第27話 勇者も走る季節
家族4人簡単に昼ご飯を済ませて、それぞれの仕事に戻った年末の午後だった。
母さんとティルテはキッチンでおせち料理の準備を、父さんは注連飾りや家の外回りの掃除と点検に回った。そして俺は一向に終わらない自室の整理をしている。
少し整理の手を止めて、スマホの画面を見た。
12月29日(日)PM2:16
現在の気温 8℃ 晴
階段を上がってくる気配がする。足音が部屋の前で止まったと思ったら、部屋のドアが開いて父さんの声がした。
「亮輔、買い物に出るが、なにか欲しい物とかあるか?」
「いや、特にないよ」
「そうか。じゃあ出かけてくる」
父さんはそう言うと、そのままクルマで出かけていった。
俺は引き続き自分の部屋を片付ける。
なにせ大学に入ってからは年数回の帰省ぐらいでしか寄りつかなかった部屋だ。小さい頃からのガラクタもけっこう溜まっていて、既に住み始めているというのにまだあまり片付いていない。
あまりにもボロボロになったノートとか文房具の類もそのまま手つかずなのには我ながら呆れている。
思い入れの深い物だけは少しばかり残して、もうあらかたのものをバッサリと処分することに決めた。
断捨離だ、断捨離。
そんな気持ちでどんどんとゴミ袋に突っ込んでいると、キッチンの方からティルテの歓声が聞こえてきた。
「どうしたティルテ?大声出して」
俺は今やすっかり女達の城となったキッチンを覗き込む。
「あっ、亮輔! お母様すごいのよ、見て見て」
訝しげに近づいて見てみると、母さんの突き出した人差し指の先には小さな小さな炎がひとつ揺らめいていた。
「なっ、母さんなにやってんのさ、やけどするだろ!?」
「亮輔よく見てよ、お母様は火の神術を使っているの」
「ええっ!?」
目をこらすと、確かに母さんの手にはなにも持っておらず、炎も指先から2cmほど上空で揺らめいている。
母さんが手を開くと同時に炎もパッと消えた。
「現代世界じゃ神術とか魔術とか、使えないはずじゃなかったのか?」
俺は少し眉をひそめ、腕を組んで女性2人の前に立つ。
「ティルテさんはそう思っていたみたいだけどね、少しコツがいるけど実は使えるのよ」
母さんが答えた。
「だってそうでもなくちゃ、あなたたちが持っている神具とか、こちらに来たときに使い物にならなくなるじゃない?」
「ああそうか、言われてみれば確かに」
「あちらの世界とこちらの世界ではマナの質が少し違うのと、こちらでは環境の中にあるマナの量が少ないから、同じだけの効果を出そうと思うと神力が余分に必要になるだけよ」
母さんを相手にそんな異世界感マシマシの会話をしていたら、その横でティルテが目を輝かせて話に聞き入っている。
「私はこちらの世界に定着するときに、大半の神術を自ら封印しちゃったのよ。こちらじゃ要らない力ばっかりだしね。日常生活にあると便利な術だけ残してはあるけど……ご覧の通りとても控えめに、ね」
「父さんはそれ知ってるの?」
「神術がまだ使えること? 知らないと思うわよ? こちらで使っているところは一切見せてないからね」
母さんは少し神妙な顔つきになって言葉を続ける。
「……女神ブリジットは、ごく普通の結婚をして、ごく普通に子供を産んで、ごく普通のお母さんになったのです」
「いやその話にはかなり間違いがある」
俺が突っ込むと、母さんは破顔した。
「あっはっは。まあ確かにそうよね、生まれた子供は全然普通じゃないものね」
「俺はこの夏までは普通の人間だと思ってたんだけどな」
「私もびっくりよ? まさか息子が勇者になるなんて」
「父さんもなにかの血筋なのかな?」
「聞いたことはないわねえ」
親子の勢いの良い会話に混ざれずにいたティルテが声を上げる。
「あの、お母様。また今度やり方を教えていただいていいですか?」
「うん、いいわよ。細かい制御が必要だけど、ティルテさんなら大丈夫。ちょうど良い実験台もいるし」
思わず3人で笑った。
その時――ティルテの腰にぶら下げたコンパクトが発光した。
「神具が光った?」
