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自由気ままな侍女生活の終わり

「何をしているのですか」


 出勤してうだうだと廊下の掃除をしていたらチェルシーさんに声をかけられた。


「…………掃除を」

「貴女の担当ではないでしょう」

「そうなのですが……」


 ぎゅっとほうきの柄を握りしめて私が俯くと、チェルシーさんは額に手を当ててため息をついた。


「貴女は陛下付きでしょう。このような雑用は他の者に任せて陛下のところへ行きなさい」

「ですが……」


 しゅんと項垂れる理由をチェルシーさんも知っていて、私の肩を励ますようにポンっと叩いた。


「陛下はそこまで甘くありません。不快だと思ったらその場でその侍女を解雇にします。私も貴女の仕事ぶりは聞いていますがよくやっています。だから大丈夫です」

「それでも……チェルシーさんもご存知でしょう?」

「ええ、聞き及んでいますよ」


 その言葉に私はますます顔を暗くした。


「ほら、早く行きなさい。陛下がお呼びですよ」


 その言葉に肩が跳ねる。チェルシーさんはびくんとした私の背中を今度は発破をかけるように軽く叩き、ぐいっと前に押した。


 私はほうきを元の場所に戻してからユースが待っているという執務室にとぼとぼ向かう。


「うぅなんであんな失態を犯してしまったのかしら……」


 あの日、ユースの部屋の掃除を任された私は張り切って掃除を開始したのだけれど、ほうきの柄がサイドテーブルに置かれていた瓶に当たってしまったのだ。

 咄嗟に掴もうとしたのだが差し出した右手は宙を切り、瓶は落下して粉々に砕けて中身が辺りに流れ出した。

 そしてふわっと甘い匂いを嗅いだ所までは覚えているのだが、そこからの記憶はなく、次に目を覚ました時には豪奢な天井絵が私の視界を埋めつくしていて叫びそうになった。


 その後、自分がユースの寝台に寝かされていたことを悟って青ざめた私は解雇される覚悟だったのだが……。


(何にも音沙汰は無いし……)


 おかげでその事件の翌日は私の誕生日だったのに生きた心地がせず、家族にも心配をかけてしまった。


 しかも大失態を犯したのに、何故か件の失敗は綺麗に隠蔽されていてチェルシーさん以外は誰も知らない。普通ならこれを機に他の侍女達に詰め寄られると思ったのだが、その片鱗もない。怖い。怖すぎる。


 結果、いつ断罪されるのかとビクビクしながら仕事をこなすことになってしまった。


 おまけにあれ以来ユースと顔を合わせていないのも私の憂鬱さに拍車をかける。


(…………呼ばれたってことはあの件よね? 何を言われるんだろう)


 今回は私の責任だ。解雇を言い渡されても仕方がない。彼の物を壊した上、皇帝の寝台ですやすやと眠っていたのだから。リヒャルト陛下なら有無を言わず首を刎ねとばされている。


 そうこうしているうちにユースの執務室に着いてしまった。私は覚悟を決めてノックした。


「誰だ」

「テレーゼです」

「入ってくれ」


 失礼しますと断りを入れてからドアを開けた。

 数日ぶりの彼は正面の椅子に腰かけていて、まっすぐ私を見つめていたのだが、目が合うと微かにその瞳が揺れた気がした。


 私はごくんと唾を飲み込んで頭を下げた。


「陛下、この度は申し訳ございませんでした。物品を損壊しただけでなく、陛下の寝台で眠ってしま……」

「──いや、謝らなくていい」

「えっ」


 途中で制され、私は顔を上げた。


「むしろ感謝したい。ありがとう」


 立ち上がったユースは私の方へ距離を詰める。


(…………失態を感謝?)


 後から思えば、違和感を持ったこの時、時間稼ぎにしかならないけれど逃げるべきだったのだ。

 本能的に嫌な予感がしてじりじりと後ずさるが、ユースが距離を詰めてくるので逆に差が縮まる。


「あの件のおかげで私はずっと切望していたものを見つけることができた」

「それは……良かったです?」


 あっという間に距離が縮まり、いつの間にか壁に追い詰められていた。


「あの、陛下?」


 これはちょっと距離が近すぎるんじゃないだろうか。他の侍女に見られたらまた嫌がらせを受けそうだ。

 ユースはお構い無しに話を続ける。


「皇宮の裏手にある墓石に花を捧げたのはテレーゼ、貴女か?」

「えっと……はい、まあ。命日でしたので」


(私の。前日はお父様の)


 誰かに見られてはまずいだろうといつもより早く出勤して献花したのだが、いけなかったのだろうか。

 だが、ユースの口から漏れ出たのは全く違うことだった。


「ベルだからだよね」

「…………は?」


 頭が真っ白になった。


「君は今、テレーゼという名だけれど僕の知っているベルだろう?」


 突然の爆弾発言に心臓が止まりかけ、ヒュッと息を呑んだ。


「なんの……こと、だか」

「あの日、僕のことをユースと呼んだよね」

「いや、あれはユースが現実の私をベルって呼ぶわけないから夢かと思って……ってあっ」


 いま、完全に墓穴を掘った。

 青ざめる私と対照に、ユースは今世では見たことがないほど穏やかな笑みを浮かべた。


「──やっぱりベルだ」


 確信に満ち溢れたユースは力強く私のことを抱きしめてくる。私ははくはくと口を動かし、首を横にぶんぶん振った。


「人違いですぅぅうううう!!!!」


 生きてきた中で一番大きな声を出したと思う。叫ばんばかりに声を張り上げ、必死に彼の腕の中から抜け出して全速力で離脱する。


(なんでっ!? どうして!!!!)


 私は走った。とにかく走った。息が切れても無理やり足を動かした。


 全力疾走で廊下を駆け抜ける私の後ろ姿を、ユースが余裕たっぷりに見ているとも知らずに。




いつもお読み下さりありがとうございます。

これにて3章完結です。

続けて4章に入りますので今後ともお付き合い頂けますと幸いです。

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