⑨
Zbigniew Preisner,
Lisa Gerrard, Dominik Wania
Melodies of my youth ( 2019)
を 聴きながら 書いていますが……、
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……さて、物事には、受け手と発し手が必ず存在しており、……受け手は発し手を選べないし、発し手も受け手を選ぶことが出来ない
必ず必要とされる関係性であるそれらであるけれど、初対面では判断することが難しい
誹謗中傷という言葉がある……存在する……けれど(まぁ、存在しているのは特定の人間内であって、その枠を飛び出ればまたそこ以外では違う常識がはびこる……それはそれは不可解で不安定な基準である場合も多々ある事柄ではある……訳だけれども)
発し手が『これは誹謗中傷である!』と叫べばそれは誹謗中傷であるだろうとされるし、(誰も自分以外の他者が何に傷つくか明確な答えを提示出来ない)
受け手が『誹謗中傷された!』と訴えれば、それは誹謗中傷であるだろうとされる(誰も自分以外の他者が何に傷つくか明確な答えを提示出来ない)
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……けれど……だからこそ……というのか、……どの種でも、明確な線引きはなくとも、その種の中での暗黙の了解……というものは、存在しているもの……で、あり、
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難癖や、明らかな事実と違うだろう状況、感情の動き……のようなものは、……第三者であっても、何となく察することが出来てしまうものだ
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……まぁ、それでも堂々と自分が悪いことをしていても悪いとは言わない、自己拡張型の人間は存在するものだけれど、自らが悪くないのにそういう行動をしてしまう自己消滅型の人間と まさに裏と表のように……人の世は……本当に、奇妙だ
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……まぁ、一応こちらでも言っておこうと思うが……、(この雑文には直接関係はないが)私、個人的には、自己拡張型の方も自己消滅型の方も、……どちらにせよ因果を背負っており、……どちらが得だとか損だとか……そんな程度の思考で区切れるものでもないだろうなと思う
……まぁ、敢えて区切ろうとするのなら、自己拡張型も自己消滅型も、どちらも損であるだろうな、とは思う
区別なく区別なく区別なく
……人の世は皆平等に地獄であろうよ