第8話 休日出勤
「……きて……すけ……てってば……」
「……」
「……」
「……」
「りょおうすけえーーーーっ!!起きろーーーーっ!!」
俺はいきなりの大声に驚いて、飛び上がるようにベッドから転がり落ちた。
「……ぐっ!!」
「……ってぇ……」
背中から落ちた衝撃で息が一瞬止まる。声なき声を絞り出すのが精一杯だった。
「大丈夫?」
「……だ、大丈夫な訳あるかっ!もうちょっと優しく起こしてくれよティルテぇ」
「だって30分も優しく起こしてるのに、ちっとも起きないんだもの。いい加減にしてよね?」
彼女はそう言うと、ほっぺたを膨らませてふんすと鼻息も荒く、怒って見せる。
「さ、さんじっぷん……、そうか、それは俺が悪かった……、ごめんな」
俺はベッド下の狭いところで正座して、背中を丸めて縮こまる。
とは言ったものの、実は昨夜討伐から帰ってきたのは夜も夜の午後10時過ぎだった。
そして今時計を一瞥すると、午前5時半過ぎだ。
彼女に睨まれつつ、ヘッドボードに置いてあるスマホを手に取った。
5月4日(土)AM5:37
みどりの日
現在の気温 9℃ 晴
目が覚めないのも道理で、5時間も眠れていなかった。
ティルテが真剣な顔に戻って続ける。
「起こしに来たのは緊急事態よ、魔物の軍勢約3000が現れて進軍しているわ。軍勢の進行方向にはリムリックの町が」
「3000か、規模としてはそこそこだが、リムリックまであとどれくらいで届きそうだ?」
俺は落っこちた拍子に吹っ飛んだ掛け布団をベッドの上で整えつつ、彼女と話を続ける。
「私がこちらに来た直前で、距離にしてあと20ほどにまで迫っていたわ。町の防衛団が動いていたけど、3000を止めるのは無理でしょうね」
「今戻ってギリギリのタイミングだな」
「多分そうなるわね」
「わかった、すぐ用意して出るよ。ティルテ、転移の準備を頼む」
「転移の飛び先はもう準備を済ませてあるわ。あとは勇者様のお出ましね」
彼女はそう言うと軽くウィンクして見せた。
俺は部屋に脱ぎ散らかしたままだった鎧を身に着け、いつもはアイテムバッグに収納してある愛剣を取り出して、即応体制を整える。
「よし、出よう」
俺と彼女は軽く手をつないで、玄関の姿見の中へ一歩踏み出した。
§
二人は姿見の中から玄関へと戻ってきた。
それぞれ履き物を脱いで部屋に上がる。
「ふう。数はそこそこ。だが強い奴がいなくて助かった」
「まったくよね」
俺たちはそう言いながらもやや重い足取りで居間にたどり着く。
「昨日から連続だからさすがに疲れちゃったわ。亮輔、お風呂借りていい?」
「構わないよ。洗ってあるからそのまま使えると思う」
「ありがと。じゃあ遠慮なく」
彼女はそう言うと風呂場に入っていく。
風呂場でゴトゴトと物音がしたと思うと湯を張る水音が聞こえてきて、彼女が居間に戻ってきた。
手助けなしで家電を扱える程度には、もうこっちの生活にすっかり慣れている。
鎧を脱いだりしている俺の横を通り抜けて、彼女は寝室へ入っていった。どうやら着替えを探しているようだ。
居間の時計を見るともうすぐお昼になろうかというところだった。
彼女が居間に戻ってきたところで尋ねてみた。
「ティルテ、もうお昼になるけど昼ご飯どうする? お腹空いてるだろ。なにか作ろうか?」
「え、ほんとに? それじゃあお願いしちゃおっかなー」
「なにかリクエスト、あるかな? と言っても手持ちの材料だけだけど」
「えーとそれじゃね、カルボナーラ食べたい」
「わかった、それじゃカルボナーラとサラダにしとくよ」
俺はそう答えると入れ替わりに寝室に入り、服を着替える。
ベッドのヘッドボードからスマホを持ち出した。
5月4日(土)AM11:47
みどりの日
現在の気温 20℃ 晴
脱いだ服も手に持って居間に出てくると、彼女はもうお風呂に行ったようだ。
俺は洗濯機のスイッチを入れ、隣の風呂場に声を掛ける。
「ティルテー、洗濯回すけど一緒に洗う物あるか?」
「私の分はないわよー」
「わかった」
ピッピッピとボタンを押して、洗濯が始まった。
俺はキッチンに戻り、両手鍋いっぱいに湯を沸かし始める。
