第14話 ティルテと亮輔
(異世界でなら、ティルテを助けられる。そして、神具があれば異世界へ行く事ができる)
俺はそう結論を得た。
そうとなれば急いだ方が良いだろう。彼女を寝かせたまま装備を整える。
クローゼットからいつものミスリル鎧を取り出し、着る。
アイテムバッグを肩に掛け、中を探る。
愛用の両用剣、非常食、ちょっとしたキャンプ用具、そのほかこまごまとした物も確認していった。
(必要な物は揃っているな)
装備を確認した俺は、さらにクローゼットからブランケットや、彼女が討伐の時はいつも着ているマントを取り出し、バッグに詰め込む。
(こんなところで良いか)
再び彼女をお姫様抱っこでかかえて、鏡の前に立った。コンパクトは腰のベルトにぶら下げている。
「よし、行こう」
一人気合いを入れるように呟き、鏡に向け一歩を踏み出す。
俺が初めて自分の意志で異世界に足を踏み入れた瞬間だった。
鏡は普段と同じように、抵抗なく俺と彼女を受け入れる。
鏡の面を超える瞬間、耳の奥が強烈に揺さぶられる感覚が湧き起こる。俺は感覚に耐えきれず、思わず目をつむった。
それはほんの一瞬だったが、再び目を開くと景色は一変していた。
素早く辺りを見回す。
緑色に透ける光が眼に差す。
鳥のさえずりが聞こえる。
手近な大樹を見つけ、物音を立てないように足早にその影に隠れた。
魔術で結界を張り、彼女の体を樹の根元にもたれさせる。
そしてもう一度、辺りの状況をじっくりと確認した。
ここはどうやら林の中のようだ。そして25メートルプールほどの大きさの池があった。
俺たちは水鏡に転移してきたようだ。
戦闘の気配はなく、まだ明るい時間帯だった。
(遠隔知覚)
知覚拡張魔術を使って周囲の気配を探る。
野生の大型動物が何頭かいる気配はあるが、魔物の気配はないようだ。とりあえず安全だと判断して、ホッと一息ついた。
安全が確認できたところで本題に入ることにした。
(状態透視)
とりあえず状態の確認からだ。
彼女に対してステータス確認の魔術をかけてみる。すると予想以上に悪い状態なのが分かった。
まず生命力の値が異常に低いことが分かる。細かな数値では分からないのだが、もう一歩踏み込むとゼロになってしまうのは分かる。これでは意識がないのも頷ける。また魔力値、彼女の場合は神力だが、これはほぼ枯渇の状態なのが分かる。そしてなによりも重大なのが、『呪い』を示す黒い影が見えたことだ。
どのような呪いなのかまでは分からないが、この呪いが彼女の状態を悪化させている元凶なのは疑う余地がなかった。
とりあえず生命力を回復させなければ。俺はそう考えて治癒魔術を最大で掛けることにした。
(治癒、最大)
両手を彼女の胸の上に重ねてかざし、魔術を発動させる。
俺の手から薄緑色の光の波動が広がると、彼女の体が薄緑色の光に包まれた。最大パワーで掛けたため、光はなかなか薄まらない。
そのうち光が徐々に拍動を始め、拍動と共に薄れていく。あらかた光が消えたところで、もう一度状態の確認をする。
(状態透視)
生命力は大体半分くらい回復したようだ。
神力も多少回復を見せたようだったが、こちらはわずかにしか戻っていなかった。生命力に比べて回復がとても少ない。どうやらこれが呪いの効果の本体のようだ。
この様子だと使える神術についてもかなりの制限を受けそうだなと考えていると、彼女の深い吐息が聞こえた。
俺は彼女の顔をしっかりと見据えた。何度かの深い呼吸のあと、彼女のまぶたがうっすらと開いてくる。
彼女の胸の上に水が一滴、二滴と垂れる。彼女の顔を見据えていたはずなのに、視界はなぜかぼやけて、彼女の姿が歪む。
