二人のヴィクター
中庭の木々がサワサワと揺れる音がする。
祈り始めてどのくらい経っただろうか。
そっと目を開けると……もう皆祈り終えているようだった。
「ずいぶん熱心にお願い事をしていたね?」
「……はい」
おじ様にからかわれてしまった。
ヴィクターの「願い事」が何なのか。もしもヴィクターの願い事が叶ったら、それが何だったのか分かるかもしれない。知りたい。そう思うと、願わずにはいられなかった。
「…………何も、起こらないわね?」
皆が思っていたことを、サリー姉様が口にした。辺りはいたって平常。テーブルのキャンドルが、ただ夜風に揺れているだけ。
「……どのタイミングで、願いが叶うのかしら?」
「さあ……そもそも、成功してるのか失敗なのかも分からないから」
「この魔術、成功してるかどうか、願いが叶った本人しか分からない仕様じゃない?」
「叶いました! って言うのダメなのよね?」
「叶いませんでした! もダメなの?」
親達が、いつも通りざわつき始めた。
これは……「失敗」の時の流れに似てるな……
長くなりそうなので、アンにお茶と何かつまめるものをお願いしよう。アンを探して立ち上がろうとした時。
目の前を、一粒の光がひらひらと落ちていった。
「えっ……」
もう一粒。また一粒。
雪のように。
花びらのように。
光の粒は増えていって、星空から星が降り始めたようだった。
皆、言葉を失い、この美しい景色に見惚れている。
魔方陣の上には光の粒が降り積もり、光で魔方陣が埋め尽くされたころ……
魔方陣が発光し、辺り一面が真っ白に飲み込まれてしまった――――
「きゃあ!」
「っ……リリー!」
その瞬間、ヴィクターが、私を光から庇うように抱きしめた。
目を閉じていても真っ白だった視界が、徐々に暗くなっていった。魔方陣からの光が収まったのだろうか??
よかった……早くこの状況から解放されたい。ヴィクターの腕に抱かれ、その香りに包まれていては呼吸がうまくできない。
そっと目を開けると、皆がじっとこちらを見ていた。は、恥ずかしい。
「ヴィクター? も、もういいよ。離して? 光も収まったみたいだし……」
話しかけても、ヴィクターは私を抱きしめたままピクリともしない。そっとヴィクターを見上げると、彼は驚愕の表情を浮かべ私の左隣を凝視していた。左隣は、サリー姉様がいたはずだ。
「? ……サリー姉様??」
左隣に視線を移す。
そこにいたのは、姉様ではなかった。
「……ヴィクター?」
そこには、同じように目を見開き立ち尽くす、ヴィクターがいた。ヴィクターの向こうに、サリー姉様の姿が見える。
そんなはずはない。だって、私は今ヴィクターに抱きしめられているのだから。
「……ヴィクターがふたり…………」
いつも冷静な姉様が動揺している。やはり、皆にもヴィクターが二人いるように見えるのか。
右側のヴィクターも左側のヴィクターも、言葉を発することなく唯々呆然とお互いを見つめあっている。
どちらのヴィクターも、お互いを認識するのがやっとのようだった。
「……俺がヴィクターだ」
先に口を開いたのは、私を抱きしめている右側のヴィクターだった。心なしか、抱きしめる腕に力が込められた気がする。
「俺も、ヴィクターなんだけど……」
左側のヴィクターも、戸惑いながら答えた。そのきれいな手を、我が身を確かめるように握りしめている。
確かに、どちらのヴィクターも『ヴィクター』なのだ。艶のある黒髪、蒼い瞳、目尻のほくろ、やさしい声……見上げるほどの背の高さ。
二人とも、大好きな幼なじみ・ヴィクターそのものだった。
重い空気が流れるなか、アルバートおじ様が口を開いた。
「ヴィクター達。混乱していると思うが、少しあちらで話をしよう。お互い、言いたいことがあるだろう。私も同席しよう」
「私も行こう」
お父様も立ち上がる。
ヴィクターがようやく、抱きしめる手を緩めた。見上げると、縋るような顔をして私を見ていた。左を見れば、同じように頼りなげな表情をしてこちらを見つめるヴィクターがいる。
心配でたまらないけれど…皆で騒いでしまいヴィクターを不安にさせてしまうよりも、ここはおじ様達にお任せするのが最善だと思われた。
私が二人のヴィクターへ促すように頷くと、ふたりのヴィクターはおじ様・お父様と共に応接間に向かった。
「……これは、魔術が失敗してしまった弊害なのかしら?」
クリスティンおば様が、ぽつりと呟いた。
「それとも、魔術が成功したのかしら……誰かが、ヴィクターを二人に……と願って」
最愛の一人息子が前代未聞の事態に陥っているのだ。おば様の不安は相当なものだろう。
「クリスティン……」
お母様が、親友であるおば様の背中を支える。
「もし、このまま……ヴィクターが二人になったまま、ずっと戻らなかったら……」
おば様は思い詰めるようにお母様を見つめている。
「クリスティン。そんなこと……」
「戻らなかったら……。
サリーちゃんとリリーちゃんが、ヴィクターを一人ずつもらってくれる??」
……?
ん??いきなり話が飛躍した???
「な……なに言ってるの、おば様!」
おば様によって爆弾発言を投下された姉様が狼狽えている。
「だって、同じ人間が二人……なんて、皆きっと気味悪がるわ。その点、サリーちゃんとリリーちゃんはそんな偏見はないでしょ? ヴィクターが二人なら、一人をフローレス家へ婿入りさせることだってできるわ。」
「むこっ!?むっ、無理よそんな!今更……」
姉様が顔を真っ赤にさせている姿をみながら、学園での二人を思い出す。姉様とヴィクターが颯爽と並び歩く姿を。姉様とヴィクターなら、さぞかしお似合いな夫婦になるだろう。
あれ……ヴィクターが二人のまま戻らなければ、私がグローヴァー家へお嫁に行くということに??少し想像しただけで、顔が火照ってくる。こんな冗談、あり得ないけれど……
きっとヴィクターは、元に戻る。絶対に戻る。私は自分にそう言い聞かせた。
「ねえ約束よ?サリーちゃん、リリーちゃん。」
可愛らしく首をかしげて微笑むクリスティンおば様の蒼い目は、今にも雫が溢れんばかりに潤んでいた。