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八月の出来事B面  作者: 池田 和美
2/9

八月の出来事B面・②



 青い空。

 白い砂浜。

 そしてコバルトブルーの海。

 水平線には絵にかいたような積乱雲。

 ザザ~ンと打ち寄せる波を、砂浜に敷いたビーチマットに座ったアキラは、少し憂鬱な表情で眺めていた。

「どうしたの? アキラちゃん?」

 やけに元気な調子で、ビーチボールを抱えた香苗が、パラソルの日影にやってきた。

「南の島だよ? 楽園だよ?」

「そうだぞアキラ」

 こちらはその横に立つ明実である。

「こんな南の楽園を貸切なんて、そう滅多にあることじゃないぞ」

「ん、まあな」

「はやくこいよぉ」

 波打ち際で波と戯れていたヒカルが、三人に向かって手を振った。

 バシャバシャと海水を掬い上げ、無駄に水しぶきを上げている。

 その溢れんばかりの笑顔がこちらに向くと、砂浜の上を撥ねるように戻って来た。

「どうしたんだよ」

 上から覆いかぶさるようにしてアキラの顔を見おろしてくる。口元には、こんなところにまで咥えてきたキャンディの柄がある。

「いや、ちょっと現状の把握に時間がかかっているだけ」

「なんだアキラ。若者はもっと臨機応変に、自分の周りで起きていることを楽しまんといかんぞ」

 同い歳のはずの明実が、妙に年寄り臭い事を言う。

「ほらほら、明実くん。パ~ス」

 保護者役の香苗の方がよっぽど女子高生のようなノリである。抱えていたビーチボールをバレーボールの要領で下からサーブする。

「ははは、おかえしだ~」

 明実がハイテンションでトスを返す。

 そのまま二人でビーチボールを宙に舞いさせながら離れて行った。

「どうしたんだよ」

 改めてヒカルに訊かれて、アキラは二人から相棒へ目を移した。

 その視界に、ド~ンと、意外と着痩せするタイプのヒカルの胸が入った。屈んでいるから特に強調されている。

「い、いや。みんなのテンションにノリ遅れただけ」

 顔を赤くしたアキラは、慌てて背後の山の方へ視線を逃がした。

 今のヒカルは黒いタンキニを身に着けていた。海水浴に来た「女の子のようなもの」として、自分の魅力にあわせた水着である。

 意外に主張する上半身を覆う黒い布地を中から押し上げる胸部。かわいいオヘソが見えている腹部の下には…、拳銃使い(ガンスリンガー)らしくホルスターが巻いてあった。

 ただし場所が海であるから、ホルスターといってもピンク色をしたビニール製で、ぶち込んであるのも水鉄砲(ウォーターガン)である。

 赤面しているアキラだって、真っ赤なビキニを身に着けていた。腰にスコート調のフレアを巻いて、上からフードつきのラッシュガードを羽織っているが、どうも自分が裸で外にいるような気がしてならない。

 いや水着なのだから、裸で外にいるような物なのだが、女子の水着というのはこんなに頼りない物だとは知らなかっただけだ。

 ちなみに唯一「どこを切っても男子」の明実は、学校指定の競泳水着の上に、ラッシュガードの代わりといってはなんだが、いつもの白衣を纏っていた。

 そして視界に母の姿が入る。

 今日の香苗はパジャマみたいな上下お揃いのラッシュガードで隠しているが、ストライプ柄のモノキニを着ていた。

 その水着。元息子のアキラが、前から見る分には、まあ許容範囲であった。が、バックスタイルは目のやり場に困る程であった。

 だがアキラの耳には、先ほど聞いた一言が残っていた。

「剛さんも来れたら、こっちだったのに」

 着替えは明実が用意した一人用テントの中で順番に行った。その時、アキラの前に着替えに入った香苗が呟いた言葉である。

 通販で届いたばかりの段ボールから出てきた、ほとんど紐みたいな水着の出番は、どうやら無さそうである。

 荷造りしている時、まさかこれを自分に着させるのではないかと、戦々恐々としたアキラであった。あれに比べれば、いま身に着けている三角ビキニのほうが(布地面積という意味でも)五割以上ましである。

