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第5話 餅は餅屋で確定申告

 その日、俺は朝からリビングにあるデスクに座って、レシートの山と格闘していた。


 先月、SNSを通じて友人何人かに相談を持ちかけたところ、運良くその中の一人から税理士を紹介してもらうことができた。

 さっそく会って話をしてみたところ、忙しい時期だったろうに快く請け負ってもらえることになった。それで、とにかく去年1年分の領収書をなんでもいいから全部かき集めて下さいとお願いされていたのだが……。


(まさかこんな習慣が役に立つなんてな)



 どういうわけか昔から、もらったレシートを漏らさず保管しておく習慣が俺にはある。

 大きい封筒にどさどさと入れていくだけなのだが、なんにしても今回はその習慣に助けられている。


 妙なところでマメなのは、父さんに似たのかもしれない。


 父さんは機械畑で、そこそこ名の通った機械製造会社の製造部長なんて役職に就いている。

 昔から几帳面で頑固者。根っからの機械好きで、暇さえあればバイクをいじったり、調子の悪くなった家の電気器具とかを修理して回ったりしていた。

 あと、なんでも取っておく癖。

 取っておくのだけれど、これがまた見事に整理して納屋に詰め込まれていたりする。


(いつも母さんが嘆いていたっけな、家がちっとも片付かないって)


 父さんが言うには整理が付いているから問題ない、の一点張りだったが、1人の私物で納屋がいっぱいになっているというのもどうなのか。

 おかげで母さんや俺の荷物は多少大物でも自室に置いておくしかなくて、部屋が少々手狭に感じられていた。


 そんな事を考えながら、レシートを月ごとにまとめていく作業は続く。



 脇に置いていたスマホから、メール着信音が響いた。


2月2日(土)PM3:48

現在の気温 12℃ 雨のち曇

メール1件


 少し手を休めてメールの確認をする。だが、例によってたわいもないDMで、即削除した。



 そういえば今日はまだティルテが現れていなかった。いつもなら土曜日の午前中にはあちらの世界からこっちに来ている事が多いのだが。

 まあ、あちらでもなにかとやることは多いらしい。


 メール確認で集中が途切れてしまった俺は、お茶でも飲んで休憩しようとデスクをあとにした。



 キッチンに入り込んでお湯を沸かす。

 棚からティーポットとマグカップ、そしてアールグレイの缶。小腹も空いていたので、ストック棚の奥の方から赤いパッケージのショートブレッドを箱ごと取り出す。


 ティータイムの始まりだ。


 鼻に抜けるさわやかな香りを楽しみつつ、ショートブレッドを囓る。

 やや風が出てきたのか、ばたついた音が外から聞こえてきた。

 立ち上る湯気に焦点を当てているうちに、一人だけの時間もそういえば最近あんまりないなと気がつく。



 平日はあちらの世界で魔物討伐。その間はずっとティルテが隣にいる。


 金曜の夜、俺は彼女と共にこっちに帰還。そして彼女はすぐにあちらに帰ってしまう。

 その夜だけは彼女はいないが、土曜の朝になると鏡のゲートを抜けてこっちにやってくる。

 土曜日曜は一緒にのんびりしたり、買い物したり、どこか出かけたり。そのまま月曜の朝まで彼女はこっちで生活。


 そしてまた新たな討伐が始まる。



 よく考えてみると、彼女が傍にいないのは金曜夜から土曜にかけての数時間だけだ。そんな生活が夏の頃からもう6ヶ月は続いている。


(ティルテがいることに慣れてしまってるな)



 自分でも今日のこの違和感の感じ方は意外だった。


 彼女が俺の傍にいるようになって、最初の頃こそ多少の照れというかドキドキの一つもあったものだが、そんなものは討伐の喧噪にたちまちかき消されてしまっていた。


 勇者と女神、戦地に赴けばかけがえのない戦友で、俺は彼女のサポートがなければ討伐はできないし、それは彼女も同じ事。さらに束の間の休息の時でも考えるのは敵のことでは、ロマンスなんか湧き起こるはずもなく……。


(その上、常時一緒で6ヶ月。知らない間に空気になってるよな)


