プロローグ(1)
冷たい風が外を支配し、枯れた木の葉が目の前を横切った。ボロボロの布切れに身を包んでいたイザベルは、寒さにぶるりと震えつつ、両脇に監視を伴い断頭台へ向かっていた。
(ユースとフローラの結婚式、出席したかったな)
あわよくばそのあとの二人の人生を、幸福を、友人としてそばで見守りたかったのに。
──自分にはもう、叶わない。
木でできた階段を上り、死に場所に到着した。心を落ち着かせるために深呼吸をしている間にも、刻々と処刑の時刻が迫ってくる。
少し離れた場所で、イザベルの命を奪う刃が研がれていた。シュッシュッと音が聞こえてくる度に、錆び付いていた刃は鋭さを取り戻し、切れ味の良いものに変化していく。
スパッと切れるよう準備してくれるのは、情けなのか哀れみからの温情なのか。どちらにせよ、苦しまず逝けるに越したことはない。
「執行官さま」
「何だ。あれはきちんと持ってるぞ」
牢屋からここまで無言を貫いていた執行官は腕を組み、眉を寄せた。
「いいえ、その件ではなくて……第三皇子は戦場で成果をあげられていると聞きました。ほんとうですか?」
「……ああ、飛ぶ鳥を落とす勢いで猛進しているらしい。もしかしたら三ヶ月後には勝利を齎してくれるかもしれない」
「なら、良かった。聖女様もあの方の傍におりますし、安心して旅立てます」
ユリウスが上手く軍功を上げられているかは、イザベルの心残りのひとつだった。詳細が知れて本当に嬉しく感じる。
(出征前はもう一度会えると思っていたけれど……)
俯けば、両手の自由を奪う枷。
戦争が終わり、帰国後にこの件を知ったらユリウスは酷く怒るだろう。そういう人だから。
目を閉じて思い出に身を沈めようとしたその時だった。
馬の嘶き声とともに、聞こえてくるはずのなかった────会いたかった彼の声を聞いたのだ。
「──イザベルッ」
「でん、か?」
ここにいるはずのないユリウスを視界に捉え、イザベルは大きく目を見開いた。彼は三か月前、隣国との戦争に出陣し、当初の予定では帰還は早くて来年だと言われていたのだ。
ぼさぼさの髪にみすぼらしい服装のイザベルと目が合うと、ユリウスは馬から飛び降り、手網も放り出して一目散に駆けてくる。
「──刑の執行を止めろっ彼女は何もしてないだろう!? そもそもイザベルは私の……ベルッ」
階段を上る手間も惜しいのか、段を飛ばして断頭台に駆け上がる。
「ベル、どうして……何で、こんなことに」
乱入者を止めるため、騎士達がイザベルの前に立ちはだかった。
「邪魔だ。私のことが分からないのか」
「し、失礼いたしました。ですが、この者は罪人で」
相手が誰だか分かると騎士達は少し怯む。が、職務を全うするためにそれでも立ちはだかった。
「──命令だ。退け」
不機嫌を隠そうともせず、ユリウスは騎士を睨みつけている。
まさか前線にいるはずの第三皇子が現れると思っていなかったのだろう。立会人達もぽかんと口を開けて呆然としている。
イザベルはため息をついた。
(これでは埒が明かないわ)
困ったことになってしまった。どちらも譲歩する気はないようで、何なら殺気立ったユリウスが強行突破しそうな勢いである。
「執行官さま。あの、少しだけ殿下と話してもいいですか」
「……ああ」
齢二十にも満たず処刑されるイザベルを哀れんだのか、執行官はユリウスと会話することを許した。
これは天国で感謝しなければならない。
騎士達が横に避けた途端、ユリウスは人目もはばからずめいっぱいイザベルを抱きしめた。慣れた温もりに心が落ち着く。
「殿下、お久しぶりです」
「そんな挨拶している場合じゃないよ」
彼の焦りの要因はイザベルにあるのに、まるで他人事のようで。枷をつけた両手でそっと彼の頬を包む。
余程急いで前線から戻ってきたのだろう。艶やかな黒髪は土埃にまみれ、目の下にはクマがあった。どうやら不眠不休で馬を走らせたらしい。まったく無茶なことをする。
「ベル、約束しただろう? 何があっても僕の傍にいるって。置いていかないと」
「…………覚えているわ。忘れるはずがない」
(だって、私の中で一番大切な約束だもの)
込み上げてくるものがあり、胸が張り裂けそうになる。イザベルはじわりと滲む涙を溢れぬよう、ぎゅっときつく瞬きする。
約束があっても、隣にいられる権利は別の人。世界はそんなに都合よく回っているわけではないのだ。
(お別れしないと)
「ここからは、死に際の罪人の戯言だと聞き流してください」
「死なせないよ。不謹慎なこと言わないで、絶対に殺させない」
ふるふると首を振るユリウス。
助けようとしてくれている──その事実が泣きたくなるほどイザベルは嬉しい。そのままユリウスの手を取ってしまいたくなる。
そんなこと、彼を想うならば選べるはずのない選択肢だと理解していても。
ごめんね。と心の中でも謝って、ユリウスに微笑みかける。
無理やり笑みを作ったのは、彼の記憶に臆病で泣き出しそうな自分を残したくないわがまま。
だからイザベルは額と額をこつんとくっつけて、吐息が唇を掠めるほど至近距離で告げるのだ。