第18話 魔物の将
そろそろ空の茜色が強くなってきた。
俺とティルテは野宿できそうな物陰を探しながら飛ぶ。
「亮輔、左手の方に大きな岩があるわ」
「よし、そこにしよう」
俺は飛ぶ方向を変え、岩に向かう。
近づいてみると家一軒はあろうかという巨石だ。
岩の傍に降り立ち、彼女を下ろす。
岩の周りを歩いて確かめると、上手い具合に庇のようになっている部分を見つけた。
「なかなか良い感じになってるな」
「これだけ張り出してたら、夜露もしのげそうね」
「そうだな。それじゃ火を用意するよ」
庇の下はもう真っ暗だ。
彼女が神術で光を掌に出す。俺はその光を頼りに野宿の準備を進めた。
薪を集め、火を付ける。着火は文明の利器、ライターだ。
「やっぱり便利よねー」
しみじみと語るティルテ。
「火属性魔術が使えれば、ライターすら要らないんだけどな」
「それを言い出したら、水属性魔術とか欲しいけど」
「そこまで持ってたら大魔術師の仲間入りだよ」
「ふふっ、それもそうよね」
たき火とは別にバーナーを出して湯を沸かす。
今夜はインスタントのコーンスープだ。
そして村でもらった干し肉と、やや硬いパン。パンはスープが良く絡み、しみじみ旨い。
「コーンスープ、やっぱり美味しいね」
「ティルテはこれ、好きだもんな」
「うん。ここがトゥアサ世界だって事を忘れそう」
「はは、そうだな」
手早く晩ご飯を食べ終わると、さっさと調理器具を片付けた。
そして明日のために早々に仮眠に入ることにした。
交代で見張りをするが、念のため俺の結界障壁魔術を掛けておくことにする。
野生動物程度ならこれで防ぐことができるし、万が一魔物が襲ってきたとしても初撃は耐えるはずだ。
それから、俺は身に着けているアイテムバッグから今まで隠していた愛剣を取り出した。
彼女は休む準備ができたようだ。
「それじゃ亮輔、おやすみなさい」
「おやすみ、ティルテ」
彼女が先に休む。俺はたき火が消えないように調整をしながら、遠隔探知を掛けた。
(!?)
まさか、と思った。
俺の遠隔探知はだいたい2キロメートル先までの魔物の気配を感知できる。しかし今回はその数がただ事ではなかった。
(いったい何体いるんだ、これは……)
魔物の気配が多すぎて壁のような感じだ。
一体何体の魔物がいるのか判別がつかない。
これはとんでもないのと出くわしてしまった。
休んだばかりの彼女を起こすかどうか躊躇った。
ともかく、探知を慎重に掛け続けて様子を窺う。
気配の塊はだいたい1キロメートル半くらい先にいて、どうやら徐々に西に向かって移動しているようだ。
(ここより西には神域しかないはずだが。やはり魔物の目的は神域なのか?)
じわじわと進む大きな気配の塊、それに気を取られていた俺は重大なミスをした。
突然背後にも魔物の気配が湧く。
(しまった)
と思うまもなく、背後の気配が二手に分かれてこちらに向かって突っ込んでくる。
俺は剣を取り、身体強化を掛ける。
背後が岩陰で、敵の直撃を受けなかったのだけが幸いだった。
強化を掛けた直後、上空からバタバタと複数の羽音が突っ込んできた。
「上かっ! クソッ」
俺は攻撃魔術を掛ける事もできず、上空から突っ込んできた魔物に対して剣を振るう。
「ティルテ! 敵襲だ、起きろ!」
彼女に目配せするだけの余裕もなく、俺は上空からの敵に対して剣を当てていく。
幸い直線的に突っ込んでくるので何体かを一気に倒すことができた。しかし続けざまに地上の敵が左右同時に突っ込んでくる。
剣をフルに使い、敵襲をいなし、切りつける。
型もなにもあったものじゃなかった。とにかく1体でも減らす、今はそれしかなかった。
ちらりと彼女の方を見る。起きて、結界障壁を内側から神力を込めて維持しているようだ。
彼女の掌が光っているのが見えた。
そうしている間にも次々と魔物が突っ込んでくる。
右へ左へ、剣を振り、当てる、ただそれだけだ。剣が当たった魔物は塵となり消えていく。だが、その後から次々と飛び込んでくる。
いったい何体倒したか、全く分からなくなっていた。
このまま永遠に終わらないんじゃないか、そう思ったとき、敵襲が不意に止まる。その状況に疑問を持つまでの一瞬を突いて、ひときわ大きい影が真横から突っ込んできた。
大きい影は真っ直ぐ彼女の方へ突っ込む。
(やられたっ)
俺はいつの間にか前に出すぎていた。
二人の間には10メートル以上の距離ができていた。
突っ込む影。
