絶望と渇望と恋焦がれたその先(5)
雨音がユリウスの足音をかき消していく。
らしくもない花束を抱えた皇帝がそばを通りすぎる度、侍女や文官達は通り過ぎた彼を二度見した。
その中でも昔からユリウスを知っている一部の者だけはまたこの時期が来たのかと、ほんの僅かな時間過去の記憶に思いを馳せる。
回廊から外れ、皇宮裏手の泥濘む道無き道に足を踏み入れた。濡れて柔らかくなった地面にぐちゃりと嫌な音を立てて靴が沈みこむ。
薄く遠くまで続く霧の奥に現れたのは、大樹の根元にある白い墓石。差した傘を傾け、永遠の眠りにつく死者達を冷たい雨から守る。
「今日は君の命日だ。ベル」
ここにイザベルとイザークの墓を立てたのは、誰にも邪魔されない穏やかな眠りについて欲しかったからだ。
稀代の悪女だと罵られた彼女はシルフィーア教が管理する墓地には埋葬出来なかった。
それに、これは単なるわがままであるが近くにいて欲しいとユリウスが願ったからでもある。皇宮は自分の支配下だ。何をしても許される。敷地内に立ててしまえばいつでも会いに行ける。管理だって他の者に任せず、自分で手入れが出来る。
抱えていた花束を彼女に捧げようと、目線を落としたことでふと気づく。
「花が……」
白いカーネーションがそっと手向けられていた。
まだみずみずしさを保っている。雨で流されていないことからすると今日の朝捧げられたものだろう。
ここを知っている者は少ない。まして、悪女と呼ばれた彼女を弔いに来るなど……。
「彼女か」
雨音の中にさやさやと葉が擦れた音が間に入る。一旦、手向けられたカーネーションのことは頭の隅に片付け、ここに眠る二人に声をかける。
「今年も私は二人の元に行けませんでしたよ。いつになったらそちらへお邪魔できるのでしょうね」
毎年今年こそは死ねるのではないかと、この為に新調した真新しい剣を自身の胸に突き刺そうとするのだが、毎度のお約束で刃が粉々に砕け散ってしまう。
最初は仰天して必死に止めに入っていたヘンドリックも最近では恒例行事としてスルーするぐらいだった。
「幽霊でも構いません。イザーク様も私の元に現れてくれませんか」
返答は無い。ユリウスは深呼吸して頭を下げてから花束を捧げた。
「また来ます」
道を引き返しながら頭の片隅に追いやった事柄を引っ張り出す。
ララとの会話でも挙がったテレーゼ・デューリング。
彼女は時折ここを訪れては周りに落ちた木の葉をきれいに掃き、墓石に付着した土埃を水に濡らした布巾で擦って落とすなど、担当でもないのに掃除している。
立ち入り禁止だと言ったはずが、訪れては掃除していく彼女の思惑は理解出来ない。しかし優しい手つきでイザークの墓を撫でる姿を見るとこちらまで心臓をぎゅっと鷲掴みされたような心地がした。
(ベルは彼女のことをどう思うだろうか)
顔合わせの際、他の新人侍女は自分と対面して顔を真っ青にしていたのに、テレーゼだけはじっとこちらを見つめていた。
今年は変わった新人が入ったようだ──といつもと違う感想を持ったが、他人に興味はない。すぐに存在は忘れ去った。
けれども彼女はユリウスの世界に介入してきた。
そしてユリウスも他の者と比べてそんな彼女のことを疎んでない。皇帝の地位だけが目当てでユリウス自身のことはどうでもいい。そんな異性ばかりに辟易して嫌悪を抱いていたのに、テレーゼだけはそばに置いておきたいと思ってしまった。
(認めよう。俺はテレーゼのことが気になっている)
恋ではない。ユリウスの心はイザベルに捧げたままだから。
だが、ララの言った通りテレーゼには不思議な魅力があるのは確かだった。
そして、その魅力は何なのかそばに彼女を置き始めて徐々に気づき始めていた。
(俺はベルの面影を……テレーゼに見てしまう)
自分に対して物怖じしないところ、喜怒哀楽がはっきりしていて、顔貌は全く違うのに笑った顔がイザベルの笑顔と重なって見えることが何度もあって、生きていたならイザベルが言いそうなことをそのままぶつけてくる。
(まるでベルのようなんだ)
言動が。表情が。朧気になっていた彼女の記憶を呼び起こす。
だから手元に置きたい。目の届かないところに行って欲しくない。他の者に害されると不愉快で腹が立ち、裏から手を回して関係者に制裁を下し、怪我をしていると心配になってしまう。
おまけに試すような言動をとり、わざと突き放しては相手の反応を窺う。
(血縁関係もなく、全くの別人であるのに)
年々募る「ベルに会いたい」という自分の願望が、渇望が、悪い方に働いて少しの共通点でも過大評価して思い込ませているのかもしれない。
知れば知るほどイザベルとテレーゼが重なっていく。
(俺は──……)
皇宮に戻ったユリウスは、濡れた服や汚れた靴を自室で履き替えてからテレーゼを探しに行こうと決めた。墓石に置かれていた花は本当に彼女が捧げたものか無性に確認したくなったからだ。
自室のドアを開け、足を踏み入れようとしたところでユリウスはピタリと止まった。
見開いた目に映るのは、床に座り込み、頭だけ寝台に預けたお仕着せ姿の女性──テレーゼがすやすやと穏やかに眠っていた。




