俺俺 ―ヴィクター
リリーが「そういえば、私このあとピアノのレッスンが……」と分かりやすく逃げていったので、俺達は無言で客室へと移動した。
『ヴィクター』同士、密室で二人きりになるのはこれが初めてだ。沈黙が重い。
今日一日を別々に過ごして分かったことがある。
俺達はどちらも『ヴィクター』だ。
しかし、もう一方が過ごした時間の記憶は、互いに共有出来ないようだった。フローレス家に待機していては学園での様子は分からないし、学園にいればフローレス家の様子を知り得ることは出来ない。
学園と待機を一日毎に交代するため、毎日それぞれの情報を交換し合い、申し送りを行う必要があるだろう。
客間の扉を閉め、それぞれソファとベッドに腰を下ろし、ひと息つく。
「「かっ……わいかった……っ」」
第一声が被った。さすが俺同士。
思わず顔を見合わせる。
「顔も耳も真っ赤だった……可愛かった……」
「手も小さくて細くて……可愛かった……」
「お前ほんと……、なんであんなこと出来たの。嫌がられたらどーするつもりだったの」
「それよりも抱きつかなかったことを評価ほしいよ」
「抱きつこうとしたの?!」
「学園で俺を探す、って言われて……」
「は?」
「リリー、俺を見つけるの得意なんだって。明日俺を探して見つけるって。死ぬほど可愛い顔で言われて」
「!? どういう話の流れでそうなった?」
「おまえをうらやましがったんだよ」
「? 意味が分からないんだが」
「いいか。リリーは結構『俺』のことを見てるぞ」
「えっ……うそ……」
「ほんと」
「今日も? 見てた??」
「今日も」
「いつ」
「図書室と職員室。あと屋外活動」
「うそ……めちゃくちゃ見られてる……」
「そうだ。気を抜くな」
「めちゃくちゃ気合い入る」
「気合い入れろよ」
「リリー、ランチの時は何も言ってなかったのに……」
「おまえこそ、ランチの時リリーに何かしただろ」
「なにかって?」
「ランチの話したら、リリー赤くなってたんだけど」
「うそ……。可愛すぎない……?」
「何したんだよ」
「リリーに、また二人きりで待ち合わせしたいって言った」
「俺は、お前を評価する」
「だろ」
「俺も二人きりでランチ出来るかも……」
「リリー、またランチボックス作ろうかなって言ってたぞ」
「可愛い……」
「可愛いな」
「そういえば……サリーは来なかった?」
「誘ったけど断られたって言ってた」
「(やっぱり誘ったのか……)」
「サリー、気を遣ってくれたんだよ」
「サリーらしいな」
「リリーは、俺とサリーがケンカでもしたのかと思ってたらしい」
「サリーが断ったから?」
「多分……」
「リリーはほんと『サリーと俺』で纏めたがる」
「俺とサリーって立場上、意図せず目立つから……」
「だからリリーも逃げるんだよな」
「人目が無ければ、リリーも逃げないって分かった。裏庭では逃げなかった」
「うらやましい……」
「だろう」
「俺のこともうらやましがれよ」
「何を」
「手を握った」
「それはうらやましい」
「あと、エプロン姿を見た」
「!?」
「エプロンつけて、料理してた」
「最高では……?」
「……シッ……! …………リリーのピアノが聴こえる……」
「……癒し…………」
「…………」
「……」
その後の俺達は、リリーが奏でるピアノの調べに意識を集中させた。時々つっかえるのが尚良い。
俺達はどちらも相変わらずの『ヴィクター』だった。
こうして、その日なにひとつ引き継ぎが出来ないまま、時間切れとなってしまうのだった。




