第3話 まさかの俺が爆発する方
いつものように起きた朝だった。
季節はもうすっかり冬。
ひんやり、というには寒くなった部屋の空気に、ベッドから抜け出した途端に身震いした。
「……さっむ」
急いでエアコンをつけると、俺は早々にベッドに戻った。ヘッドボードに置いたスマホに手を伸ばして、ロック画面を見る。
12月22日(土)AM9:05
現在の気温 5℃ 雨のち晴
メール 20件
ロックを解除して、溜まったメールを見ていく。
ろくなメールがない。
大半はたわいもない広告メール。そんなメールをどんどん消していく。
会社を辞めてからは、届くメールのほとんどは意味のないものになっていた。
エアコンからはようやく少しずつ温風が出始めた。
実家にいた頃は石油ファンヒーターだった。
多少臭うし灯油の補充も面倒だったが、なによりすぐ暖かくなるのが良かった。だが、今いるマンションはオール電化。ストーブはもちろん火を燃やすタイプのファンヒーターも禁止されている。
(便利なんだか不便なんだか、よく分からないよな)
そんなことを独り思いつつベッドから出られずにいると、スマホから着信音がした。
実家からの電話だった。
「もしもし?」
「おはよう亮ちゃん、起きてた?」
母さんの声がした。
「どうしたの、こんな朝早くから珍しいな」
「うん、ちょっと今日、亮ちゃんの所に行こうかと思って」
「げっ、な、なにしに来るんだよ母さん。急に言うなよそういうの」
「えー? 良いじゃない。いるんでしょ?」
「そりゃー用事はないけどさ。今起きたところだし部屋片付けなきゃいけないし、午後くらいにならないかな?」
「それじゃお昼一緒に外で食べるのはどう? 部屋には寄らないから」
「……また見合い話でも持って来てんのか?」
「あらっ、なーんだばれてたかぁ」
「……もう隠しもしてないな」
「親が子供に隠し事してどうなるのよ? それに、もういい歳なんだからそろそろ自覚してもらわないと困ります」
ぴしっと釘を刺されてしまった。
結局11時半頃に駅の改札前で待ち合わせ、ということになった。
エアコンはいつしか全開で温風を吹き出している。
少し温もりが出てきた部屋の空気の中に、俺はようやく身を預けることにした。
そのまま着替えをして、洗濯する衣服を集めてバスケットに入れていると、玄関の方から物音がした。
ティルテが居間に顔を見せた。
「おはよう亮輔ー。というかこっちすごく寒いのね。暖房かかってないの?」
「おはようティルテ。30分前にはつけたんだが、うちの暖房はなかなか暖かくならないんだよ」
「ふうん。なんだか不便ね」
「まったくだ。だけど火を燃やすわけにもいかないからな、ここは」
「暖かくするのに火が使えないなんて、変な世界よね」
「それはこの世界が変なわけじゃなくて、この家の問題なんだけどな」
「そうなの?」
「他の人と同じ建物で住んでいるからな。いろいろと決まり事が多いんだよ」
オール電化と言っても多分彼女が理解するには説明する時間が足りないので、そうやって簡単に話を切り上げる。
ダイニングから彼女の声がする。
「えーとこっちの時間は朝の9時45分ね。亮輔、朝ご飯食べた?」
「いや、まだだよ」
俺は洗濯機のスイッチを入れながら答える。
「じゃ、なにか作るわね。私も一緒して良いかな?」
「ああ、お願いできるかな?……っと、そうだ、俺の分は軽めでいいよ」
「ん、わかったわ。けど、なにか用事でもあるの?」
俺はキッチンの方に出てきて続けた。
「ああ、いや、母親が今日の昼にこっちに来るんだよ。それで昼飯を一緒に食べて話をしようとか、そういう事になってな。11時半に駅で待ち合わせだからさ」
「亮輔のお母さんかあ。怖い人?」
「いや、怖くはないけどな。どちらかっていうと優しいだろうな。それで、今日はお見合い話を持ってくると言ってたな」
俺は後半ちょっとため息交じりに言葉を出した。
「オミアイ、ってなに?」
「お、お?そこに食いつくかティルテ」
「だってそんな言葉知らないし」
「それもそうか……。お見合いっていうのはだな……」
「うん」
「結婚したいと思ってる男女が、お互いのことをよく知るために2人きりで会話をすることだ」
「亮輔結婚するの!?」
彼女が珍しく声を上げた。
「い、いや俺は結婚とか全然考えてないぞ!母親が勝手に話を持ってくるだけだ」
「なあんだ。びっくりさせないで」
「いや、そこ驚くところか?」
「結婚だなんて人生最大の出来事じゃない。そんなこと急に言われたらびっくりするわよ」
「そんなものかね」
「そういうものよ」
「女神様でも?」
「女神様でもよ」
