彼と私と裏庭で
翌朝。
私は少し早起きをして、厨房に立っていた。
今日はヴィクターと、ランチの約束がある。
そこでコックのマルクに相談して、少し暑くても傷みにくいものを作ろうと考えた。ベーコンサンドにマスタードチキン、アスパラガスのソテー……冷たいコーヒーは、保冷の効く水筒に入れる。
料理をするのは好きだけれど、美味しく出来たか不安になる。マルクからは太鼓判をもらえたから大丈夫だろうか?
「おはようリリー。早いね」
厨房の外から声をかけられて、振り向くとラフなシャツ姿のヴィクターが立っていた。彼は今日このままうちで待機する番なので、まだ寝ていてもいい時間なのだけど…
それより私がここにいるの、よく分かったな?
「いい匂いだね……? ……ええ?!!!」
ヴィクターは両手で顔を覆うと、フラフラとよろめいた。
「おはよう。ヴィクター大丈夫? 眠ければ、まだ寝ていていい時間だよ」
「リリーがエプロンしてる……!!」
えっ。エプロン??
私は調理するために、白いエプロンを着けて髪を一つに束ねていた。なにか変だっただろうか?
「マルクと、ランチボックスを作っていたの。今日はヴィクターとランチをとる約束をしたから」
「ランチボックス!?あいつ……リリーとランチするだけじゃなく、リリーお手製のランチボックスを食べるの……?」
あいつ、とはもう一人のヴィクターのことだろうか?ヴィクターは口に手をあて戦慄いている。私の手料理、そんなに不安要素あるだろうか…?
「そ、それほど心配しなくても、マルクと一緒に作ったからきっと美味しく出来ているわ」
「美味しいに決まってるでしょ…………」
ヴィクターが肩を落としている。美味しいならいいじゃないか。ちょっとワケがわからない。
後ろから、マルクがひょこっと顔を出した。
「大丈夫ですよ、ヴィクター様。リリー様はちゃんと四人分作っていらっしゃいますから」
「四人分?」
ヴィクターがきょとんとしている。
「せっかく作るから、うちで待ってるヴィクターにも…と思って用意したの。よかったら」
「うそ……うれしすぎる……」
目を潤ませたヴィクターは、まるで宝物をのせるようにランチボックスを受け取った。
そっか。ここにいるヴィクターも食べたいと思ってくれたんだ。自然と顔が緩む。ヴィクターがこんなに喜んでくれるなんて。ありがた迷惑かとも思ったけれど、やっぱり作ってよかったな。
「でもさ、四人分? 俺、もう一人の俺、リリー、もう一人は?」
「それはサリー姉様のぶん。一緒にランチするかなあと思ったから」
ヴィクターが再びきょとんとしている。
「サリーも一緒に?」
「うん、来るでしょ」
「…………」
?なぜ黙ったままなのか。
「ヴィクター? どうしたの?」
「…なんでもない。今日のランチは多分浮かれてるだろうから…ちょっとあいつに同情してしまって……」
同情?なぜなのか。
朝食後、サリー姉様に声をかけた。
「姉様。今日、ヴィクターとランチの約束をしているの。姉様も来れる?」
「ランチ? ヴィクターに誘われたの?」
「そう。今日のお昼は生徒会の予定も無いんですって。はいこれ、姉様の分のランチボックス。私が作ったから、あまり上手ではないけれど……」
「まあ! これリリーが作ったの? うれしいわ」
姉様も喜んでくれた。きっと姉様より、私がうれしい。
「ただ、今日のランチは行けないわ。ごめんねリリー」
「そう……やっぱりいきなりだったから用事がある? 忙しい?」
「リリーのランチボックス、味わって大事に食べるわね。ありがとう」
姉様は、ただ曖昧に微笑むだけだった。
お昼休み、人もまばらな裏庭のテラス。
広々四人がけのテーブル席でヴィクターを待ちながら、今朝の様子を思い返していた。
ヴィクターに姉様も来ることを話せばもう一人のヴィクターに対して「同情する」と言われ、姉様にヴィクターとの約束の話をすると理由も無く「行けない」と言われ……。まさか二人は……
「ごめん! 待った?」
ヴィクターが走りながらやって来た。急いで来てくれたようで、さらさらの黒髪が少し乱れている。だが弾ける笑顔が爽やかだ。
「ぜんぜん。ヴィクター、ほんとは忙しいんじゃないの? 大丈夫?」
「大丈夫。購買ちょっと混んでて……」
あっ……。ヴィクターは、購買でパンを買ってきたようだった。この二人分の包みを出してもよいものだろうか。
「リリーは、ランチボックス持ってきたの?」
そう言いながらヴィクターが私の隣に座った。距離が近くて、少し緊張する。向かいに座られるのと、隣に並んで座るのは、どちらのほうがドキドキしないで済むんだろうか。
「じつは、ヴィクターの分もランチを作ってきたの」
ヴィクターがきょとんとしている。デジャヴかな?
「見た目はそんなにキレイじゃないかもしれないけど、コックのマルクと一緒に作ったから味は美味しいと思うの。でも購買のパンがあるなら食べなくても……」
私は言い訳するように早口になってしまう。
「何を言っているの……食べるに決まってるでしょ……」
ヴィクターが両手で顔を覆い、机に突っ伏してしまった。
「うそ……うれしすぎる……」
この反応は、今朝履修済みだ。朝とまったく一緒で思わず笑ってしまった。ヴィクターは大事そうに包みを受け取ってくれた。姉様にもヴィクターにもこんなに喜んでもらえて、私のランチボックスは本当に幸せ者だ。
ベーコンサンドをかじりながら、私はヴィクターに聞きたいことを切り出した。
「そういえばヴィクター、姉様となにかあった?」
「なにか?」
「ケンカでもしているのかと思って……」
「…?ふつうだよ? どうしてそう思ったの?」
「今朝、ランチに姉様も誘う予定でヴィクターに伝えたら、姉様呼ぶのは見込み違いだったみたいで……。姉様も来ないと言うし。」
「えっ。サリーも誘ったの?」
「うん。でも来れないって。」
「そう……」
ヴィクターは黙り込んでしまった。おいしいおいしいと言いながら食べてくれたランチボックスは、もうすぐ空になる。
「サンドウィッチもチキンも、とっても美味しかった。ごちそうさまでした。本当にありがとう」
「よかった。こんなに喜んでくれるなら、また作ろうかな」
「本当に?!」
ぱっとヴィクターが笑顔になる。
そしてそのすらりとした身体を私に向け、訴えかけるように呟いた。
「また作って?
そのときも、ここで待ち合わせたいな……二人きりで」
「う、うん……?」
ヴィクターの強い眼差しから、目を逸らせない。
昼休み終了の鐘がなった。
二人きりで……
二人きりで……
二人きりで……?
頭のなかで、ヴィクターの囁きがこだました。