「ノリが悪いのはいかんなぁ」

 楽しそうに言ったヒカルが、ちょっと表情を曇らせて、アキラの額へ手を当てた。

「な、なに?」

「いや、具合でも悪いのかもと…」

 風邪気味の弟を心配する姉のような調子である。

 ヒカルになすがままにされているアキラは、タンキニが覆っていないヒカルの腹部へ視線をやった。

 かわいいオヘソの横に、大き目に四角く色が違う箇所がある。遠目に見れば分からないが、これだけ近づけば見分けるのは容易だ。ファンデーションテープと呼ばれる物を貼っているのだ。一般ではタトゥーを隠す時などに使用される。

 反対側の背中にも、同じようにファンデーションテープが貼ってある。

 それを見たアキラは悲しい気持ちになった。

「どうした」

 先程と雰囲気が変わったのを察知したのか、ヒカルが訊ねた。

「もう痛まないか?」

「サバじゃねえんだから」と笑い飛ばそうとするヒカル。相手の真剣な顔を見て、自分も表情を引き締めた。キャンディの柄が右から左へと移動する。

「ああ。もう大丈夫だ」

 ヒカルはウインクしてその場所を親指で差してみせた。貼ってある理由をアキラは知っていた。テープの下には、醜い傷痕が残っているのだ。

 夏休みが始まると同時に起きた『天使』を自称する存在との戦い。その短くも苛烈な戦闘で、ヒカルは腹部に重傷を負ったのだ。

 今までならば明実の『施術』によって、どんな重傷でも翌日にはきれいさっぱり治っていた。だが、今回受けたヒカルの傷は、傷跡を消すまで至らなかった。

 それだけ重傷だったという事もあるが、もう一つ。明実が二人の治療に使用する『生命の水』のせいかもしれなかった。

 やはり明実が製造し使用している『生命の水』は、微妙にヒカルの身体には合わないみたいだ。それが、こうした怪我の治りにくさにも現れていた。

「なんだなんだ」

 苦笑したヒカルは、アキラの頭を鷲掴みにするとガシガシと髪の毛を掻き回した。

「どうしたアキラ。若者は若者らしく、夏を楽しもうぜ」

 外見は十代でも、生まれが昭和なヒカルが言うと、ちょっと考えさせられるセリフだ。

「んー、まあ。これが普通の海だったら、素直に楽しめたんだけどな」

「普通の海だぞ」

 これまで出番が無かった女性が、横から口を挟んできた。

 アキラが座るビーチマットの隣には「どこのリゾートホテルから持ってきたんですか?」と訊きたくなるほど豪華なセットが揃っていた。

 白いビーチチェアにガラスの丸テーブル。南国の強烈な日差しを避けるためのテントのように大きなパラソルまである。

 ビーチチェアに寝そべっている人物も只者ではない。まず圧倒されるのは髪の毛である。確実に三人分は生えているのではないかという豊富さだ。一見、彼女の横に黒いムク犬が伏せているかのような印象すらある。

 さらに、人間の髪ってこんなに乱れる事ができるのだと、感想を抱けるほど癖がついている。そのせいで、ただでさえ多い髪のボリュームが五割増しに見えた。

 そんな髪質ならば短く切ってしまえば楽になれるだろうにと、誰もが感想を抱くほどの黒髪であった。

 まあ本人が気に入っているのだから他人がとやかく言う必要は無いのだが。

 アキラやヒカルを女性として見た場合、小柄な体格という表現が当てはまる。香苗だってアキラと姉妹と間違われる程度の体つきであった。

 その、どちらかといえば破壊力の面で少々頼りない現状を打破するように、クリーム色のホルターネックの水着に包まれてビーチチェアに横たわる肢体は、大人の女性としてメリハリのついた物だった。

 こんな「女の子のようなもの」になってしまったアキラであるが、中身は純真な男の子なので、目のやり場に困る程である。

 二人の会話に入って来た女性は、気だるげな雰囲気で、脇に置いた大型のクーラーボックスから新しい缶ビールを取り出す。躊躇せずにリップルを開け、今日何本目かのソレに口をつけた。

「成分で言えば多少の違いはあっても、瀬戸内海や大西洋と同じ海水だし、住所で言えば間違いなく東京都だ」

 周囲に散らかっている空き缶の数から言って相当呑んでいるはずだが、酔いという物を感じさせない口調である。ちなみに呑んでいるのは、発泡酒や第三のビールなどの偽物ではなく、金色のラベルが有名で、駅名にすらなった銘柄であった。