俺は体をよじり彼女と影の間に飛び込もうとする。
『パン!』
弾けるような乾いた音とともに、結界障壁の光が霧散する。
一方突っ込んできた影は障壁のあった場所で動かなくなっていた。
ティルテが転がり出るように俺の元に駆け寄る。
たき火はとうに消え、障壁の光も消えた今、辺りは多少の月明かりが差すだけだ。
身体強化のおかげで辛うじて敵のシルエットは見えるが、正体が掴めない。
影がゆっくりと動き出す。その距離、10メートル弱。
敵の体が大きい、ほとんど目と鼻の先に感じる。
彼女は俺の後ろに隠れるようにしがみついている。
背後に他の敵はいるが、そいつらは襲いかかって来ない。
そして面前の影がずるりと一歩、岩陰の奥から踏み出してきた。
月明かりに照らされて敵の顔が現れる。
「こいつ……前に私を襲ってきた奴よ」
「なんだと、確かか?」
「見間違うはずない。呪いはこいつのせいよ」
まさかの展開だ。
しかしそんな敵とまともに戦えば、こちらもどうなるか分かったものではなかった。
彼女に小声で指示を出す。
「タイミングを見て飛ぶ、俺にしっかりしがみつけ」
返事はないが、彼女が俺を掴む手に力が入る。
敵の睨む目が光り、突っ込んできた。刹那、俺はティルテもろとも上空へジャンプする。そして続けざまに飛翔魔術を掛け、とにかく上空高くへ逃げる。
まだ残っていた真っ黒な空飛ぶ魔物共がけたたましい羽音を出して追いすがり、飛びかかってくる。俺は上昇しながら剣を振るい、敵が取り付くのを防ぐ。
めちゃくちゃに上昇しつつ、徐々に水平飛行に移っていく。速度を上げられるだけ上げて、月を背にして飛んだ。
敵の追撃はなくなった。特大の魔物は飛べないらしく、追いかけては来なかった。
あれだけの敵を倒した上に飛翔魔術を無茶苦茶に使って脱出すると、さすがに勇者の俺でも限界が近づく。
なんとか飛んではいるが、魔力が心許なくなってきているのが分かる。戦いで傷も受けていて、所々痛みが出てきた。
そんなことを考えていると、抱えているティルテから温かい波動が伝わってきた。
彼女も落ち着いてきたのか、治癒神術を掛けてくれているようだ。相変わらず一気に神力を出せないので徐々に、ではあるけれど。
術が効いてくるに従って、自分の体が軽くなってくるのが分かる。心なしか、俺の魔力の流れも安定してきたようだ。飛翔に使う魔力のコントロールがやりやすくなっている感じがする。
魔力が安定してきたので、俺はそのまま飛び続ける。
飛行を続けながら、ティルテに話しかける。
「なあティルテ、さっきの特大の魔物の事だけど」
「うん、なにか気がついた?」
「あのデカいのが他の魔物を統率していたんじゃないかと思ってな」
「だから普通とは違う呪いなんていう術も使ってくると?」
「そうかも知れない。それに動き自体も他とは違う。こちらの動きに合わせてきていたからな」
「……考える能力のある魔物、ということ?」
「多分、そういう事だと思う」
「……」
なんのためにそんな魔物の将みたいなのが出てきていたのかは分からないが、今後さらに戦いが厳しくなる事は容易に想像できた。
3時間も飛んだ頃、進行方向に黒い平面が見えてきた。
俺たちは湖の上に出ていた。
月明かりに照らされて波が緩やかに輝いている。
湖の真ん中に小島が見えた。
「ティルテ、前の方に小島があるけど、見えるか?」
「見えてるわ。特になにもいないみたいね」
その言葉を合図に、俺は高度を下げて小島に向かう。そしてゆっくりと着地した。
着地と同時にティルテの体が離れる。そして俺は着地の勢いに負けて少しつんのめり、たたらを踏んだ。
「さ、さすがにきっついな……」
「大丈夫? なんとか逃げ出せてよかった」
「まったくだ。あんなの相手に勝てる気はしなかったぞ、数が多過ぎだ」
俺はそう言って草の上に仰向けに寝転がる。彼女が傍に座った。
「おつかれさま。ケガはもう治った?」
「ああ。サポートありがとうなティルテ」
「まさか奴とあんなところで出くわすなんてね」
「それもそうだが、大軍団だったな……やはり神域へ向かっているのか……」
張り詰めていた気力が途切れたせいか、頭が働かない。
「多分そうだと思うわ」
「……神域の防衛とか、……大丈夫なのかな……」
「神域はリアファルの加護による三重障壁で護られていてね……」
記憶にあるティルテの言葉はここで途切れていた。
俺は彼女の説明も半ばにして、眠りに落ちてしまっていた。