彼と姉と、我が家にて
フローレス家は、学園から馬車で十分ほど走った場所にある。
「ただいま、アン」
「リリーお嬢様おかえりなさいませ。グローヴァー侯爵ご夫妻も、先ほどいらっしゃいましたよ」
「えっ。もう???」
私は帰宅早々、制服のまま、応接室へ向かうこととなってしまった。
グローヴァー侯爵夫妻……ヴィクターのご両親。私にとっても、小さな頃から可愛がって下さる大好きなおじ様、おば様である。応接室のソファには、アルバートおじ様と、クリスティンおば様がゆったりと腰掛けていた。
「こんにちは。お久しぶりです、おじ様、おば様」
「リリーちゃんおかえりなさい! 入学のお祝いパーティー以来ね。制服姿、本当に可愛らしいわ!」
私の入学の際に、父はささやかなガーデンパーティーを開いてお祝いしてくれた。おじ様・おば様を含む近しい人達だけを招いて。もちろんヴィクターも来てくれた。そのときは「一緒に学園に通える日が楽しみだね」なんて言ってくれていたのだけれど……
「あれ? リリーちゃん、ヴィクターはどうした? 今日はリリーちゃん達とこちらに向かうよう伝えたのだが。すれ違ってしまったかな」
ヴィクターの名前が出て、思わず顔がひきつってしまった。思い浮かぶのは、学園の大門で呆然とこちらを見送るヴィクターの姿である。
そうか……ヴィクターはうちの馬車で一緒にフローレス家へ向かう筈だったか……。まさか、それを「全力で逃げました」とは言えない。
「それが……」
私がどう答えようか視線を彷徨わせていると、応接室の扉が開く音がした。
「ただいま。
ちょっとリリー。ヴィクターと教室まで迎えに行ったのに、なんで勝手に先に帰っちゃうのよ?うちの馬車が無くなっちゃったから、パトリシアの馬車で帰る羽目になっちゃったのよ?」
振り向くと、扉の前には制服姿の二人、サリー姉様とヴィクターが並んで立っていた。サリー姉様は呆れ顔もやっぱり美しいし、ヴィクターは苦笑いさえ爽やかだ。
どうやらあのあと二人は、居合わせたパトリシア様に馬車で送っていただいたようだった。
ちなみに二年生の「パトリシア様」とは、伯爵令嬢パトリシア・クラーク。ヴィクターの筋金入りの追っかけである。
「ヴィクターなんて馬車の中ずーっとパトリシアにべたべたされて、ほんと気の毒だったわ」
「ご……ごめんなさい…………」
絶対的に私が悪い。謝るほか無い。
「いいんだよ。パトシリア嬢にはまたなにかお礼をしておくから」
顔も見ず逃げ出すような私に、ヴィクターは相変わらず優しい。ここはヴィクターが文句を言っていいところだ。甘やかされ過ぎの自覚はある。
「こうやってちゃんと会うの、入学前のパーティー以来だね?」
ヴィクターが私に優しく微笑む。
久しぶりにちゃんと近くで見た彼は、やっぱり眩しいほどかっこよかった。目が潰れそうで思わず俯いてしまう。
「えっ!? 学園でそんなに会えない?」
お母様が驚いている。
「うん……えっと……」
そうなのだ。入学してからというもの、私はヴィクターとまともに話をしていない。
彼が生徒会長で多忙の身であるから、というのもあるけれど、同じ学園にいればたまたま会うことだってある。
むしろサリー姉様やヴィクターがわざわざ一年の教室まで何度か会いに来てくれているけれど、臆病者の私が徹底的に避けているのだ。
避けているのは、ヴィクターもきっと気付いているだろう。今日なんてあからさま過ぎたし……
気まずくて、私はチラリとヴィクターを伺う。
扉のそばに立っていた彼は、私と目を合わせるとゆっくりと近づいてきた。
ヴィクターは、私の目の前に立ち止まると少し視線を外した。その蒼の瞳が伏し目がちになり、長い睫毛が影を作る。きれいな指先で眉間の黒髪を触りながら、なにか言葉を探しているようだった。
サラサラとした黒髪からおでこがチラチラと見える度に、ヴィクターの爽やかさが二倍増しになることを本人は自覚していないだろう。
私がきれいなヴィクターに呆けていると、彼は首をかしげてにっこり笑った。
「あの、リリー。……幼なじみでしょ? 学園でも気を遣わないで欲しい。せっかく同じ学園に通っているんだから、こんど一緒にランチでもしよう?」
「あ……、はい」
「ふっ。なんで敬語なの。やめてよ。約束したからね?」
有無を言わさぬ笑顔で、ヴィクターは私の顔を覗き込む。私は目の前に近付いたきれいな顔に見惚れながら頷いて、たった今ランチの約束をしてしまったことに気付いた。気付くのが遅い。
「明日はどう? ちょうど生徒会の活動も無いから。俺は空いてるんだけどリリーは?」
いきなりの明日!
さすがコミュニケーション強者。話進むのが早い。
「…………じゃあ明日、どこかで待ち合わせにしよう?」
一年の教室まで迎えに来られるのは、なるべく避けてもらいたくて。私がそう言うと、ヴィクターは破顔した。
「そうだな……学食もいいけど、人が多いから。裏庭のテラスはどうかな。少し暑いかもしれないけど木陰もあるし、空いているから。ね、リリー」
そっと近付いたヴィクターは、私の頭を優しくなでる。時折、髪を指に絡めながら。
「嬉しいな……今から楽しみだよ」
そう呟くヴィクターの瞳がとても優しくて、恥ずかしいような、胸の奥がそわそわするような……私は疼く気持ちを押さえ付ける。
私は、思わず何かにすがるように周りを見渡した。外はもう薄暗い。みんな中庭に出たようで、応接室には私たち二人だけが残されていた。
「ヴィクター、私たちもそろそろ行こう?」
「ああ、そうだね」
妙に機嫌が良さそうなヴィクターとは少し距離をとり、部屋を出る。
星の日。この国で星の日とは、一年で一番、星が多く見える日とされていた。今夜は幸いなことに雲も少なく、薄紫に染まった一面にたくさんの星が瞬き始めていた。
両親達は今日、星の日にしかできないという魔術を中庭で試してみるという。いつもより少し本格的な今日の魔術。心待ちにしていた私は、気付かぬうちに足どりが軽くなっていった。
「何をするか、おじ様から聞いてる?」
「いや……。星の日だけの特別な魔術って聞いただけ」
今回の魔術は、王立図書館所蔵のプレミア感あふれる書物から発見したらしい。そう聞くと否応なしに期待は高まる。
中庭にさしかかり、テーブルセットに皆が集まっているのが見える。
「ヴィクター、早く行こう!」
私は、令嬢らしからぬ駆け足で皆の元へと急いだ。
ふわふわと揺れる髪に、蒼く熱い眼差しを受けながら。