 会話の端々に理屈っぽさが混じる美女。どこか明実を連想させる話し方であるが、それもそのはずである。彼女が明実の恩師であり、彼が勤めている研究所にて副所長のような仕事までこなしている才媛でもある、岸田(きしだ)美亜(みあ)博士なのだ。

「東京ったって」

 アキラが絶句する。

「まあ東京だわな」

 ヒカルは不承不承といった顔でうなずく。咥えたキャンディの柄すら上下に動いていた。

「こんな南の小島まで東京って言われて、はいそうですかって納得できる方が難しいんじゃ…」

「あ、おまえ。いま島に住んでる連中を、みんな敵に回したぞ」

 ヒカルに指摘されて、ちょっと考えたアキラは言いなおした。

「こんな南の『無人島』まで東京って言われてもなあ」

 ここは東硫黄島(ひがしいおうとう)。絶海の孤島である。

 どのくらい絶海の孤島かと言うと、住所は東京都のくせに、台湾と同じぐらいの低緯度であり、亜熱帯性海洋性気候に分類される地域だ。都心からの距離と、アメリカ合衆国準州であるグアムや、日本最南端の南鳥島、そして南国と言えば普通こちらを思いつく沖縄本島からほぼ等距離の位置である。

 そんな無人島にどうやって来たかと言うと、もちろん普通の方法ではなかったりする。

 まず東京の多摩地区にある海城家で荷造りを終えた一行を、明実から連絡を受けた岸田博士が迎えに来てくれた。

 博士自らハンドルを握っていたのは、六人も乗れる実用性重視のメガクルーザーであった。女の細腕に似合わない事この上ない。

 その車体がOD色に塗られていた辺りで、実際の空は晴れているのに、雲行きが段々とおかしくなった。

 明実の言うところの『東京の海』へ行くはずなのに、東京都と神奈川県の境目にある丘陵地帯へ向かい、川崎インターで東名高速に乗ったと思ったら、たった二つで一般道へ。

 そして、何やらピストルを吊った厳つい男がヘルメットを被って厳重に警備しているゲートを通過すると、外来用の駐車場のド真ん中にメガクルーザーを堂々と駐車した。

 そこから、あれよあれよと言う間も無く、曲芸飛行(バレルロール)もできると噂がある、低視認性(ロービジリティ)塗装が施された輸送機へ乗せられ、本土とはオサラバした。飛行一時間半ほどで着陸したのが、いま水平線上でギリギリ紫色に見える隣の島だ。

 最後は、一本だけ滑走路を持った分屯基地から、普段はこの地域の医療業務を支えているヘリコプターに乗り換えて、ここまでやってきた。

 振り返って見て見れば、総移動距離一五○〇キロを超える大移動であった。

 一行が世話になったヘリコプターは、乗客と荷物を残して飛び去ってしまった。迎えにはまた来るそうだ。

 同じヘリコプターに乗って来た迷彩服のお(にい)さん方は、夏の低緯度だというのにしっかりと長袖で肌を覆うと、背後にある山へと分け入っていった。

 周辺に陸地が少ないため、定期的に遭難者が流れ着いていないか、この島を捜索しているのだそうだ。本土で暮らすアキラは、そんなバカな事があるのかと思ったが、意外に多いらしい。

 ちなみに岸田博士の豪華なリゾートセットは、その迷彩服のお兄さん方が運んで設営してくれた。

 つまり、今年の捜索日程をどこかで知った岸田博士が、それに便乗させてもらうよう計らってくれた結果なのだ。

「ええと、ハカセ」

 私を呼ぶときは「博士」ではなく「ハカセ」と呼びたまえ、と何度も訂正されているアキラが、新たに空き缶になったビールを砂浜へ置く岸田博士に訊ねた。ちなみに「博士」と「ハカセ」の違いは、アキラには分からなかった。

「なにかね?」

「ハカセは泳がないんですか?」

「キミは、この水着が競泳用に見えるのか?」

 ちょっと上体を起こして睨まれてしまう。それだけで豊満な彼女の胸が、ホルターネックからはみ出しそう…、いや零れ落ちそうになった。

「い、いえ」

 大人の色気&教師のような口調に、アキラが委縮してしまう。

「まあ、後で少し浸かるぐらいはするが、いまは遠慮しておくよ」

 コロッと表情を変える岸田博士。まるでノビをするように両腕を頭の後ろへ回す。そんなポーズを取ると、さらに胸が強調されてアキラはとうとう顔をそむけてしまった。

「うん。私もちゃんと男性に性的魅力を感じてもらえているようだ。まだまだイケるな」

 明実の上司であるから、アキラがこんな姿をしていても実は男だという秘密も共有していた。そして普段顔をあわせている明実は、香苗以外の女性には無関心である。彼相手では、どんなに性的魅力をアピールしても、暖簾に腕押しであったろう。