そして冷蔵庫を開けて材料の確認だ。
このところ彼女がこっちで生活する時間が延びてきているので、以前に比べると冷蔵庫の中の食材も増えてきている。
彼女はこちらの食事に興味が尽きないようで、ネットでレシピサイトを見ては色々試していた。
料理の腕は元々良いようで、そういえば失敗作はまったくなかったなと気がついた。
俺も一人暮らしが長いので料理はするが、最近は彼女が作ってくれることの方が多くなった気がする。
冷蔵庫の中には、卵、パルメザンチーズ。パンチェッタ……はさすがにないのでパック入りのベーコン。それからサラダ用のパック野菜がある。
野菜が足りない気がしたのでどうしようかと少し考えたが、にんじんが余り気味だったのでキャロットラペを作る事にした。
にんじんをスライサーで刻んで、ドレッシングと和えてボールごとテーブルに出す。食べる頃にはちょうど馴染んでいるはずだ。
パック野菜も流水で洗って銘々の小鉢に取り分けて、サラダとして出しておいた。
そうこうするうちに、洗面所の方からドライヤーの音がしてくる。
彼女が風呂から上がったようだ。
ダイニングに顔を見せたらパスタの仕上げをしようと準備する。
ややあって、彼女が出てきた。
「亮輔、できた?」
「今から最後の仕上げをするとこだ」
俺はそう言うとパスタを茹で始め、タイマーをセットする。
パスタが鍋に沈んだところで、一気呵成にカルボナーラのソースを仕上げる。
茹で上がり時間まで残り2分といったところで、パスタを引き上げてソースの入ったフライパンに投入。そのまま良く和えて皿に盛る。
「はい、できた」
フライパンを流しに放り込むと、カルボナーラの皿を持って食卓へ移る。
「「いただきます」」
二人揃ってのいただきます。近頃は彼女も違和感なくいただきますを言うようになった。
(こういうのをなんて言うんだったかな。日本文化に染まってしまうやつ)
確か前にマンガで見たことあったよな。そんなことを考えながら、パスタを食べる。
向かいに座る彼女を見ると、キャロットラペを大盛りにしていた。
「キャロットラペ、美味しいか?」
「うんとっても。シンプルだけど飽きないわよね」
「俺の分も残しておいてくれよ?」
「一応、承っておきます」
キャロットラペはボウルいっぱいに作っておいたので俺の分がなくなることはなかったが、2/3以上は彼女の分になった。
モリモリと頬張っている彼女を見ながら、俺が一足先に昼食を終えた。
食器を流しに持って行きついでに追加のお茶を入れて、食卓へ。
「お茶、置いておくよ」
相変わらず口いっぱいで返事ができないのか、コクコクと頷くティルテ。彼女は本当に美味しそうに食べる。
俺が自分の分の食器を洗っていたら、やっと食べ終わった彼女が食器を持ってキッチンに現れた。
「ごちそうさまでした」
「一緒に洗っておくよ」
「いつもありがとう。お願いします」
彼女の、ちょっとすまなさそうな顔。そしていつも大体こんな風に、食器洗いは俺の仕事になっている。
(そういえば、最後に包丁研いだのいつだったかな)
あらかた洗い物が片付いたところでちょっと気になったので刃の具合を見てみると、所々刃先に輝線が出ていることに気がついた。
(今日はまだ時間あるし、このあとやっておくか)
包丁研ぎはこまめにやるのが素人研ぎでのコツだ。
あまり大きな傷も、やればできないことはないが時間が掛かって仕方がない。だから傷の浅いうちに手当てをしておくのがいい。
引き出しの奥から砥石を取り出して、水を張った洗い桶に浸けておく。
砥石が水を十分吸わないと研げないので、この隙にシャワーを浴びることにした。リビングでTVを見ながらくつろぐ彼女に声を掛ける。
「ティルテ。シンクで水に浸けてある石はそのままにしといてくれ。あとで使うから」
「わかったわ」
「じゃ、シャワー浴びてくる」
俺はそう言って、寝室から下着とタオルを片手に風呂場に向かう。
一週間ぶりの湯船は、疲れも相まって極楽そのものだった。
いつの間にかウトウトしながら、いつもよりずっと時間を掛けて浸かっていたせいで、途中彼女に心配されてしまったのはご愛敬だったが。