「ティルテ……、ティルテ……」
声が続かない。俺は絞り出すように声を出した。
「離さない、もう絶対におまえを離さない、絶対に……」
俺は樹にもたれかかる彼女の上半身を両腕で抱え、そのまま顔を彼女の胸に埋めていた。
「おかえりなさい、亮輔」
ティルテの声がする。
俺は声を殺しながら、しかし大粒の涙はとどまらなかった。
お互いを抱くように腕を回し合う。
どれほどの時間そうしていただろうか、俺はゆっくりと腕を緩め、彼女を元のように樹にもたれさせた。彼女の頬にも光るものがあった。
「ひどい顔ね」
彼女はくすりと笑みを浮かべて優しく言った。
「ティルテもそれなりにな」
「えー、私はそんなことないよ」
そんな彼女の笑顔を見て、俺は少しこらえた笑いを出した。
「なんで笑うのよー」
「いや笑ってない」
「笑ってる」
「いや、ティルテの笑顔が見れて嬉しいんだ、これは」
彼女の顔が見る間に赤くなる。俺もほてった顔のまま、改めて呟くように口を開いた。
「本当に、よかった……。……ただいまティルテ」
「ん」
赤い顔がこくりと頷く。
彼女が上体を起こそうとする。彼女の上に被さるような体勢だった俺は、少し離れて彼女の横であぐらをかく。
生気の戻りつつある彼女の横顔が間近に見える。彼女は上体を起こして座り直し、体育座りの体勢になった。順調に回復して来ているようだ。
俺はアイテムバッグの中からペットボトルを1本取り出した。中身はスポーツドリンクだ。彼女に渡して、飲んでもらう。
「ティルテ、具合はどうだ?」
「……うん、ドリンクが美味しい。なんとなくふわふわしてるけど、大丈夫。ありがとうね」
数分の間だろうか、俺たち2人はほとんど動かずにそのままの体勢でいた。
最初は少しうつろな感じも残っていた彼女の眼も、段々と光を取り戻してきている。
落ち着いた呼吸に彼女の肩がゆっくり上下する。
それを見る俺は、愛おしい気持ちが言葉にできずにいた。
そしてふと、俺と彼女の視線が交わる。
それが合図になった。
もうそろそろいいかな、と思った俺は彼女に尋ねることにした。この3日間のことを。
「よかったら、何があったのか聞かせてくれないか?」
「……なにから話したものかしらね……えーと……」
「ゆっくりでいいよ」
「うん……、ちょっと記憶が曖昧なところがあるのよね……」
彼女の話を時系列でまとめると、おおよそ次のようなことだった。
俺と別れたあと、彼女は一人で今回起こっている魔物の大侵攻の原因を探ろうとしていた。
魔物の出没した地点に飛び、痕跡を調べたり、住民に話を聞いたりしたそうだ。時折小規模な魔物の群れを見かけることはあったが、どれも散発的な群れで、大規模のものは見かけなかったらしい。
「でも、3日目の最後に当たった群れは凄かったわ」
「7月あたりに相手したような規模かい?」
「そうね、あれくらい」
「あんなのに当たったなら、相当強い魔物もいたんじゃ……」
と俺が言いかけたとき、彼女は細かく震え始める。
「どうしたティルテ!?」
彼女は応えず、視点も定まっていない。
(これはまずい)
俺はそう直感して、彼女を抱き寄せる。
少し荒くなった息づかいが耳元で聞こえる。どうやらここから先はトラウマのようだ。
「わかった、話はここまででいい。ティルテ、大丈夫だ、俺がいる」
震える彼女を向かい合わせで抱きしめながら、優しく頭をなでる。
(間違いなく強い魔物はいた。しかもそいつがティルテをこんな目に遭わせた奴だ)
俺は彼女が落ち着きを取り戻すまで、彼女の頭を優しくなで続けていた。