「学生を、からかうもんじゃないよ」

 目くじらを立てたヒカルが、アキラの腕を取る。もちろんヒカルの正体も、岸田博士は大雑把にだが知っていた。

「ほらアキザネとかと、一緒にやろうぜ」

「ハカセは?」

「私は遠慮するよ」

 一人だけ仲間外れにするようでアキラが顔を曇らせると、心配ないとばかりに岸田博士は言った。

「この歳になると、落ち着いてしまってな。ああいうように、はしゃげなくなってしまうんだ。キミも若いうちに楽しむといい」

 羨ましそうにビーチバレーを楽しむ教え子に目をやる。

「よかったよ。ここのところアキザネも煮詰まっていただろ。あんなに明るい表情(かお)が見られるなんて。キミのお姉さんには感謝だな」

「あ…」

 ちなみに岸田博士とアキラの母親である香苗の歳は、そう離れていない。

「いいから」

 説明しようとしたアキラを強引にヒカルが引き摺って行った。

 大自然の中で戯れている母親と幼馴染。二人よりも、風景の方へ目が奪われた。

「そーれ」

 香苗がサーブしたビーチボールが、こちらへ飛んできた。狙ったというより海風に流されたに近い。それがちょうどヒカルの顔の前までやってきた。

「ヒカルちゃん」

「おーし」

 香苗の声をかけられて、ヒカルはアキラと組んでいた腕を解くと、バレーボールでトスする要領でビーチボールを弾き返した。

 ヒカルに置いて行かれて、自然とアキラの足は止まった。

 アキラは改めて今いる場所を眺めた。

 南海の孤島であるから、砂浜はそう広くない。サッカー場より狭い上に、弓なりに反っているのだ。ビーチマットを敷いたスペースからの安全距離を考えると、本当にバレーボールのコート程しか余裕は残っていない。

 南向きのため日差しだけは強かった。足元の砂は粗く、ほとんど貝殻が砕けてできたような感じだ。

 その上で、ビーチボールを追い回すように戯れる美少女二人。片方が実の母親だったり、片方が昭和生まれだったり、正体に目をつぶれば、この世の楽園のような光景である。

 砂浜の西端は鉛筆のような尖った山、反対の東側は島の崖になっていた。辛うじて島の中央部へ登れるような斜面が、砂浜から森へと消えていた。

 島自体はほとんどがジャングルに覆われていた。この島でしか発見されていない生物の亜種などは、まだ調査途中らしい。

 もう一回、鉛筆のような山を見る。アキラの知らない大型の鳥がゆったりとその周囲を飛んでいた。

「あれは火山の名残なのだ」

 いつの間にか明実が隣にやってきていた。

「噴火したマグマを残して、他はすべて侵食された結果、ああして奇岩となったのだ」

 西の山を指差していた右手が、グルリと島の中央へ回された。

「この島自体も、その火山の名残なのだ。あちらが単成火山ならば、こちらは楯状火山の性質を含んだ成層火山なのだろうな。ちなみに噴火口は発見されていない」

「じゃあ、オレたちは火山の上に立っているってことか?」

「まあ、そうなるな」

「大丈夫なんだろうな」

 アキラが足元へ顔を向けると、明実はそれを笑い飛ばした。

「噴火の記録が無いから、昔の言い方だと死火山ってやつだ。月に数回の有感地震が観測される程度だよ」

「おまえの大丈夫は、いまいち信用できねえんだが…」

 なにせ交通事故から救ってくれたと思ったら、この身体である。

 眉を顰めるその顔へ、ビーチボールが直撃した。

「ぐは」

「おー、ごめんごめん」

 とても平板な声でヒカルが謝りつつボールを拾いに来た。

「わざとだろ」

 鼻を押さえつつ睨みつけると、ケラケラと笑って見せる。

「さ、やろうぜ。バレー」

 コートを仕切るネットは無いものの、砂浜にそれらしい四角を足で描き、何となくビーチバレーを楽しむことになった。

 チーム分けは、アキラと明実、ヒカルと香苗の組み合わせである。明実はもちろん香苗を組みたがった。だが二人に組ませると、母親の背中を凝視する幼馴染が目の前を動き回るという、アキラの精神へ非常に負荷がかかる絵面になるため、強く反対したのだ。

