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予定通りには進みません

「──ベル」

「…………」

「ベル、入るよ」


 ユリウスがドアノブを捻ると簡単にドアは開いた。カーテンは閉められ、昼間なのに薄暗いイザベルの部屋には啜り泣きが響く。


 ユリウスは迷いもせずに部屋の中に入り、ネグリジェ姿のまま大きな塊になって微動だにしないイザベルへ向かう。


「馬鹿っ! なんで来るのよ!」


 ずかずか入ってくるユリウスの顔面に、イザベルは掴んでいたクッションを力いっぱい投げつけた。

 彼はそれを難なくかわして、クッションはあっけなく地面に落下する。


「ねえベル」


 重苦しい黒いマントを脱ぎ捨て、ユリウスはイザベルが膝を折って顔を隠す寝台に腰掛ける。


「──帰ってきたら話したいことがある」


 優しく涙を拭いながら、イザベルをすっぽり包み込むように抱きしめた。


「聞いてくれるかい?」


 泣きすぎて赤く腫れた蜂蜜色の瞳がユリウスを捉えた。

 ゆっくりとした動作でイザベルも彼に手を伸ばし、涙声で何とか声を絞り出す。


「なんでも……聞くから」


 いつの間にか自分よりも大きくなった彼にぎゅっと縋り付く。


「だからお願い。生きて帰ってきて」


 この温もりを失う可能性があるなんて。考えたくなかった。


 イザベルはぽろぽろ涙を流す。


「戦場に行く貴方に泣き顔なんて見せたくなくて、閉じこもってたのに。私の部屋に入ってくるなら意味なかったじゃない。ユースだって別れが涙なんて嫌でしょ」

「そうなの? 僕は見送りに来てくれない方が嫌だよ」


 ユリウスはそっとイザベルの手を取り、甲にくちづける。それはまるで姫に忠誠を誓う騎士のようで。不覚にもドキドキしてしまう。


「絶対に帰ってくるから。もう、泣かないで」

「今の行動で止まったわ。どこで覚えたのよ」


 正直に申せば、彼は口元を緩めた。そうして次の瞬間には不安げに碧眼が揺れ、イザベルの寝台に広がる銀髪のひと房を手に収める。


「ベルは僕のこと好き?」

「ええ、もちろん大好きよ」


 胸に抱く感情を抜きにしても。家族として。

 するとユリウスは寂しそうに笑い、頬に別れの挨拶代わりのキスをした。




「…………僕も好きだよ。この世界でいちばん」


 


◆◆◆




 ふっと意識が浮上した。目を開ければ眩いばかりの陽光が窓から差し込んでいる。


「わたし……」


 忘れていた。あの日は、ユースが前線に出発する日で。皇帝陛下の命令だから拒否できず、とはいえ死んでしまう可能性を考えたら不安で不安で仕方がなくて。私が行く訳でもないのに一晩中泣いていたのだ。


 見送りにはフローラも来るだろうし、こんな感傷的になっているところで二人の姿を見るのもつらい。

 だからイザークお父様の説得も無視して一人、邸宅に残っていた。


 あの時、処刑なんて起こらず、戦場から無事帰ってきたら、ユースは私に何を伝えたのだろうか。


 むくりと上半身を起こしシーツを剥ぐ。そのまま裸足でベランダへと続く窓を開け放った。


 ぶわっと心地よい風が頬を掠め、部屋を駆けていく。ネグリジェの裾も風をはらんで舞い上がる。


「レーゼ……?」


 寝起きの掠れた声が背後からかかる。


「ごめん、起こしちゃったかな」

「ううん、半分起きて微睡んでただけ……」


 ふわあと欠伸をしながらエステルも体を起こす。


「おはよう」


 前に垂れてきた髪をかき揚げ、エステルは言った。


「おはよう。今日もいい天気みたいだよ」


 私の後ろには快晴が広がっていた。雲ひとつないので昨日と同じように暑くなりそうだ。


「日差しが強いわ……日焼け止め塗らなくちゃ」

「日焼けは乙女の天敵だもんね~~」


 窓を開けたまま固定し、エステルの元に戻る。


「そうよ。すぐシミになってしまうんだから」


 彼女は顔を洗うために洗面所に向かったので、私も化粧品を入れた袋を持って追いかけた。


 そして身支度をした後に私達は食堂へ移動する。


「エステル様、テレーゼ様、おはようございます。寝台の寝心地はどうでしたか」


 声をかけてきたのは昨日、この別荘の管理人としてアレクから紹介されたジョージさんだ。


「ぐっすりでした。どうもありがとう」

「それは良かったです。他にも何か気になることがありましたら何でもお申し付けください」

「ではアレクとヨハネス様はもう街中に?」


 席に腰かけながら尋ねると、ジョージさんは水を注いでくれる。


「先程出掛けられました。お二人には土地勘のある使用人と護衛が付きますのでどうぞ自由に観光を」


 私はエステルと朝食を頂いて、肩掛けのバッグを身につけてからエントランスに向かう。

 そこには剣を携えた男性とお仕着せ姿の女性が既に私達を待っていた。


「砂浜に行きたいのですが、どこから行けば良いのでしょう」

「ご案内します」


 侍女さんは先陣を切って前を歩く。私もエステルと傘を差しながらそのあとを追った。

 額に浮び上がる汗を拭きながら木々が作った木陰の下を歩くこと十数分。


 一気に視界が開き、眼下に海が広がった。

 なだらかな石畳の階段を降りれば白い砂浜が私達を迎え入れてくれる。


 私は駆け出したくなるのをこらえるが、浮き足立つ感情は抑えられなかった。 くるくる日傘を回す。


「海がこんなにも近い! すごい!」

「はしゃぎすぎよ」


 白く泡立つ波が見えてきて、さざ波の音も大きなっていく。

 ヴィルタ侯爵家の所有している土地なので、他の場所と違って人っ子一人居ない、私とエステルの独占のはずだった。


「あれ?」


 おかしな光景に私はぱちぱち瞬きをする。見間違えだろうかと目をこすったが、ぽつんと白い砂浜に人影があるのだ。


「ここ、他の人も来れたっけ」


 隣にいたエステルに尋ねれば彼女は横に首を振る。


「そんなことアレク言ってなかったわ。観光客が迷い込んだのかしらね」

「申し訳ございません。エステル様、テレーゼ様、こちらでお待ちください。確認してまいります」


 護衛の騎士が険しい顔になり、人影へ駆けていく。案内役の侍女は木々の後ろに私達を隠した。


 私はひょっこり顔を出して騎士と人影を窺う。


「何者だっ」

「ひぇっあ」


 護衛の騎士は抜剣し、悚然として座り込んでしまった白髪の老婦人の首筋に添わせた。


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