§
俺たちはトーストとミルクティー、そしてきれいにウサギ切りになったリンゴを4切れずつつまんで朝食にした。
洗濯物を干している内に一つ思いついたことがあった。とはいうものの、ティルテが首を縦に振るかどうかは未知数だったんだが。
§
そして11時半に、駅の改札前に俺たち2人は立っていた。
しばらくすると、母さんがホームから歩いてくるのが見えた。
改札を抜ける手前でこちらに気づく。足が止まって、ちょっと驚いた様子だ。
ただそれも一瞬で、すぐに元の歩調に戻って改札を抜け、俺たちの目の前にやってきた。
そのまま母さんの顔が俺の眼前を埋める。
「亮ちゃん、お隣のかわいい彼女、紹介してくれるんでしょ?」
母さんがちょっと引きつった笑顔を見せつつ、俺の耳に囁く。
次の瞬間にはもうティルテの方に向き直って、よそ行き笑顔で会釈を交わしていた。
「こんにちは、はじめまして。私は亮輔の母親の白木輝美です」
「こんにちは。こちらこそはじめまして、ティルテ=アナンといいます」
「ティルテさん、ね。その感じだと海外の方?」
何か言おうとするティルテを制して、俺が答える。
「そ、そうなんだよ母さん。仕事絡みでちょっと付き合いがあってさ、それで……まぁこんな風に」
「ふうん……、亮ちゃんにしてはやるわね」
母の目線が不敵な笑みを見せたような気がした。
「こ、こんなとこで立ち話も周りの迷惑になるし、お昼行こ、お昼」
その場をなんとか切り上げて、俺の作戦は幕を開けた。
向かった先は駅の向かいにあるホテルのダイニングだ。
母さんが俺と彼女に聞きたい話があるしと言うので、それなら少し落ち着いた場所が良いだろうということになった。
通された席はやや奥まった、話をするにはもってこいだと思われる席で、俺たち3人は母さん対2人のように座る。
料理のオーダーを済ませると、沈黙と共に微妙な空気があたりを包んだ。
母さんになにを聞かれるんだろうなと少しの不安と緊張で、少し泳ぐ俺の目。隣に座るティルテはというと、普段よりもむしろやや落ち着いた感じで、様子はあまり変わらないように見えた。
「さて亮ちゃん、ティルテさんの事をもう少し詳しく教えてもらってもいい?」
組んだ両手の背で頬杖を突きつつ、やんわりと薄目がちに微笑む母さんの目だったが、溢れる眼力は鋭い。
実は俺が退職していたことは両親には伏せている。
それがバレるのもまた困るので、今緊張感は最高潮だ。しかし弱音を吐いてもいられない訳で。
俺は事前にティルテと打ち合わせをしていた内容で、母さんに説明をしていく。
内容はこうだ――
ティルテは俺の在籍している研究室に、海外からの研究員としてやってきている。俺が指導役となって、この半年ほど普段の生活の面倒も見ている。最近はお互いに気心も知れてきて、公私ともに二人でいることも増えたこと
――そんな感じで話をしていたら、母さんから思わぬ反撃が飛んだ。
「ティルテさん、うちの亮輔はどう? 頼りになりそう?」
さすがにこの切り替えには面食らったらしく、ティルテの目にも驚きの表情が隠せない。
「……え、えと、その、はい。とっても頼りになる方です、亮輔さんは」
少ししどろもどろになりつつも、なんとか言葉を繋ぐティルテ。心なしか眼光が和らいだようにも見える母さん。
ティルテの返事に合わせて、満足げな顔が微かに上下しているのが分かる。
「私が困っていても嫌な顔一つせずに手伝ってくれますし、どんなときでも困難を打ち破っていく力があります」
ティルテがそう続けると、母さんが切り返した。
「……そうなのね。私が考えているより、もう大人って事かしらね、亮輔は」
「亮輔さんは立派な大人だと思います」
「亮ちゃんはどうなの? ティルテさんとお付き合い、続けるの?」
俺はこれについては自信を持って答える。
「それはもちろん。彼女の立場もあるからいつまで続くかは分からないけれど、続く限りは」
母さんの眼光から鋭さが消えて、いつもの優しい顔に戻っていた。
そして前菜が並べられて、和やかな昼食会が始まった。
§
12月22日(土)PM1:36
現在の気温 9℃ 曇のち晴
駅の改札の前で母さんと別れた。
俺たち二人は母さんがホームの奥に消えるまで手を振って見送っていた。
今日の作戦はなんとか成功したのだろうか。
どっと疲れが出た俺は、母さんが視界から消えると同時にかくんと項垂れた。
そんな横でティルテが意味深長な事を呟いたのを、俺は危うく聞き逃すところだった。
「亮輔のお母さま、感じた波動がなにかによく似ているわね……」
それがどういう意味を持つのか、彼女から聞き出すことはできなかった。