第23話 親孝行?の日
「ティルテさん、ひとつ提案があるんだけど」
俺は自宅でランチを食べている席上、そう切り出した。
彼女は箸を持ったまま俺の方を向いてフリーズしている。
たっぷり1分はそのままだったが、再びもぐもぐと口が動き始めて、そして箸を置いてようやく答えてくれた。
「……亮輔、何か悪いものでも食べたの?」
「いや、それはない」
「じゃあなんで、ティルテ『さん』なんて呼ぶのよ?」
「……いや、別に特別な理由はないんだけど。なんとなく」
彼女が怪訝な目つきで俺を睨んでいる。
確かにこれから俺が言うことは多少突飛な提案かも知れないが、そう悪いものでもないだろうと思う。
とにかく彼女の反応はあったので、俺は軽く咳払いをしてから話を続けることにした。
「提案っていうのは、そろそろ本腰を入れて魔物の侵攻を止めにかかった方が良いんじゃないかって事」
「また急に真面目な提案ね、それで亮輔はどうしたいと思っているのかしら?」
「もうあちらの世界で生活しながら討伐を続けた方が良いんじゃないかと考えてる」
「それは嫌」
彼女は腕を組んで顔を背けて言った。
「即答だな」
「だってそれじゃこちらの美味しい料理とか、きれいなお風呂とか、便利な物とか諦めるって事でしょ?」
横目で軽く俺の事を睨みつつ文句を言う。
「いやいや、そう短絡的になるなよティルテ。そこで一つ聞いておきたいんだけど、鏡のゲート。あれはこの場所に置いておかないとダメなのか?」
「そんな事はないわね、この世界のどこにあれを持って行ってもゲートとして働くと思うわよ?」
「なるほど。じゃあこの家以外でも」
「……あっちの世界との行き来はできるわねって、ああ、なんとなく亮輔の言いたいことがわかった気がする」
彼女の顔が再びこちらを向いた。
「察しが良いな。ここは引き払って俺の実家に鏡を預けてしまおうかと、実はそんなことを考えてたんだ」
「……」
思っていた事と少し違っていたのか、彼女の顔に少し驚きの色が表れた。
「鏡は俺の実家に置いて、そこを拠点にするんだ。そしてあちらの世界の方にも自宅を用意して、そちらにもゲートになる鏡を置いておく。普段はあちらで暮らして討伐に、食事とかお風呂とか休みの日とかはゲートを通って実家の方に、というのはどうかな?」
「もちろん、俺の両親にきちんと話さないといけないし、ダメだと言われたらそこまで。それなら今のこの生活を続ける事になるな」
彼女も少し悩んだ風で、腕を組んだまま眉間にシワを寄せている。
俺は少し追加情報を口にする。
「俺の実家はこの街から電車で1時間半くらいの所でさ。なんなら休みの日にこっちに遊びに出るくらいの事はできるぞ?」
「……わかったわ。亮輔がその方が良いって思うのなら、その線で動いてみましょうか」
『遊び』の一言が背中を押したのか、最後はあっさり同意が得られた。
なんだかんだ街に繰り出すのが楽しみだったみたいだが……、それで良かったのだろうか?
それから俺は、ティルテを正式に両親に直接会わせて挨拶をすることを話した。
「父さんも母さんも、ティルテの事は気に入っているようだから問題は起きないと思うんだよな」
「それは元勇者と元女神なんだし、私たちの仕事について理解があるとは思うけど。性格とか合うかどうかまでは、分からないじゃない?」
「そこは確かにティルテの言う通り。でも合わないって分かったら、その時はまた親元から離れるだけさ。だからそんなに心配しないでくれ」
「うん。そこは亮輔の事、信じてるから」
そんなこんなで、俺たち二人は近いうちに俺の実家へ赴く事になった。
§
……というのが先月の末にあった話で。
俺とティルテは今、タクシーを降りて実家の前にいた。
10月13日(日)PM2:21
現在の気温 25℃ 晴
門の前で二人お互いに軽く服装チェック。
俺は自分の家なのに、なぜか緊張してしまって動きがぎこちない。
彼女は見たところ普段と変わらないようだ。
俺は意を決してインターホンを押した。
玄関の引き戸がカラリと開いて、顔を見せたのは母さんだ。
「まあまあこんにちは、ティルテさん遠いところまでようこそ。さあさあ、上がって?」
「お母様こんにちは、おじゃまいたします」
「あ、母さんこれ。お土産買ってきた」
「そんなに気を遣わなくて良いのに」
「一応、それなり改まった席だし」
「そんな大げさなものじゃないわよ」
俺たち二人はそのまま居間に通され、ソファに並んで座る。
すると父さんが顔を見せた。
ティルテが立ち上がろうとするところ、父さんはそれを制して俺たちの向かいに座った。
「まあまあ。ティルテさんでしたね。堅苦しい挨拶はなしで良いですよ」
「はじめましてお父様。ティルテ=アナンと申します」
ティルテはそれでも、座ったまま軽い会釈と共に名を告げた。
