねぇ」
フローラはイザベルの手を取って神殿の庭の方へ案内する。そこには既に茶器が用意されていて、ほわほわと白い湯気がカップから立っていた。
「今日の茶葉は異国の物なの。神殿に献上された茶葉で大司教様から頂いたのだけど、とっても美味しかったからベルに飲んでもらいたくて」
嬉々として説明された異国のお茶は珍しい青色をしていた。
(…………紅茶なの? この色合い見たことがないわ)
偏見で申し訳ないが、美味しそうには見えなかった。けれどもきらきらと瞳を輝かせたフローラがじっと様子を見ているので、意を決しておずおず一口飲んでみる。
「!」
「ベル、どう?」
「…………美味しい。少し渋い味を想像していたけど、とても甘いのね」
それにお花畑のような芳香な匂いが鼻を通っていく。
そうして異国のお茶を堪能しつつ、いつも通りフローラがユリウスの手を握り神聖力を供給する姿を見ていると。
「お嬢様」
傍に控えていたフローラの護衛騎士がイザベルに耳打ちしてくる。彼は元々イザークの騎士団にいた騎士で、イザベルとも面識があり、今もお嬢様と呼んでくる。
「どうかしたのフリッツ卿」
「お嬢様にお会いしたいという方がこちらに」
「え? 誰……」
(今日、約束しているのはフローラだけのはず)
見当もつかず、護衛騎士が視線を向けた方向を向くとすぐ近くまで来ていたのか相手の人物と目が合った。
その人物はイザベルと視線が混じ合うと柔和な笑みを浮かべ、その場で会釈する。
「あっロイ様だわ。ごめん、ちょっと行ってくる」
ユリウス達の返答を待たずに慌てて席を立ち、ロイの元へ行く。
「ロイ様お久しぶりです」
長いスカートの裾をつまんで頭を下げつつ挨拶をすると、彼もにこやかに再度会釈してから申し訳なさそうに告げた。
「お久しぶりです。聖女様との茶会を遮ってしまい申し訳ありません」
「いいえ大丈夫ですよ」
ロイは最近交流のあるガードナー侯爵家の子息だ。
社交界デビューの日、履きなれていないヒール靴による靴擦れで動けなくなったイザベルを助けてくれた。
それをきっかけによく話すようになった子息で、夜会でも何度か踊ったことがある。気さくで気遣いのできるロイは令嬢達の中でも人気だ。
そんな彼が連絡もなしにいきなりこの場に現れたということは、よほど急いでいたのだろう。
「そう言って頂けるとありがたいです。すみません、火急の案件でどうしても今日中にイザベル嬢にお伝えしたいことがありまして」
「何でしょうか」
ロイは少し疲れたような表情をして、垂れてきた前髪を掻き上げた。
「我が父が何を勘違いしたのか私とイザベル嬢の婚約をランドール公爵に打診しようとしてまして、おそらく明日、求婚状がそちらに届くと思います。破り捨ててしまって構いませんから」
「…………」
たっぷり十秒固まったイザベルは、ゆっくりと口を開いた。
「いま、なんと?」
「婚約の話が持ち上がっているのです。私とイザベル嬢の」
「……婚約!? 私に!?」
淑女にあるまじき素っ頓狂な大声が辺りに響き渡った。




