解呪方法の欠片
ようやく目当てのものを見つけたのは夏、秋が過ぎ、冬も終わりを告げる頃だった。
寒さと戦いながら書庫にこもっていたイザベルは本の後ろに隠されるように置かれていた書物を見つけた。黄ばみ、表紙の箔押しは剥がれている。見るからに古そうな書物だった。
「何も書いてない……?」
延々と白紙のページが続く。
「痛っ……あっ!」
本の端で指を切ってしまい、ぽたりと血の雫が書物に落ちた。途端、真っ白だったページに血は溶け込んでいき、ふわりと文字が現れる。
信じられない現象にぱちぱちと瞬きをしつつ、おそるおそる再度書物に触れる。
「なにが……げっシルフィーア語だわ」
しかもところどころ文字が薄れ読みにくい。それでもぱらぱらとめくっていると、折り目のついたページが目に留まる。
「……皇家ののろい、呪い!?」
待望の情報に思わず立ち上がってしまう。
生半可な翻訳ではいけないと慎重に解読して読み進める。
「『ごく稀に呪われた子供が産まれる。不吉だからと大半は抹消されるが、呪いを解いて生き残った皇族も』……これって」
ドクンと心臓が高鳴る。イザベルが探し求めていたものがそこにはあった。
「『彼らは例外なく女神の…………じ……け』もうっ! ぼろぼろで読めない……」
肝心な部分は何が書いてあるのか解読できなかった。しかも突如現れたその文章は、まるでイザベルが読み終わるのを待っていたかのように徐々に薄くなり、消えてしまった。
不思議な現象に疑問が残るが、ここは神殿の書庫なのでそういうこともあるだろうとイザベルは軽く流す。
(女神の……って書かれているから、神聖力とかかな)
神聖力を使えるのは聖女のみだ。
冬の寒さが老いた身には堪えたのだろうか。前聖女は女神の元に召され、次に選ばれたのはフローラだった。彼女は今、春に行われる引き継ぎの儀式のために忙しい日々を送っていた。
(フローラだったら助けてくれるよね……?)
不謹慎だが、前聖女よりもフローラの方が可能性が高いので聖女交代はありがたい。
(後でお願いしてみよう)
神聖力を流せば解けるのか、はたまた特殊なやり方があるのかまだ分からないけれど、大きく状況が動いたのは確かだ。
「呪いが解けるなら、私も神聖力使えたらよかったのに」
こればかりは仕方ないが、瞼の裏には発作の度に苦しむユリウスが焼き付いているイザベルとしては、呪いを解くことに、自分は何も出来ないのがもどかしく、本の縁をなぞりながらそっとつぶやいた。
「おや、またここに居るのですか」
軋む扉をゆっくり開けながら入ってきたのは大司教だった。
「この寒い日に調べ物とは熱心で感心したいところですが、すきま風の入るこの部屋に長時間おりましたら風邪を召されますよ」
ランプを片手に近づいてきた大司教はにこやかに話しかけてくる。
「大司教様、この本をお借りすることは可能でしょうか」
呪いについて書かれていた白紙の書物を大司教に見せると、大司教の首が傾いだ。
「そちらの書物、何も書かれていないように見受けられますが。イザベル様の調べ物と何か関係がありましたか」
「それが先ほど文字が浮かび上がって、私の知りたいことが書かれていましたので」
「…………そうですか」
大司教はイザベルと、その手にある書物を交互に見比べふっと笑った。
「大司教様?」
「失礼いたしました。その書物はここに置いていても朽ちるだけですのでイザベル様が持っていくのがよいでしょう。返さなくてよろしいですよ」
「えっ本当ですか?」
「ええ。さあ、陽も落ちてきましたから、完全に沈む前に公爵邸にお帰りなさい」
穏やかに微笑む大司教に促され、イザベルは帰宅の途についた。
◇◇◇
「ベルお帰り」
馬車から降りようとするとユリウスがすっと手を差し伸べてきた。どうやら馬の音を聞きつけて、出迎えに来てくれたらしい。
イザベルは彼の手を借りて地面に足をつけると、そっと両頬を包み込んで笑いかけた。
「ねえ、ユース、私やっと見つけたの!」
「なにを」
「貴方の呪いを解く方法!」
長年の呪縛から解き放たれるので、ユリウスの喜ぶ顔が見れると勝手に想像していたのだが。
「ユース……?」
彼の顔から笑顔が消えて幾ばくか強ばった表情になる。
イザベルはびっくりして頬から手を離した。
「うれ、しくないの?」
この綺麗な顔から黒塗りも、アザも消えて。外に出る際仮面なんて着けずにすんで、奇異な目で見られることもなくなって。
「──皇子として本来いるはずの場所に戻れるかもしれないのよ?」
言えば、彼の表情がはっきりと曇る。
「ベルは戻ってほしいの?」
淡々とユリウスは問う。
「戻ってほしいだなんて。ただ私はっ」
「──僕の居場所は皇宮じゃない。ベルと公爵様のいるここだ」
「でも、貴方は皇子なのよ。戻った方がいいにっ」
ずっと心に抱いていたイザベルの思いは途中で途切れる。ユリウスに口を塞がれたからだ。
「皇子だなんて。僕はそういう扱いを受けたことがない。身分なんかどうでもいい」
「……」
それを言われてしまうとイザベルは反論できなかった。
「解けるに越したことはないけれど、それでベルが離れようとするなら一生解けなくていい」
極端な発言に今度はイザベルが顔を顰めた。
「私は離れていかないし、シリル先生にも言われたでしょう。解かないといつ死んでもおかしくないって」
「なら、ベルの好きにしていいよ。けど、戻った方がいいなんて言わないで」
真剣な目が真っ直ぐイザベルを射抜き、数秒置いてぽすんとイザベルの肩にユリウスは顔を埋めた。
「ごめん、ベルの言いたいことは理解できる。普通だったらこんな忌々しいものから解放されるのだから手放しに喜ぶだろうし」
「…………ほんとにね。でも私の言い方も悪かったわ。解けた後もユースがここにいたければ居ていいのよ」
(それに、もし離れていくならば……)
ふと、最近思うこと。こんな何も持たないイザベルではなく、才能があり、凡人ではない──
──貴方からでしょう? とは聞けなかった。




