第25話 アドベントカレンダー
壁に掛かったカレンダーを1枚破る。
今日から12月。ついに今年も残り31日になった。
12月1日(日)AM7:10
現在の気温 4℃ 晴
引っ越しの日程が決まった。
12月21日の土曜日に業者が来る事になった。
前に両親とティルテの引き合わせをした時に決まった、実家に物置を建てる話も順調に進んでいる。21日の引っ越しまでには間に合うらしい。
「亮輔、おはよ」
「おはようティルテ」
俺が起きたのにつられてティルテが寝室から出てきた。
彼女が単独であちらの世界に戻る事もほとんどなくなって、9月からはもうずっと同棲状態だ。
「着替えたら朝ご飯、用意するわね」
「手伝うよ」
「任せて。引っ越しの計画、立てるんでしょ?」
そう言って彼女は着替えるために寝室へ引っ込んだ。
俺は先ほど切り取ったカレンダーの紙を持ってリビングのデスクに座る。
白紙の裏紙を使って引っ越し準備の計画を立てる事にして、持っていく物、処分する物のリストを書く。ティルテの持ち物もかなり増えている昨今ではあるし、彼女も交えてきちんと仕分けをした方が良さそうだ。
そして、各種手続き。
マンションの解約もそうだが、電気の契約もインターネット回線とかもある。とにかく思いつくまま紙に書いていった。
「亮輔ー、ご飯できたよ」
ティルテがダイニングから呼びかける。
「今行くよ」
メモをその場に置いて、食卓についた。
今朝のメニューは大根と小松菜のお味噌汁、卵焼き、昨夜の残りの青椒肉絲とご飯。
これを見て異世界の女神様が作った献立だとは誰も思うまい。
「「いただきます」」
いつの間にか箸の持ち方もしっかり板についているし、こっちの世界にすっかり馴染んでしまっている彼女。
色々な意味で特別な相手のはずなのだが、その様子はちっとも特別ではなくて。そのギャップがなにやら面白く感じられてくるのも確かだ。
「「ごちそうさまでした」」
食後、食器の片付けは俺の仕事。その間に彼女は洗濯を始める。
食器洗いを終えた俺は再びデスクに向かって引っ越しの計画を練る。
途中彼女も呼んで、彼女の衣服や持ち物について打ち合わせ。その内容もメモに書き取っていった。
そしてまとまった事を時系列に直して、12月のカレンダーに書き込んでいく。
こうして引っ越しまでの計画が立った。
あとはこのカレンダーに沿って片付けを進めていくだけだ。
改めてカレンダーを見つめていたら、ふと『アドベントカレンダー』という単語が頭をよぎった。それはクリスマスまでの毎日をカウントダウンする特別なカレンダー。このカレンダーの行き着く先も、たぶん忘れられない思い出の日に繋がっているのだろう。
俺は最後の仕上げに、23日を赤丸で囲った。
§
12月20日(金)PM9:04
現在の気温 4℃ 曇
玄関の姿見。
俺とティルテが出会う事になった、異世界へのゲート。それを今丁寧に片付ける。
玄関から二人で持ち上げて、新聞紙を敷いた廊下に寝かせる。埃を払って、細かい所まで固く絞った雑巾で水拭き。
普段からなるべく綺麗に保ってきたつもりだったが、こうやってじっくり見るとフレームのあちこちに小傷が入っている。
鏡が割れないように、鏡の面にはエアキャップを置いた上から切った段ボールを被せて、そしてこのために用意した新品の真っ白なシーツで緩みのないように包んだ。
明日はいよいよ引っ越し本番。この部屋で暮らすのも今夜が最後になった。
§
12月21日(土)AM8:37
現在の気温 3℃ 雨
引っ越し作業が業者の手により始まった。
運ぶ物がテキパキと梱包されていく。
見る間に戸棚の食器が全て消え失せて、クローゼットいっぱいにひしめいていた衣服も箱の中。空になったクローゼットも梱包されてしまった。
疲れ果てて帰ってきた夜に、ティルテと二人体を沈めたソファーが梱包されていく。
