そうしてここから始まる(6)
「理由をお聞きしてもよろしいですか」
「調べたい件がちょっと特殊でして……図書館の資料では見つからないのです」
もちろん、調べたい件とはユリウスの呪いについてだ。
ここ半年ほど図書館に通い、片っ端から関係がありそうな書物をむさぼり読んでいるのだが、呪われた人の体験談はあれど、ユリウスの症状や経緯とは全く違うので参考にならない。
だから、最後の希望となるのが神殿内部の書庫なのだ。
書庫には古来からの書物が所蔵され、中に入れるのはひと握りだけ。機密性が高く、聖女の力など特別な能力や事象が書かれている書物があるらしい。
しかしながらイザベルは祭祀の一端を担っているとはいえ、神殿で働いているわけではないので機密の多い書庫に入るのは難しいだろう。
(それでも大司教様から許可を得られれば)
「イザベル様なら構いませんよ。話を通しておきますからお好きなときに訪れてください」
大司教はあっさり許可を出した。拍子抜けしたイザベルは問い返してしまう。
「良いのですか? 私、神官でもなんでもないですよ」
「イザベル様はよき信者ですし、春の祭祀には欠かせないお方ですから。ただ、中に入れるのはイザベル様のみにしてください。付き人は外でお待ちいただくように」
「もちろんです。ありがとうございます」
(やった!)
浮き足立ちそうになる。
「それでは今度こそ失礼しますね」
立ち去る大司教を見送ると、頃合を見計らっていたのかユリウスが尋ねてくる。
「朝も聞いたけれど、何を調べているの」
「ひみつ。ユースは明日も鍛錬?」
「うん」
「そっか。私も暇だし端で見学しようかな」
イザベルは話題をずらしながらユリウスと共に帰宅の途に着いた。
「お父様!」
ケーキやお茶、お菓子の乗ったワゴンを押しながら書斎のドアを開けるとイザークはうんうん唸っていた。
中に入ってきたイザベルに気づかず、書類を睨みながらコーヒーを啜っている。
「お、と、う、さ、ま!」
仕方が無いので広げられた書類をかっさらい、無理やり意識をこちらに向けさせた。
「ベル帰ってきたのかい」
「ええつい先程……」
ふと奪った書類に目を奪われる。
「また、戦争が始まるんですか」
書かれていたのは軍備拡張の財源確保に関して。一枚めくると今度は近隣諸国との小競り合いから関係性が悪化している、国境では緊張関係にあるなど。不穏な報告書だった。
「いや、そういう訳では無いよ。ほら返しなさい」
「……はい」
書類を渡しながらぼんやり考える。
(もし開戦したら……お父様は戦場に行かなければならない)
皇帝は戦闘狂と裏で呼ばれることもあるほど、隣国に戦争を仕掛け、領土を拡大している。最近は鳴りを潜めているが、いつ再び侵略を開始するか分からない。
(それにユースだってきっと)
戦地は死と隣り合わせだ。彼が死ぬかもしれない、そう考えるだけでつま先から体温が奪われていく心地だ。
(私にはお父様とユースしかいないのに)
母亡きいま、二人が戦場に行ってしまったらイザベルはこの大きな邸宅で一人ぼっちになり、訃報の手紙が届かないことをひたすら祈ることになるだろう。
「そんな不安そうな顔をしないで。そうそう起こるものではないから」
「そう思いたいですが、これは……」
「攻め入るためではなくて、国土を守るための防衛予算だ。領土が広がれば広がるほど他国との国境線も長くなるしね」
イザークはまるでイザベルから隠すように書類をまとめて引き出しにしまった。
「ベル、そのケーキは私のかい?」
こくんと頷く。
「今人気のお店なの。ユースと行ったのだけど、お父様にも食べて欲しくて」
冷たい紅茶とともに執務机の上に置いた。
「書類仕事ばかりだから、たまには甘いもので休憩してね。さもなくば抱きついて仕事をさせない刑ですよ」
「可愛い我が子のお願いを聞き入れないわけないが、そんなご褒美のような刑があるなら破りたくなってしまうな」
朗らかに笑うイザークはイザベルとともにしばし休憩をとった。
◇◇◇
「ベル」
「ん~?」
刺繍をする手を止め、声のした方を向く。
部屋に入ってきたユリウスは大きな箱を携えていた。
「それなに?」
「ベルの好きな物。開けてみて」
「分かったわ」
リボンを解き、わくわくしながら慎重に箱を開ける。
「これ、いつ並んだの!?」
そこにはフローラにあげたケーキと同じものが入っていて。イザベルはぱっとユリウスの顔を見た。
彼は嬉しそうなイザベルの表情に口元を緩める。
「先日、食べ損ねてたから……開店前に並んだんだ」
「今日?」
「もちろん」
「朝からどこに出かけるんだろうと思ったんだけど……これだったのね」
食べれることはもちろんのこと、ユリウスがイザベルのためだけに朝から並んでくれたその気持ちがとても嬉しかった。
「ユース、一緒に食べよ」
「ベルのために買ったんたから僕はいらないよ」
「私が貴方と食べたいんだからいいのよ」
(ララに頼んでフォークと紅茶を持ってきてもらわなきゃ)
「ユースありがとう。大好き!」
再度礼を言ってユリウスに抱きついた。
胸に飛び込んだイザベルは気づかなかった。
ユリウスが心底嬉しそうに表情を緩め、他の人には決して見せない蕩けそうな顔をしていたのを。
そうして甘く囁くのだ。
「どういたしまして」