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第13話 日常が非日常

 帰省して3日目が来た。

 今日はのんびりと過ごせた実家から一転、討伐と家事の待つ日常へと戻る日だ。



 俺とティルテの関係については、とにかく二人で話を早くまとめなさいと、そしてまとまったらとっとと挨拶に来るようにと重ね重ね言い含められてしまった。

 なんだかんだで父さんが母さん以上に前のめりになってしまったのは気のせいだろうか。


 両親とは色々と話をできたが、その一方でティルテの正体と俺の退職についてはまだ何も話せなかった。

 さすがにこの二つの事実は、話題としてはまだ重すぎる。それならいつ話せるんだとも思うが、少なくとも今ではないような気がしていた。



§



8月15日(木)PM3:46

現在の気温 35℃ 晴



「それじゃ母さん、ご飯美味しかったよ」


「ちゃんとバランス良く食べなきゃダメよ。体には気をつけないと」


「分かってるって」


 実家の玄関先で、母さんと別れの挨拶を交わす。


「次に来る時はティルテさんも一緒かな?」


「それは確約しかねます」


「男の子なんだから決める時は決めないとダメよ」


「はいはい。善処しますよ」


「なーんだか頼りないわねえ」


 クルマの後部座席に乗り込むと、窓を開け、手を振る。


「それじゃ、行ってきます」


 父さんの運転でクルマは動き始めた。

 暑い最中(さなか)だというのに母さんはずっと見送ってくれていた。


 最初の角を曲がって実家が見えなくなった。俺は窓を閉める。



「なあ亮輔」


「なに、父さん」


「前から考えていたんだが、おまえに話しておきたい事があってな」


「なんだよもったいぶって」



「いや、常識で考えちゃ荒唐無稽な話だし、それにおまえが生まれる前の話だ」


 いつになく落ち着いた口調でそう語り始めた父さん。


「母さんも関わる話だ。そして、これは母さんとも話し合って、今話そうと決めていた」



 二人の間にしばしの沈黙が流れた。そして父さんが話し始める。



「実はな亮輔、父さんは昔、いわゆる勇者ってヤツをやっていたんだ」


 俺は驚いて目を見開いたまま、ルームミラー越しに父さんの顔を見つめた。



「驚くだろ? というか、何アホな事言ってるんだって思うよな」


 ルームミラーから注がれる父さんの目線が、俺の頷きを見て取る。


「そして母さんはな、そんな俺のサポート役だった」


 父さんは前を向いて運転を続けながら、言葉を重ねる。


「今亮輔も生きるこの世界とは別の世界で、父さんと母さんは世界を守るために戦っていたんだよ」


「――俺は生まれも育ちもこの世界で生粋の日本人だが、母さんは違う。母さんは向こうの世界の人間なんだ」


「――向こうの世界を守り切って戦いが終わった後、母さんは向こうの何もかも振り切って、父さんに付いてきてくれたんだ」



 予想を超える話に、俺の頭はぎりぎり付いていくのがやっとだ。



「……それじゃ、俺はこっちの世界と向こうの世界のハーフって事なのか?父さん」


「そういう事になるな」



 エンジン音とロードノイズだけが響く車内は、妙な重圧に包まれている。



「……なんで、なんで今そんな話をする気になったのさ」


 努めて冷静を保ちつつ、尋ねた。


「……この話は、本当なら父さんと母さんの両方とも、墓場まで持っていくつもりだったんだけどな」


「墓場って……話すつもりはなかったって事だよな?」


「だが、ちょっと状況が変わってしまった」


「状況?」


「ティルテさんの事だ。彼女、なんて言うか、普通と違うよな? なあ亮輔?」


 俺は言葉に詰まってしまって、ルームミラー越しに父さんを見つめる事しかできなかった。



「あくまでも父さんの直感なんだけどな、ただ、その直感に母さんも同意してくれた」


 二の句を継げない俺には目もくれず、父さんは話す。


「まあ、直感に関してはさておきだ、おまえに話すきっかけになったのは、紛れもなく彼女の存在だよ」


「――もう大人だから、亮輔が今どういう状況にいて、どう動いてるかまでは問いただしたりはしないさ。言えない事もあるだろうしな」


「……だが、父さんと母さんはおまえが困っているならいつだって助けてやれる。その事だけは、忘れないでくれ」



 それから程なくして、クルマは駅に着いた。



「それじゃ、元気でな。あ、ティルテさんにもよろしくな」