「向こうの世界で緊急事態が起こると光るんです。亮輔?」
「分かってる、すぐ準備して出るぞ」
俺とティルテは急いでそれぞれ装備を整えて、ガレージの奥に置かれた姿見の前に立った。
「それじゃ母さん、行ってきます」
「気をつけてね」
「お母様、亮輔さんは私がしっかりお守りします。それでは」
そして俺たちは手を繋いで鏡を越えた。
§
転移先は高い山の頂に近い窪地だった。
見通しは良く、見覚えのある山脈が目の前に見えて神域ファリアスに近いことが窺える。
そして視野の半分近くを空中に盛り上がる巨大な黒い塊が占めていた。
その見た目は天空に突き刺さる積乱雲のようにも見える。
「これはまた相当な大物だな」
「あんなに巨大な魔物なんて、今まで見たことないわね」
ともかくやるべき事をやるだけ。
いつものように魔物を蹴散らすべく、二人その巨大な塊の近くまで飛翔しようとしたとき、ダーナから声が届いた。
『勇者殿、そしてティルテよ、魔物は2体いる』
「「!」」
ダーナからもたらされた情報に予想外の驚きが走った。
『今目前には巨大な黒の塊が見えていると思うが、あれは魔物が万単位で寄り集まったものだ。そしてリアファルの結界障壁外殻に取り付いている』
『さらにもう1体、同様に巨大な塊がそこから南に100ほど進んだ地点にもいる。そちらも外殻に取り付いている』
『魔物の塊は外殻のマナを吸い尽す勢いだが、今しばらくは結界障壁も耐えるとは思う』
「ダーナ様、それでは私たちはどうすれば」
ティルテが声を上げる。
『片方の塊だけであれば良かったが、2つ同時となると片方を討伐している間に外殻のマナがなくなり突破される可能性がある』
「……そんな……」
ティルテの嘆く声が聞こえる。
『片方を勇者が討伐する間に、もう片方を外殻から離し押しとどめることができれば』
「それでは、押しとどめる役は私が!」
「いや、それじゃダメだティルテ」
俺は努めて冷静な声で言った。
「ティルテの継続した補助がなければ、いくら俺の剣でも万単位の魔物を討伐するには時間が掛かりすぎる。俺たち以外に誰かもう1人、押しとどめる役目が必要だ」
「そんな……もう1人なんてどこにもいないじゃない」
ティルテの表情が悲壮に沈む。
「……いや、いる。ティルテ、俺の母さんをここに連れてきてくれ」
「え?なに言ってるの?」
「女神ブリジットがどれほどの実力を持っているか、息子の俺でも分からない。でも、今頼れるのは母さんしかいない」
俺はティルテを真正面に見据えて、はっきりと言い切った。
『ほう、ブリジットか。ならば十分時間稼ぎにはなるだろうな』
ダーナの声が響く。
「頼むティルテ、俺に補助を掛けたらすぐにあっちに飛んで母さんを連れてきてくれ」
少しの間。そしてティルテの目に決意の炎が灯る。
「わかったわ、なんとしても連れてくる。無事でいてね、亮輔」
「ああ、任せとけ」
ティルテはありったけの補助神術を俺に向かって掛けて、そして窪地の水たまりからあっちの世界に飛んだ。
そして俺は、単騎魔物の塊に向かう。
最大速度の飛翔魔術で飛び、目の前の魔物の塊に取り付いた。
確かにダーナが言った通り、魔物は巨大な1体ではなく数多くの魔物が折り重なるように塊になって蠢いていた。そして、そこに障壁があるのだろう、山脈に近い部分が不自然な円形で切り取られたような見かけになっていた。
さらに南方に目を遣ると、遙か彼方にこれと同じような黒い塊が空中に伸びているのが見えた。
俺は飛翔したまま剣を魔物の表面に這わせていく。
魔力を込めた剣の触れたところからさらに深くまで、魔物は一気に塵となってごっそりと消え失せるが、消えたところはすぐさま別の魔物で埋め尽くされて、数が減ったような気がまるでしない。
時折俺の進行方向を遮るように塊が飛び出てきたり、あるいは直接俺に危害を加えようと横っ腹から飛びかかるモノもいる。俺はそれらをいなし、避け、斬る。連続した飛翔魔術で飛び回りながら、剣にも魔力を掛け続け切り刻む。
何度も何度も。俺はとにかく1体でも魔物を減らすべく剣を振るった。