視線の先にあったもの(2)
二人組の大人が──もっと細かく言えば先生の服装とは思えないラフな白シャツ姿の黒髪の青年が、学園長らしき薄めのローブを羽織った人物と一緒に居るのだ。
顔を見てもいないのに、私は一目でそれがユースだと分かった。
彼は白い柱に寄りかかり、腕を前で組んでいる。ちょっと下を向いていることから表情の確認は出来ないが、絶対にユースだ。
彼はもう視察を終えたのか、少し遠くに横付けされた馬車へ乗り込もうと歩き出した。
「ダメっ行かないでっ」
気がついた時には心臓が悲鳴を上げるほど全速力で駆け出していた。
人を避けながら廊下を全力疾走し、エントランスとは別の出入口に向かう。
「ああレーゼ、先生が呼んで……おい」
「離してっ」
急に腕を掴まれ、私は掴んだアレクを睨みつける。
「何でそんなに怒るんだよ」
「いいから離してっ」
今日を逃したら次はいつユースに会えるのか不明瞭なのだ。
無理やり振り解こうとするけれど、がっちり掴まれていて解けない。
「お願いだから。本当に行かなきゃいけないの」
ずっとずっと会うことを切望していたユースが、すぐそこにいるのに。
感情がぐちゃぐちゃになって振り切れてしまい、ぽろぽろ涙が溢れてくる。
するとアレク越しに馬車に乗り込む人が見え、馬車はゆっくり動き始める。私はへなへなとその場に座り込んでしまった。
「……行っちゃったじゃない」
ぐしゃりとアレクの制服を握りしめる。
この時点で乗り込んだのなら、捕まらなくても間に合わなかっただろうに。
愚かな私は行き場のない感情をアレクにぶつけてしまう。
「レーゼ、急に座り込んで何か変な物でも食ったのか? 医務室はすぐそこだぞ」
「違うの違うけど……私は、あそこに」
上手くまとまらない。未練がましく木々しかない窓の外に目を向けてしまう。オロオロしていると、泣いている私をここに置いていくのは良くないと判断したアレクが、無人の教室に私を引っ張っていく。
「何があったのか知らないけど、ちょっと深呼吸しろ。まともな判断出来なくなってるだろ」
言われた通り大きく息を吸って吐く。だんだん落ち着きを取り戻し、ぐちゃぐちゃに絡まっていた感情もひとつひとつ解けていく。
(あそこで飛び出していても、変な人と取られてしまうところだった)
いいことは何も無くて、むしろ今後の活動で足枷になる可能性が高い。
「在学中に皇帝に対して変な言動をした女子生徒だから侍女としては不採用です」とかになったらそっちの方こそダメージが大きい。
感情に任せて、その機会をダメにしてしまうのは大馬鹿だ。
一回の出会いよりも、仕える方が接点は増えるだろうから。
「…………アレクのおかげで助かったわ。突っかかってごめんね」
「ん? 俺、何もしてないけど」
机の上に座って足をぶらぶらしていたアレクは私の方へ近付いてきた。
「よー分からんけど泣き止んだならいいんじゃね? ほら」
アレクは私にハンカチを差し出した。ありがたくお借りして頬に残った涙の粒を拭く。
(距離感を間違えちゃいけないわ)
私はイザベルではなく、テレーゼで。
過去、当たり前だったユースとの距離感が今は話しかけることも出来ないくらい果てしなく遠い。
皇帝となった彼からしたら沢山ある貴族の中の小娘というのを忘れてはいけない。
後ろからぎゅっと抱きしめて優しげに笑ってくれるのも、ユースと呼べるのもイザベルの特権で。
テレーゼは何も持ち合わせてはいない。まっさらだ。前世の記憶からごちゃ混ぜになってしまうけれど。
(私結構現実を甘く見すぎてたな……)
遠くから視認しただけで感情の制御もできず、自分の置かれた立場をきちんと理解していなかった。
会えばどうにかなるという蜂蜜よりも甘い考えを捨てなければならない。
「アレク、私反省して精進するわ」
「何を?」
「これまでの行動全部を」
何も知らないアレクに宣言すれば、彼は不思議そうに首を傾げたのだった。




