チー牛は隠れながらアニメを見る
そんな地獄の日々が続いたある日こと、真がSNSを開いてみるとタイムラインが『鬼殺しの侍』の話題で埋め尽くされていた。
そういえば昨日の深夜からアニメが始まったんだっけ…
『鬼殺しの侍』は放送回数を重ねるたびに反響が大きくなり、ネット上はその話題で埋め尽くされていった。
「神アニメ」
「神作画」
「声優が豪華すぎる」
「今まで見たアニメの中で一番かもしれない」
アニメはもう見ないと自制していた真だったが、さすがにここまで話題になって見れないのは辛かった。
どんなアニメなんだろう。あぁ見たい。見たい、見たい、見たい、見たい…!
その思いは日増しに強くなっていった。
しかし今は陽菜乃に深夜アニメを見ないように約束されている。
何とかして陽菜乃にばれずにアニメを視聴する方法はないか考えたが、ふと自宅アパートのデスクトップPCの存在に気が付いた。
そうだ!スマホじゃなくてデスクトップPCまでは履歴をチェックされていない。陽菜乃が寝ている間に『徹夜で仕上げる課題があるから』と言ってこっそり視聴すれば…
我ながら妙案だと思った。
よし、今夜さっそく試してみよう。
その日の夜、陽菜乃との『ノルマ』を終えた真は、陽菜乃の髪を撫でながら悟られないようにやさしく語りかけた。
「ああ、悪い陽菜乃。俺、明日までに仕上げなきゃならないレポートがあるのを思い出してさ。先に寝といて」
文句を言われるだろうかと恐れていたが、陽菜乃はこくんと頷くとベッドにもぐりこみ、しばらくするとすうすう寝息を立てた。
よし、完璧だ。これで心置きなくアニメが見れる。万一陽菜乃が起きたとしても、その時はアニメのタブは閉じて課題のタブを表示させればいい。
契約しているサブスクリプションを開き、『鬼殺しの侍』を視聴する。
鬼が作った酒を飲んでしまい、鬼の姿にされてしまった妹を武士の兄が元の姿に戻すため旅に出るといったストーリーで、確かに有名声優の迫真の演技、戦闘シーンの作画、ストーリー展開の面白さなどすべてにおいて神アニメといえるものに仕上がっていた。
「みんな俺がアニメ見るの我慢している間にこんな面白いものを見てたのか…すげぇ…」
そういえば和田には申し訳ないことをしてしまったな。今度会ったら謝って『鬼殺しの侍』の話でもしよう。
それからというもの、真は『鬼殺しの侍』を時間がたつのを忘れて夢中になって視聴した。
こんなにうまくいくなら、今度からアニメは陽菜乃が寝ている間に見よう。やはり自分はアニメがないと生きていけないのだ。
だが幸福な時間というものは、いつも唐突に終わってしまう。真の場合は特にそうだった。
鬼にされた主人公の妹が、あられもない姿にされて敵に尋問されるシーンを見ている時だった。
ふと、首筋に髪の毛が触れる感触がした。驚いて首を撫でたがなんの感触もない。
まぁ虫が首に止まったんだろうと思い、そのまま視聴し続けようとしたその時、真の胸が二本の腕ですっと包まれた。
え…?
恐怖のあまり硬直した真の右耳からワイヤレスイヤホンがそっと外され、耳穴にふっと熱い息を吹きかけると、こしょこしょ声で囁いた。
「ずいぶん楽しそうな課題ですねー。マコトさん♪」
「ひ、陽菜乃…」
「いけませんね。真さん。私に隠れてこんなことするなんて。ダメじゃないですか。こんな女の子が出るアニメなんて見たら」
楽しそうに話す陽菜乃だったが、その声の根底には明らかに『怒』の感情が含まれていることを真は嫌というほど感じ取っていた。
「あ…いや…違うんだよ。これは…」
よりにもよってこんなお色気シーンで…
うまく事情を説明しようとしたが、パニックで頭が真っ白になってしまい何も浮かばない。
「そっかー。真さんは人との約束を簡単に破っちゃう人なんですね」
次の瞬間、真の右こめかみに「ガツッ!」という鈍い音と共に激痛が走った。
「があ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!」
余りの痛さに椅子から転げ降りてのたうち回る。茶色く日に焼けた畳の上に、真っ赤な鮮血がボタタッと大量に滴り落ちる。
もはや『痛い』という言葉で表現できる様な生易しい苦痛ではなく、命の危機を感じるほどの凄まじい苦痛だった。
こめかみからダラダラと流れる鮮血を手で抑えながら何事かと思い陽菜乃の方を見ると、そこにはパジャマ姿でボールペンを逆手に持って、はぁはぁと呼吸を乱して興奮気味に立ちすくむ陽菜乃がいた。
すでにその目にはハイライトはなく、怒りと殺意で満ち溢れている。
「言いましたよね…。ぶっ殺すって言いましたよねぇええええええええ!!!!!!!」
思わず小便を漏らしてしまいたくなるほど恐ろしく大きな声で陽菜乃は絶叫した。
「うわぁああああ!!!!」
本当に殺される…恐怖のあまり真は陽菜乃にタックルを食らわすと、ひるんだ隙に玄関に突撃し、闇の深まった夜の街へ一目散に飛び出したのだった。