チー牛は等価交換の意味を知る
店内に入ると、いかにも古そうな平笠の天井照明が室内を薄暗いオレンジ色で照らしていた。
部屋の広さは学校の教室の半分ほどで、四方の壁が本棚になっており何やら分厚い本でぎっしりと埋め尽くされている。
「らっしゃ~せ~…」
恐る恐る店内に入り扉を閉めたとたん、若い女性の低くて間の抜けた声が聞こえてきたのでびくっとする。
まるで寝起き直後のような、まったく客を歓迎する気配のないやる気のない声。
驚いて声が聞こえた方角に目を凝らすと、奥の方に教卓ほどの机が置いてあって誰かが両手で頬杖をついて真の方を見ていた。
薄暗くてよくわからなかったが、声の主に近づくと座っていたのは中学生ほどの女の子だった。なぜか普通の椅子ではなく、車椅子に座っている。
足が不自由な方なのかなと真は一瞬思ったが、少女の風貌に目を奪われた。
少女は大正時代の女性の服装を彷彿とさせる、青と白の矢羽根模様の着物に紺色の無地の袴を身に纏ってちょこんと座っていた。白くて長い髪を三つ編みに結ってサイドに寄せており、小さい頭は黒いキャスケット帽で包まれている。
おお、かわいい…
少女の可愛らしさに暫くぼーっと見とれていた真だったが、片眼鏡の奥のじとっとした目が「お前は何をしに来たのだ」という問いを投げかけてきたので「あの、すみません…」と恐る恐る声をかけた。
「彩夢屋という質屋はここで合ってますか?」
「ええ」
少女はそっけなく答えると、ふいっとと興味なさげに真から視線をそらした。
ふぁさっと少女の髪が少しなびいたので、何やら香水のようなふわっとした女性特有の甘い香りが真の鼻腔を擽った。
「あの俺、この辺に不思議な質屋があると聞いて探し回って……どんな願い事も叶えてくれる質屋さんだって聞いたんですけど本当ですか?」
「そうよ」
少女は横を向きながら、さも当然という風にあっけらかんと答えた。
ただし、と少女は一旦間を置いて言い放った。
「等価交換、これだけは守ってもらうわ」
「トウカコウカン?」
真は突然聞きなれないワードに戸惑い、おうむ返しに聞き返してしまう。
「そう。等価交換。あなたが叶えてほしい願いと同等に、大切な『何か』を質草として預けてもらうわ。目に見えるもの、見えないもの、なんでもいいわよ。あなたにとってそれが本当に大切か、それは私が判断する」
なんでもいいと言われて真は困惑してしまう。
その意を察したのか、少女はこの店の詳細なシステムを説明してくれた。
どんな願い事もかなえるが、そのための代償として自分にとって『大切な何か』を預ける必要がある。
『大切な何か』というのは何も物品に限らず、友情、愛、人生の時間、身体能力(健康や視力、聴覚などの五感など)に至るまで何でも預けることができる。
最終的に願い事と預けるものが釣り合うかどうか判断するのは車椅子の少女で、願いと『大切な何か』が釣り合うと契約が成立。店側は客の大切なものを三か月間預かり、願いを叶えてくれる。
店が預かった『大切なもの』を返してほしい場合は三か月以内に再度店を訪れて、最初に預けた大切なものとはまた別の『大切なもの』を預ければ、返還される。
預けた願いは期限の3か月を過ぎた場合『質流れ』になり、もう二度と自分の手元に戻ることはない。
少女の説明を聞いているうちに、真はだんだんと胡散臭くなってきた。
気まぐれで訪れた怪しい雰囲気の店。謎の美少女店員。等価交換を条件にどんな願い事も叶えてくれるというが、ここに来てどうにも信じられなくなってきた。
もしかすると自分は今ドッキリにハメられていて、動画投稿者がどこかに隠しカメラでも仕掛けて自分のリアクションを見ながらゲラゲラ笑っているかもしれない。そう思うと猛烈にこの店から出たくなってきた。
「それで、あなたの願いは何なの?」
少女が面倒くさそうに訪ねてきたので、うっと真は口ごもってしまう。明らかに自分より年下の女の子の前で声に出して言えるような願いではない。
それよりも早く何か適当に理由をこじつけて、この店から出てしまいたかった。
「今日はもうお店を閉めようと思ったのにあなたが来たから…ねぇ早くいってよ。何を叶えてほしいの?」
右手の人差し指の爪で机をコツコツ叩きながら若干いらだった声でせかしてくる。どうやらこの少女には、ホスピタリティというものが全く欠如しているらしい。
「うーん、ごめん。やっぱり俺エンリョしときます。やっぱり人に言えるよな願いじゃないし…」
「あら、そ。別にいいけど。あなたはそれを二度と手にすることはできないわね」
それを聞いた真は若干イラッとした。
さっきからの自分をなめた態度といい、この女に俺の何がわかるというのか。
そのまま逃げるように帰るのも癪に障ると思い、真はやけくそになって少女にまくし立てた。
「あー、そうですね。うん。俺の願いは一ノ瀬陽菜乃ちゃんを2次元嫁から3次元嫁にしてもらいたいんですよ。『JKこれくしょん』って日本全国のJKをコレクションするゲーム、そこから派生して生まれたアニメがありましてね。
