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絶望と渇望と恋焦がれたその先(6)

 何故ここにいるのかということと、何故呑気に皇帝の寝室で寝ているのか。一瞬にして脳内はクエッションマークで埋まった。


 疑問は直ぐに解消された。彼女の傍にはほうきが落ちており、ユリウスの鼻腔には甘い匂いがくすぐったからだ。


(掃除中に瓶を割って中身を嗅いでしまったのか)


 おまけに彼女の周りには白い粉も散っていて、サイドテーブルに置いていた粉末状の睡眠薬を吸い込んでしまったようだった。


 これらはユリウスの睡眠障害を解消するために処方されたものだったが、あまりにも酷い不眠に対応する強い薬だったので、吸い込んだり、嗅いだりして眠ってしまったのも仕方なかった。


 そのまま寝かせておいても良かったのだが、このままにしているとララ辺りが探しに来て叱られるのはテレーゼだ。

 こんな日にイザベルと似ているテレーゼが説教される姿を見たくはない。起こした方がいいだろうと彼女の元へ足を踏み出した。


「んんっフロー、ラ」


 伸ばしていた手が止まる。心臓が大きく鼓動した。


(どうしてその名前を……)


 違う。ユリウスの想像した人物とテレーゼが夢うつつに発言した人物は異なる。フローラという人物は掃いて捨てるほど存在するのだから。


 けれども無意識に口をついて出る。


「──ベル」


 室内に響いた己の声に、はっと口を覆った時にはもう遅い。彼女の耳にユリウスの声が届く。


 んっと揺れ動いてから少しだけテレーゼの顔が上がり、イザベルと同じ蜂蜜色の目がゆるりと開く。蕩けそうな柔らかい──懐かしい眼差しで切望していた名を紡ぐのだ。



 ──今はもう、誰からも呼ばれない愛称を。



「……な、あに。ゆー、す」



 その瞬間は時が止まったかのようだった。鼓動がやけに大きく聞こえ、瞬きすら惜しい。


 ふにゃりと笑いかけ、綺麗な弧を描いた唇は緩やかに閉ざされる。かくんとユリウスの方に身体が傾いた。反射的に抱き留めると、自分の手が震えていた。


 十分な時間が過ぎてから、ユリウスは震えながら再度眠りに落ちていったテレーゼに声をかける。


「君は……ベルなのか?」


 テレーゼはユリウスを見てはっきりとユースと言った。


 「ユリウス」の愛称はユーリやユールが大半だ。ユースなんて呼ばれない。これはイザベルが授けてくれた特別なもので、イザークとイザベル以外には口にすることさえ許していない。


 だから彼女がこの愛称を知っているはずがないのだ。


 別人だとつい先程まで無理やり全否定しようとしていたユリウスは、一転してテレーゼとイザベルを繋げていく。


(無関係はありえない。でも、ベルは死んだ。自身の目で埋葬まで見届けたのだから肉体は違う)


 もし、同一人物だとしたら一体どんな原理で死者が現世に帰ってくるのだろうか。


「魂が同じなのか?」


(テレーゼは学校を卒業してそのまま採用されたと話していた。つまり十八か十七歳)


「イザベルの生まれ変わり?」


 発した結論に、全てのピースがカチリとはまっていく。

 だとしたら全てが納得いく。最初から怯えないのも、あんなにも自信を持ってユリウスの言葉を否定してきたのも────


(ベル、だから)


 根拠はない確信がユリウスの中で事実となって作られていく。


 生まれ変わりなんて聞いたことがない。しかし、これしか説明がつかないのだ。


「ベル」


 震える手で彼女の頬を撫でる。柔らかい、血の通った肌だ。最後に抱きしめた冷たい骸ではない。

 とくとくと彼女の鼓動が聞こえてきて、消えないようぎゅっと強く抱きしめる。


(生きている。ベルが俺の胸の中で生きている)


 ああ、と息を吐いて視界は揺らぐ。

 ユリウスの中で二人は同一人物なのだと処理されていた。


(ベルがいる)


 その事に言いようのない幸福を覚える。ユリウスはテレーゼの肩に顔を埋めた。


「ずっとずっと会いたかったよ」


 感情が溢れて制御ができない。


(どう足掻いても自害が妨害され、女神なんて存在しないか嫌われていると思っていたが……このためだったのなら許せる。むしろ感謝したい)


 突然の掌返しに女神は呆れ果てるか激怒しそうだが。それでいい。


 もう一度顔をよく見ようと頬に手を添えて眺めようとしたところで別の足音が加わった。


「陛下っ!? 一体何が」


 ユリウスの寝室に現れたヘンドリックはギョッと目を見開き、ハンカチを差し出してくる。そこでユリウスは自身が泣いていることに気がついた。


 亡骸を抱きしめたあの時以来の涙。けれども悲しさからではなく、喜びの涙だ。伝う涙は温かく、しばらく止まりそうにない。


「ハンカチは不要だ」


 ユリウスは片時もテレーゼから離れたくなく、差し出されたハンカチを受け取ろうとしなかった。代わりに命令を下す。


「ヘンドリック、デューリング伯爵家とランドール公爵家が過去に婚姻を結んでないか、もしくは養子をとっていないか血族全員、末端まで今すぐ調べろ」

「はい?」

「それと、テレーゼ・デューリングをもう一度調べあげてくれ。生まれた瞬間から今日まで余すことなく全てだ」


 念には念を入れて。それに彼女のことは全て知りたい。把握しておきたい。


「ええっと……?」


 説明もなしに矢継ぎ早に命令されて困惑を露わにするヘンドリックに、ユリウスは理不尽な苛立ちをぶつける。


「最優先で調べろ。早く!」

「はっはいっ!」


 語気の強さにヘンドリックは背筋を伸ばしてすぐさま踵を返した。


 ユリウスはテレーゼを抱き抱え寝台にゆっくりと下ろす。

 そして彼女の手をそっと包み込み、愛おしそうに唇を落とした。



「今度こそは絶対に何があっても離さないよ」


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