 父さんはクルマの窓を開けて、ニカッと屈託のない笑顔を見せる。


「父さんも、母さんも体に気をつけて。彼女に関しては、どうなるかわかんないけどな」


「なに弱気になってるんだ亮輔。おまえがしゃっきりしないと彼女が悲しむぞ」


 父さんはそう言うと、クルマを発進させて走り去ってしまった。



8月15日(木)PM4:46

現在の気温 34℃ 晴



 予定通りの特急電車に乗って、俺は来た時と同じようにクーラーの冷気を頭からガンガンにかぶっていた。


 そっとバッグを開けて、中を見る。

 結局、帰省している間にティルテから預かったコンパクトが光る事はなかった。


 それはつまり何事もなかった、という事でもあり、俺はちょっとした安心感に包まれて、家路を急ぐ電車に揺られている。

 まだまだ厳しい残照を横殴りに浴びせてくる夏の午後。その日差しを電車のカーテン越しに感じながら、これから彼女との仲をどう進めていこうかと考えていた。



§



8月15日(木)PM6:02

現在の気温 31℃ 晴



 街の輻射熱を背に受けながら、夕暮れの自宅にたどり着く。


「ただいまー……」


 俺はいつもの癖で声を出しながら玄関のドアを開けた。

 そして足元に転がる異変にすぐ気がつく。

 猛烈な熱気の籠もる玄関で、ティルテが力なくうつ伏せになっていた。


「……!」


 驚いてバッグを取り落とすと同時に、彼女の首筋に手指を当て脈を確認する。

 幸い脈はあり、少し弱々しくも見えたものの呼吸もしていた。だが、暑い部屋にいたためか、彼女の体は熱を持っているようだった。


 とりあえず彼女はそのままに、俺はキッチンへと走り換気扇を回すと、リビングの窓を開け部屋の熱気を逃がしにかかった。

 そしてリビングと寝室のエアコンのスイッチを入れて、冷房を全開で回す。次に冷凍庫から保冷剤を取り出し、タオルでくるんで玄関で倒れたままの彼女の元に急ぐ。

 彼女をその場で仰向けにした後、保冷剤を脇の下、そして額に当てた。


 一体どれほどの時間、この体温よりも高い熱を帯びた空間で倒れていたのか。


 女神だから人間よりは耐えられるのかも知れないけれど、それにしたって限度はあるだろう。それに、ここで倒れているということは、彼女はおそらくあちらの世界から逃げてきたところで力尽きたのに違いなかった。



 俺は彼女のすぐ横で、壁に背を預けたまま床に座っている。

 部屋の気温はまだまだ高く、じっとしていても額に汗がにじむ。太陽はとっくに沈み、窓の外は群青色に染まり切った時間になっていたのに。



8月15日(木)PM7:14

現在の気温 30℃ 晴



 少しずつ部屋の気温が下がってきているようだ。

 俺はリビングの窓を閉め、ベッドの温度を確かめる。寝室の熱気はかなり薄れたが、マットレスはまだ少し熱を持っていた。

 それでもいつまでも玄関先に彼女を寝かせておくわけにもいかないので、注意深く彼女をお姫様抱っこでベッドへと運ぶ。


 改めて彼女の体の状態をチェックする。


 まず、脈拍はある、そして呼吸も普通に戻っている。体温も、最初に比べれば落ち着いてきたようで、手首や足首を掴んでみても特別熱く感じる事はもうなくなってきた。そしてどこにもケガはなかった。


 しかし心配なのは体の内部のことだ。こればっかりは見て分かるような事でもない。

 意識が戻るのかそうでないのかすら判断が付かなかった。

 熱中症のことが脳裏をかすめるが、意識が戻らない事には水を飲ませる事も難しい。



 どうしたものかと考えあぐねていたが、ふと、ある可能性を思いついた。

 治癒魔術を使えば、意識くらいは戻るかも知れないと。だが、魔術は現代世界では使えない。

 彼女を治すためには、俺は自分の意志で鏡のゲートをくぐる必要があった。


 いつも鏡のゲートをくぐるときはティルテに導いてもらっていた。自分単独でゲートをくぐった事は、実は一度もなかったのだ。


 俺は鏡の前に立ち、鏡に手を伸ばす。ゲートを自力でくぐれるのなら、手は鏡を越えて先に伸びるはずだった。

 しかし、指先は鏡の面で跳ね返される。


 焦りと落胆が俺の心を埋めようとしたその時、俺は前に彼女が言っていた事を思いだした。

 『世界の行き来も神具の働き』


(そうだ、あのコンパクトを使えば)


 俺は足元に転がったままだったバッグからコンパクトを取り出すと、それを右手に持ったまま再び鏡の面に左手を差し出す。


 指先は易々と鏡の面を突き抜けた。


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