チー牛は地獄を見る
真が自宅の玄関ドアを開けると、室内は引っ越してきた当日のように小ざっぱりとしていた。いや、小ざっぱりを通り越してがらんとしていたと言った方が正しいかもしれない。
「…え?」
唖然としてその場で立ちすくむ。
「あ!真さん。お帰りなさい。お部屋の中、お掃除しておきましたよ」
髪をポニーテールに束ね、エプロン姿の陽菜乃が嬉しそうに話しかけてきた。
「えっ…いやいやいやいやいや!え?、部屋に飾ってあったタペストリーとかフィギュアとかはどうしたの?」
「捨てましたよ。全部。私に関するモノ以外は。今日はごみの日でしたから、必要ないものはすべて処分しておきました」
陽菜乃はさも当然といった風に、さらりと答える。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!!!」
事態を飲み込むことができず、余りのショックに真は絶叫すると床の上に崩れ落ちた。
嘘だろ…限定のフィギュアも、何度もくじを引いてやっと手に入れたタペストリーも、炎天下の中コミケで並んで手に入れた同人誌も…
陽菜乃もそばにしゃがみ込むと、慰めるように真の背中をさすった。
「真さん。何がそんなに悲しいんですか? 私がずっとそばにいるの、あんな物はもう必要ないじゃないですか」
「あんまりでしょ…こんなの…俺の大事な宝物を勝手に捨てるとかありえねぇだろぉおおおおおおお!!!!」
悔しさとやるせなさで大粒に涙があふれ落ちる。その様子を陽菜乃は無表情で眺めていた。
「真さん。以前約束しましたよね。ワタクシを永遠に愛すると…」
その後、陽菜乃か課された一方的な『要求』はアニオタの真には耐えがたいものだった。
・他の女性と親し気に話すの禁止(女性店員など最低限の会話なら許容)
・美少女キャラが出るアニメ視聴禁止(国民的アニメなら許容)
・一日の終わりにスマホの履歴をすべてチェック
・毎晩必ず性行為(ノルマは最低5回。陽菜乃の気分次第で増えることもあり)
「これ、全部守らなきゃダメなの…?」
「当たり前ですよね。私以外の女にうつつを抜かすなんて絶対にダメです。ちょっとでも約束を破ったら、殺しちゃうかもしれません♪」
真のテンションとは対照的に口元にえくぼを作って楽しそうに話す陽菜乃だったが、その目は全く笑っていなかった。
その後の毎日は真にとって地獄だった。
アイドルアニメ研究会に顔を出しても今期アニメの話題に全く付いていけないので、次第に足が遠のいた。
毎晩どんなに疲れていようが必ず陽菜乃から行為を求められ、精力を搾り取られるだけ搾り取られた後に死んだように眠るという日々が続いた。
「まこっちー。最近バイトとかが忙しいでありますかぁ? アニ研にもめっきり来なくなりましたし、目元にクマができちゃって会うたびにやつれ果てていますなぁ」
講義が終わった後、和田が心配そうに話しかけてきた。
「あー…うん。大丈夫。大丈夫。最近ちょっと色々あって忙しくてさ。アニ研にもそのうち顔を出すよ」
『JKこれくしょん』の一ノ瀬陽菜乃が3次元に具現化して、自分に色々理不尽な要求をしてくるから助けてほしい、なんて言えるはずがなかった。言っても気が狂ったと思われるだけだろう。
和田は真から避けられていると捉えられたのか、それ以降以前のように気さくに話しかけてくることは無くなってしまった。