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もう一度、ここから(2)

 女神様はもたもたせずにさっさと決着をつけて欲しいみたいだ。驚き、たたらを踏んだ音に彼もこちらに気づいたようで澄み渡った蒼い瞳と目が合ってしまう。


「レーゼっ」


 お兄様の引き止める声が聞こえたけど、一大事なのだ。向き合う覚悟は出来ていない。反射的に回れ右をして脱兎のごとく踵を返して自室に篭城する。


(さすがに家まで来るなんて思わないじゃない!!)


 鍵をかけドアを背にずるずるとしゃがみ込んだ。胸に手を当てるとまだ心臓がバクバクしている。

 一時的な安寧を手に入れた私は立ち上がろうとしたけれど、徐々に大きくなる足音に動けなくなる。


 その足音は私の部屋のドアの前でピタリと止まった。


「連絡も入れずに訪問してしまいすまない。君が急に一週間の休みを取ったとチェルシーから聞いて居ても立っても居られず」


 声色は優しい。ドア越しに懇願が届く。


「話がしたい。出てきてくれないか」

「私は話すことなどありません。お帰りください」

「いいや、それでは納得がいかない。テレーゼ、貴女はベルなのだから」


(ああダメだ本当に)


 ユースの確信を持った言葉を否定しなければ。亡霊の私は「はいそうです」とすんなり頷いてはいけない。

 

「人違いです! 私は陛下がお探しになっているお方ではありません!」


 ドアに背を預けて声を張り上げる。


「私の名前はテレーゼです! テレーゼ・デューリングです! けっしてイザベル・ランドールなどという娘ではありません!」


 頑なに否定する必要は一昨日の夜中に延々と考えていたけれど、思いつかなかった。なので肯定してしまえば楽なのだが、私の中で意地になっている部分があり直ぐ方針を変えることは難しかった。

 肯定してしまえば、ユースとの今世での関係性が一気に変わってしまう。それが怖い。


「なら私の独り言として耳だけ貸してほしい」

「…………」


 沈黙を肯定と受け取ったのか彼は淡々と話し始める。


「もし、君がベルなら言いたかったんだ」


 衣擦れの音がして、降り注ぐような聞こえ方から横から彼の声が聞こえるようになる。


「── もう一度、会いに来てくれてありがとう。言葉に言い表せないほど嬉しい。ずっと会いたかったんだ」

「っ!」


 嗚咽しそうになり口を手で覆う。


(その言葉をもらえただけで私は)


 全ての苦労と苦しかった心が報われた気持ちになる。ぽろっと涙が頬を伝い落ちていく。


「勝手に約束を……死しても尚、守ろうとしてくれたと思っている。だが僕は、いや、僕のせいでベルは死んだ」


 じわじわと胸を温かくしていた熱は一瞬にして雲散し、空いた隙間をつむじ風が通っていく。


「後から、僕のために処刑されたと聞いた。足枷になるなら処刑された方がマシだとそう言っていたと」


(ああ、私は背負わせなくてもいいものを背負わせてしまった)


 苦しげな声音に心臓が軋む。処刑されるならされるで周りに一切胸中を語ることはせず、思惑を、感情を、漏らしてはいけなかったのだ。

 考えが至らなかった私の行動は彼に重い枷を付けていたと悟る。それは願いとは真逆の結果だ。


「──僕がベルを殺した。僕がベルに出会ったから、甘えて長い時間をランドール邸で過ごしてしまったから、君を死に追いやった直接の犯人はリヒャルトだが、真の犯人は僕だ」

 

 その言葉を聞いたらもう、無理だった。心臓が苦しくて悲鳴をあげている。


「そんなわけないわ! 私が勝手にしたことよ! ユースのせいではないのっ貴方がそんな風に考える必要はまったくないっ」


 思わずドアを少し開けてしまう。ドア越しではなくて、直接聞いてもらいたくて。


「貴方のせいで死んだとか一瞬足りとも思ったことないっ! 出会ったことも後悔してない! 貴方と一緒に居られたから沢山のことを知れたの」


 弟という存在に、恋という感情も。私の初めての多くはユースとの思い出の中で形成されている。

 結局失恋してしまったけれど、無自覚の恋心は世界に彩りを与えてくれた。一緒に過ごした時間はかけがえのないもので、きらきらとした宝石のようなものだ。それは何年経っても褪せることはなく、心という宝箱に収まって今も尚日々に明るさを与えてくれる。


「大好きで大切で、自分の命と引き換えに守りたくなるくらい、私の人生にとって切っても切り離せない存在だったの! だからそんな風に貴方自身を責めないでっ」


 僅かにできたドアの隙間にユースの靴がねじ込まれ無理やり開かれる。手を取られ、腰にもう片方の手を添えられて立ち上がらせられると一気に距離が近づいた。


 彼は泣く寸前だった。瞳は潤み、何かの弾みで一気に堰を切るだろう。


「お願いだ。もう一度、名を呼んで欲しい」

「ユリウス陛下」

「違う。分かっているだろうに」


 呼んでしまえばもう後戻りはできない。けれどきっと、生まれ変わった時点でこうなる運命だったのだ。


 彼の頭を撫でながら、私は前世で目の前の人に捧げた愛称を紡ぐ。



「…………ユース」



 くしゃりと表情を崩した彼は海よりも深い碧眼の瞳から一筋の涙を零した。





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