「……いや、初対面でこんなことを言うのは失礼かもしれませんが、実物は本当にお綺麗だ」
「父さん」
「いや亮輔、失礼は承知でこれだけは言わせてくれ」
そのやりとりを見て、ティルテが微笑む。
そんなことをしている間に、母さんがお茶を用意して合流してきた。
「母さんもちょっと言ってやってよ、父さん暴走しすぎだ」
「ちょっとお父さん?」
母さんが声をかけると、父さんが真顔になった。
相変わらずこういう場面では父さんは母さんに頭が上がらない。面白い力関係だなと、両親の馴れ初めを少し知った今だとそう感じる。
そして場が少し落ち着いた頃合いを見て、俺はいよいよ本題になる話を始めた。
「父さん、母さん。俺はこのティルテさんと結婚を前提にお付き合いする事になりました」
「お父様、お母様。まだまだ未熟な私ですが、亮輔さんと二人精一杯生きていきたいと思います」
座ったままではあったが、二人揃って頭を下げた。
「どうか、よろしくお願いします」
顔を上げると、そこには父さんと母さんの変わらぬ笑みがあった。
「ティルテさん、うちの亮輔が色々面倒をかけると思うが、どうかできるだけ傍にいてやって欲しい」
父さんがそう声をかける。そうして、両親もまた俺たちに向けて頭を下げた。
改めて、俺から話を切り出した。
「それで実はさ、もう少し話さなきゃいけない事があってさ」
両親の表情が少し改まる。
「俺たち二人が今やってる事について。多分薄々気がついてるとは思うんだけど、今俺は異世界で勇者をやってる。そしてティルテは俺のサポート役なんだ」
「――それで、研究所の仕事の方は辞めてもう1年になる」
「……やはりな」
返したのは父さんだ。母さんも俺を見て頷いている。
「……それともう一つ。実はティルテは女神さまなんだよ」
父さんの顔が明らかに驚きの表情になった。
それに対して母さんの表情は変わらない。
俺は少しティルテの方を見る。彼女はアイコンタクトで俺に頷き返してきた。
「……生活はできてるよ。勇者仕事に報酬が出ていて金銭的に相当余裕はあるから」
「――それで、勇者仕事なんだけど。俺たち二人だけでやってる」
これにはさすがに母さんも驚いたようで、表情が変わる。
「亮ちゃん、他の仲間はいないの? まさか敵に倒されて劣勢になってるとか」
「ああいや母さん、最初から二人だけなんだよ。それに押されているって事もないんだ」
「――母さんがあちらの世界の人で、父さんと一緒に戦った時は他にも仲間がいたって事は聞いてるよ。でも多分、俺たちが戦ってる相手はそれとは違う」
続けて俺は今の状況について両親に説明する。
戦っている世界のこと、敵である現在の魔物の事、女神ダーナに会った事、そして父さんと母さんが昔その世界で戦っていた時の事。
しかし母さんが女神ブリジットだという事は伏せておいた。この場で俺が言うことではないと思ったからだ。それを父さんに伝えるのは、多分母さんの仕事だろう。
討伐に出かけている異世界が母さんの元いた世界だってことを聞いて、父さんは再び驚いていた。対する母さんの反応は冷静で、ティルテの正体をもう少し深いところで気付いていたようだ。
「ふむ、異世界からの侵攻ねえ。それで、敵の出所とかはまだ分かっていないのか?」
「それがまだ分からないんだ。元から絶たないと、とはダーナ様も言われたけど、今のところ手がかりはなにもなし」
「――だからさ、討伐を続けながら出所を探しに行こうと、そんな話をティルテとしていてさ」
「――今もマンションにはあんまり帰ってないし。それでもう俺のマンションは引き払って、こっちを拠点にしようかと考えてるんだけど……やっぱり迷惑……だよね?」
うーんと唸る父さん。
母さんは悩むそぶりは見せず、この件に関しては父さんに丸投げする気配にも見えた。
「亮輔の部屋はそのまま置いてあるが……さすがに二人で寝泊まりするのは狭くないか、と思うんだが」
「あらお父さん、物置を片付ければ良いじゃないですか」
さすがは母さんだ。これを機会に積年の懸案を片付ける気満々だ。
「いや母さん、それとこれとは違うだろ?」
「違いませんよ。使いそうも無いものいっぱい蓄えてるんですから。片付ければその分母屋が広くなるじゃないですか」
「いやいやいや、あれはあれで貴重なものもいっぱいあるんだぞ?」
「それじゃ物置を増やしましょうよ。お庭が広いんだし建てる場所はありますよね?」
「ううむ……」
父さんが腕組みしたまま黙ってしまった。
「あ、あのさ。物置増やすんなら、俺もお金出すよ。それくらいの余裕はあるしさ」
「亮ちゃん。気持ちだけ受け取っておくわ。これはお父さんと母さんの問題だから」
やけに母さんの力が入ってる気がするけど、そう言うならいいかと、俺は深入りしない事にした。
そしてそのままなし崩しに話は決着したようで、俺とティルテは近いうちに実家に引っ越してくる事に決まった。