 そう、お互い一緒にいるのが空気になってしまったというか……。


 これでは恋心とかすっ飛ばして、いきなりベテラン夫婦の域だ。


 夫婦とか以前に人間と女神、立場というか種族というか、住む世界すら違う。冷静に考えれば恋心とか抱くような相手ではないのも確かだ。


 それはそれとしても。


 お互い目標を同じくするせいか、これまで諍い(いさかい)らしいことも全くなかった。

 戦闘以外では、ただただフラットな二人。


 休みの日に一緒に行動していても、お互い特に不満もない……多分、少なくとも俺にはない。

 だから、今日こうやって一人になってみて感じる違和感。


(不安感、でもないしな。喪失感、という程じゃないが、そうだな、不足感かなこれ)


 不足感。

 他になにか上手く言い表せる言葉がありそうだが、今の俺の語彙ではこれが精一杯。


 そうやって一人納得して、湯気がなくなって人肌になったアールグレイの残りを一気にあおる。



「さて、続きをやりますか」


 そう言って気合いを入れて、再びデスクに向かった。



 税理士さんが言うには、月ごとに仕分けたら次は支出の種類ごとにまとめて欲しいという事だ。

 そして最後に科目ごとの集計をして表を付けて、それを見ながら控除できるものはないか検討するという。

 集計は表計算を使えばすぐだから、重要なのは科目ごとの仕分けという事になる。

 大まかなやり方は税理士さんからの指示メモがあるので、その仕分け自体も巷で言われるほど難しくはなかった。


(やはり餅は餅屋)


 税理士さんと、紹介してくれた友達に心の中で感謝しながら、黙々と集計作業に勤しんだ。



§



2月2日(土)PM9:06

現在の気温 10℃ 晴



 そして、日もとっぷりと暮れた午後9時、全ての集計が終わった。

 デスクチェアの背にもたれかかるように思いっきり伸びをして、そのまま天井を眺める。


(終わった……)


 表計算でまとめた結果は今印刷している。印刷ができたらざっと目を通してミスはないか確認しなければならないが。

 全ての結果とレシートの類を大封筒に入れて、これでとりあえず俺の確定申告は終了した。



 外は風がまだ出ているようで、時折ばたついた音と風切り音がする。

 2月にしては気温も高めの日だったが、こう風がきついと外に出るのもおっくうだ。


 しかし、腹は減る。

 ティータイムのショートブレッドからこちら、何も食べていなかった。


 さて、何を食べようか。



 ティルテがいたらなにか作ってくれていたかもしれないが、あいにく今は俺一人。作るのもめんどくさいので、意を決してコンビニへ買い出しに出ることにした。


 クローゼットからダウンジャケットを引っ張り出して着込む。

 一応ダイニングのテーブルに書き置きを残していく。


 コンビニまでは歩いて5分もかからない。バス停のすぐそばにある。

 風のきつい夜道を一人歩くと見えてきた青い看板。


(ホッとする)


 コンビニの中は暖かく、たった5分で凍えた体もほぐれる。カウンターにはおでんや肉まんといった、いかにも温まりそうなメニューが並ぶ。


(おでんもいいな、ティルテは、来るのかな?)


 1人分には多い量の食べ物をかごに入れ、最後はおでん。


 帰りの道のりはおでん汁がこぼれないように慎重に歩いた。



「ただいまー……」



 返事はなかった。


 食卓の上には、さっき置いた書き置きがそのまま残っていた。

 どうやら彼女は来なかったようだ。


 買ってきた食べ物をレジ袋ごと食卓の上に。そして書き置きは丸めてゴミ箱へ。

 昼間からそのままだったティーポットとカップを洗う。


 そして改めてお湯を沸かして、お茶を入れる。

 今日の晩飯はコンビニちらし寿司とおでんになった。



 何気なくつけたTVの中では、売れっ子アイドルグループがトークしている。


(なんとなく、寂しいな)


 TVの中が騒がしい分、TVの外側の静けさが余計に沁みるようだ。


 結局その日、ティルテは現れないまま終わってしまった。



§



2月3日(日)AM8:08

現在の気温 6℃ 晴



「おはよう、亮輔」


 翌朝一番で目に映ったのは、いつもと変わらない笑顔の彼女だった。


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