いつも二人で向かい合って美味しくご飯を食べたテーブルも梱包されていく。
確定申告の書類整理に活躍したデスクとデスクチェアも梱包されていく。
その一方で持って行かない家具もある。
ティルテを抱きかかえて横たえたベッドは、フレームに歪みが出てマットレスもへたりがあった。
パンからグラタンまで焼き料理に活躍したオーブントースターも、そろそろ汚れが取れなくなって危なくなってきた。
ティルテがあちらの世界に持って行きたいとまで言った電子レンジは、もっと機能の多い最新機種を買う事にした。
物にも寿命ってものはあって、いつかは手放さなければならない事だが、いざその時になってみると、やはり少なからず感傷を伴うものだ。
そして、この部屋も。
2DKの、一人で暮らすには少し広い部屋。でも、二人で暮らすには少し狭い部屋。なんだかんだでもう6年も暮らしていた。
前にいたのは学生時代からのワンルーム。
会社に入って何年か経って、少し良い感じになって浮かれて、確かその時にここに移り住んだ。浮かれ話はすぐ弾けたが、俺自身は少し余裕のあるこの部屋が気に入っていた。
そして去年。
彼女が現れた。
思えば勢いに任せて突っ走った1年半だった。
へとへとに疲れ果てた二人を癒やしてくれたこの部屋。
ギリギリのところで逃げ帰った彼女を、俺が来るまで守ってくれたこの部屋。
楽しく二人で料理を作ったこの部屋。
そんな事を思い出しながら、引っ越しの指示を出していた。
§
12月21日(土)AM11:34
現在の気温 6℃ 雨
少し前に引っ越しのトラックは荷物を全て積み終えて帰って行った。
あれだけあった家財道具がすっかりなくなって、空っぽになった部屋が残った。
「全部なくなっちゃったわね」
「そうだな」
二人で壁にもたれて座り、掃除道具とシーツで梱包した姿見だけが残る部屋をしばらく眺めていた。
「外はまだ雨降ってるな。先に掃除を済ませてしまおうか」
午後には止む予報があったので、先に掃除を済ませてしまう事にした。
TVの裏だった場所とか、結構な埃の山だ。
寝室、居間、ダイニング、キッチン、洗面所、風呂場。掃除機を掛け綺麗に拭き上げると、意外と時間が経っていた。
12月21日(土)PM1:23
現在の気温 8℃ 曇
雨が止んで、雲間が明るくなってきた。
今からレンタカーを借りに行って、戻ってきたら鏡を積む。管理会社の人が退室チェックに来るのは午後4時の予定だ。
駅の方角へ15分、彼女と一緒に歩いてレンタカー屋に向かう。
雨上がりの冬の街。駅のツインタワーが午後の光に照らされて遙かに見えた。
レンタカーは鏡を積み込むので、長めのものも積めるステーションワゴンの車種にした。
鍵を受け取ってエンジンスタート。ティルテと二人、混雑する都会の道路へ慎重に踏み出す。
「なあティルテ、お昼なに食べる?」
「お腹は空いてるけど、特にリクエストってないのよね……。このあともまだやる事があるし、簡単でいいよ?」
「それじゃ、近所のファミレスにしとくか」
§
12月21日(土)PM3:15
現在の気温 8℃ 曇のち晴
マンションに戻ってきた。
クルマは空いている駐車スペースに駐めた。
ステーションワゴンの後部座席を半分、それから助手席も倒して鏡の積み込みに備える。
二人で慎重に鏡を持ち上げて、クルマへと運ぶ。
リアハッチをティルテに開けてもらって鏡を積み込んでみると、助手席から荷室まで縦いっぱいになってしまった。
「結構ギリギリだな」
「そうね。案外大きかったわね、鏡」
午後4時ちょうどに管理会社の人がやってきた。
部屋の傷み具合を入念にチェックしていく。さすがに6年いるとそれなりに傷んでいて、特にキッチン周りが結構頑固な汚れになっていた。
あとは取り立てて問題になるような事はなく、敷金も多少は返金されてくるようだった。