俺、そのゲームが大好きで。その中でもの登場人物の一人の一ノ瀬陽菜乃ちゃんにガチ恋しちゃって。可愛くって優しくて、天使であり聖母マリアみたいなもんなんですよ。親の顔より見たっていうか。
もうね、一ノ瀬陽菜乃ちゃんに比べたら3次元の女性とか全員ブスに見えるくらいかわいいんですから。アニメも20週以上はしましたね。陽菜乃の声優さんのラジオとかは毎週欠かさず視聴してるんですよ。この前とか俺のコメント拾ってくれて嬉しかったなぁ。
いつも陽菜乃のポスターとかフィギュアを愛でてるんですけど、最近、陽菜乃が現実に俺のそばにいてくれたらなぁと思うと溜息ばかりついてしまって。
しょうもない萌えオタの妄想ですけど、自分今まで彼女とかいたこと無いんで、陽菜乃が2次元嫁から3次元嫁になって俺と幸せに暮らせたらなぁっていつも考えてしまいます」
真が話す様子を、少女は室内に現れたゴキブリを見るような眼差しで終始聞いていた。
真は早口で言い終わると恥ずかしさと情けなさで逃げ出したくなった。自分より年下の美少女の前で性癖を吐露させられるなんて、なんて羞恥プレイだ。
「つまりあなたの願い事は『絵』の女の子を現実世界に具現化し、あなたを愛してくれる事でいいのね。新たに命を生み出す場合は、それなりの代償を必要とするけど。それでもいいの?」
真はすでに少女とのやり取りをかなり煩雑に感じていた。どうせこの少女の言う願いが叶うとかも全部イカサマなのだろう。
「いいですよ」
早くこの陰鬱とした薄暗い部屋から解放されたい一心で、あまり深く考えずに答える。
「そう」
少女は机の引き出しを開くと、中から何やら和綴じの手帳のようなものを取り出した。
「何ですか、それ?」
「質札よ」
少女は手帳から紙を一枚ぴっとはがすと、ボールペンと共に真に手渡した。記入しなさいということなのだろう。用紙には氏名、住所、生年月日のほかに、一番下に『質に入れる品名』を書く欄があった。
どうしようかと真は思案したが、適当に『推しのためなら命も惜しくない』のつもりで『伊地知真の命を捧げます』とボールペンでシャシャッと書いて少女に手渡した。
少女は受け取った紙をしばらく見ていたが、今度は真をまるで吸い込まれてしまいそうな黒い瞳でじっと見つめ始めた。
じー…
だんだん見透かされているようで気味が悪くなったが、蛇に睨まれたように少女から目線をそらすことはできず、しばらくの間、狭い部屋に平笠の天井照明から電気が流れるかすかな音だけが響いていた。
どれほどの時間がたったのだろう。
やがて少女は目を閉じると、何かを悟ったかのように小さくうなずいた。
「なるほど。確かにそれはあなたにとって本当に大切なものみたいね」
少女は質札に印章をぺたんと押すと真に手渡した。
これで晴れて契約成立か…
貰ったのは紙切れ一枚だけ。特に何かが変化した実感もないので、真は狐に包まれたような気分だった。
「はい。本日はこれにて閉店ね」
少女が退店を促してきたので真はもう帰ることにしたが、店に入ってから出るまで終始この生意気な少女にペースを握らっれっぱなしだったのが癪に障った。
顔だけはタイプなので少女を今晩のオカズにしてやろうと思い立ち、少女の顔や身体を脳裏に焼き付けようとした。
家に帰ったら妄想の中でその着物を無理やりはぎ取って、そのクールな表情を恥辱に染めてひぃひぃ言わせてやる。
「あの、どうしてこのお店には看板がないんですか?」
真はとりとめのないことを聞いて視姦する時間を稼ぐ。
少女が「それは…」と言い始めた瞬間、真は据わった目でじっと凝視した。
「必要ないからよ。もういいでしょう。用がないなら早く帰って頂戴」
少女がむすっと露骨に不快そうな顔をした。
立ち去ろうと思いドアノブに手をかけた瞬間、少女が背後から声をかけてきた。
「想像の中で私にえっちなことしようとしても無駄だからね。このスケベさん」
うっ、バレてた…
真は恥ずかしさと驚きのあまり、そのまま逃げるように店に出ると来た路地を一目散に走り抜けたのだった。
自宅アパートに到着した真はまるであの不思議な少女に英気を吸い取られたかのように疲れ果てていた。
自分は何かとんでもないことをしでかしたのではないかと若干不安になったが、夕食を取りながら録画していた深夜アニメを視聴していると直ぐに気を取り直した。
アニメや漫画みたいに奇跡なんて起きるはずがない。自分は3次元のリアル世界で暮らしている。これからも俺は2次元嫁を愛でて生きていくんだ…
寝る前、そういえば質屋の店員のことを妄想しながら抜こうとしたことを思い出した。
よし、今日の仕返しだとばかりに妄想を膨らませようとしたが、何故か舐めまわすように凝視したはずのあの少女の顔が全く思い出せなかった。思いだそうとすればするほど少女の顔に黒い靄がかかり、全く淫らな妄想に耽ることができなかった。
だんだんと疲れも相まって萎えてしまう。
なんだか馬鹿らしくなり、ズボンを履いてベッドに横になると、真はそのまま泥のように眠ったのだった。