忘れ物がないか管理の人と共に最終チェック。ポストの中身も全部出して、封印シールが貼られた。そして、鍵の返却。
こうして思い出深いあの部屋とお別れした。
12月21日(土)PM4:47
現在の気温 6℃ 晴
もう日は沈んで雲間に残照だけが残る空の下、実家へと急ぐ高速道路。
運転席は俺、彼女は俺の真後ろの席に。
「そういえばクルマで長距離乗るのは初めてだったかな」
俺がティルテに声を掛けた。
「そうね」
俺も普段車の運転はしないので、やや緊張してハンドルを握っている。事故を起こしてはたまらないので安全運転だ。
そんなこんなで道中2回ほど休憩を挟んで、無事に実家に到着した。
§
「亮ちゃん、これが例の鏡?」
「そうだよ」
「変哲もない普通の姿見だな」
俺は姿見を居間で開梱した。父と母が口々に感想を述べた。
「問題はこの家のどこに置くかなんだけどさ」
「人目に付かない所がいいわよね?」
「となると家の中か?」
「でも飛び先は普通に外の事が多いですし。家の中だと靴で汚しちゃいます。それはまずいですよねお父様?」
「ティルテさんの言う通りだな。前はどうしてたんだ?」
「元々玄関に置いてあったんだよ。出社前の身だしなみ確認用でさ」
「じゃあここでも玄関で良いんじゃない?」
「輝美、もし誰かお客が来ている時にかち合ったら説明が面倒になるぞ?」
「ああ、そうかあ、そうよねえ。んー」
「そうだ、父さんガレージの奥とかどうだろう。場所あるかな?」
「ガレージか、少し片付ければ行けるかも知れないな」
俺と父さんとでガレージの奥に来た。
ガレージの奥は古い戸棚で区切られたようになっている一角があって、その空間を使えば目立たずに鏡を設置できそうだ。
「この棚の裏に置いたらどうかな?」
「良いんじゃないか? それじゃちょっとここらを片付けるか。亮輔、手伝ってくれ」
そうして父さんと二人で辺りを片付けて、姿見を持ってきて据え付けてみる。
「良いんじゃない? これならシャッターが開いてても外からは見えないわね」
「鏡の前の空間もこれだけあれば、多少強引に飛んできても危なくないと思いますね」
母さんとティルテはこれでオーケーのようだ。
「それじゃ、これで行きますか」
「まあ待て亮輔、別にスタンドで立てなくても良いんだろこれ。倒れたら大変だし、壁に釘打って止めてしまわないか?」
「そりゃその方が良いけど、鏡の縁は地面に付けて設置できるかな? 父さん」
「この壁はいくらでも釘が打てるから大丈夫だ。よし、ちょっと工具取ってくるわ」
そんな訳で父さんの作業が始まった。
ちゃっちゃと鏡の寸法を測って壁に釘を打っていく。プロの大工も斯くや、という勢いで姿見は壁に据え付けられてしまった。フレームの下にはゴムパッドまで挟まれて、姿見自体が動いて傷にならないような仕上げだ。
「おお、完璧だ」
「どうよ亮輔。父さんもまだまだやるだろ?」
「相変わらず上手いよなあ。ありがとう父さん。すごく良くなった」
「……お二人とも、ご飯が……あ、鏡がもうできてる。すごいですねお父様」
ティルテが母屋からやってきた。
「ああティルテさん。しっかりと止めたのでよほどじゃないとがたつく事もないと思う。触って確かめてもらって良いかな?」
「はい、それじゃ」
ティルテはガレージに降りてきて、姿見を押したり引いたりして取り付けの具合を確認している。
「うん。すごいしっかりしてますね。これなら何があっても大丈夫だと思います。お父様、ありがとうございました」
「なに、ティルテさんのためだからね。困った事があったらなんでも相談して下さいよ」
「父さん、ティルテに甘いな」
「ええ? お嬢さんが困ってたら助けるのが男ってもんだろ?」
その様子を見ていたティルテがクスリと笑う。
俺も釣られて笑ってしまって、結局3人で笑い出してしまった。