 逆に明実に言わせると、アキラとヒカルが組むと、不甲斐ない動きを見せるアキラにキレるヒカルという、いつもの微笑ましい光景が見られて、それはそれで楽しいらしい。もちろんアキラは南の島にまで来て、そんな目には遭いたくなかった。

 香苗が「男の子チームと、女の子チームね」と言ったが、ヒカルと香苗の正体を知っているアキラが別の感想を抱いたのは秘密だ。

 まあ南の島でのリゾートである。本気で戦うわけでは無いから、男女差はあまり関係ないであろう。

 本格的にビーチバレーのように点を取り合うわけでもなく、緩くボールがあっちこっちへ飛んだ。

 しばらくそうして遊んでいると、山の方から歓声が沸いた。迷彩服を着たごついお兄さん方が帰ってきたようだ。

 七人組の彼らは、思い思いに迷彩服を脱ぎ散らかすと、そのまま海へ飛び込んでいく。下にあらかじめ水着を着ていたわけでも無さそうだ。

 まあ他に人がいない南の島である。素っ裸であろうと取り締まる者などいない。いちおうこちらにいる水着の美少女たち(笑)に遠慮して、パンツは履いたままだ。

 山にいる間は、吸血などの目的で刺してくる悪虫対策で、この暑い中で肌を晒さずにいたのだから、このぐらいは大目に見てやってもいいだろう。

 しばらくして体が冷えたのか、こちらへ上がって来た。

「俺たちも混ぜてくれよ」

 太陽に焼かれた肌に、鍛え上げた筋肉が締まった体を見せつけつつ、顔の方はだらしなく緩んで、鼻の下がのびていた。まあ男だけのムサイ集団の前に、これだけ(見た目は)美少女が集まっていれば仕方の無いことかもしれない。

「お前ら、不謹慎な事はするなよ」

 お兄さん方の中で一番年上に見える、頭を角刈りした人だけ抜けて、岸田博士の方に行った。

「石脇さん、そんなぁ。いくら女日照りの俺たちだって、子供に襲い掛かったりしませんよぉ」

 六人の中で一番表情が豊かに動くお兄さんがボヤくように言った。

「じゃあお前は、目の前のコたちがオトナだったら、問答無用に襲い掛かるのか?」

 横に居た眼鏡をかけた一人がツッコミを入れた。

「そ、そんなことあるかいっ」

 一瞬言い惑ったところで、その滑稽さに、みんなが笑ってしまった。

 とは言っても、何度も言うが香苗とヒカルはそれなりの歳のはずなのだが、見た目は女子高生なのである。

 石脇と呼ばれた隊長さんは、岸田博士の横にもう一脚用意されていたビーチチェアに座ると、缶ビールを開けて彼女と乾杯なんかしている。

「そういえば…」

「独身だぞ」

 二人を見ていたアキラの口から疑問が出る前に、ヒカルが答えた。岸田博士に結婚歴はない。

「そうか…、って、なんで知ってるの?」

「前に男の話題で盛り上がって…」

 そこまで口にしたヒカルは、アキラを小突いた。

「忘れろ」

「いて。そんなところで切られたら、かえって気になるだろ」

「あたしが今まで誰と付き合ったなんて、おまえにゃ関係ないだろ」

 不機嫌になったヒカルが腕を組むとそっぽを向いた。

「いやあ、ほら。びじんのヒカルさんのことだから、さぞ、『おわかいころ』は、おもてになったのでしょうね」

「そこで待ってろ。いま拳銃(イノセンス)持って来るから」

 牙を剥くヒカルに、のけぞるアキラ。そんな二人を見て香苗がやってきた。

「鍛えられた若い男の子って、見てるだけでコッチもエネルギー貰えちゃいそうね」

 後ろについてきた明実がちょっと残念そうな顔をする。頭脳労働がメインの明実の身体は、いちおうそれなりの体格をしているのだが、彼らに比べればヒョロヒョロである。

 グッと作った自分の力瘤なんかを確認している明実を無視して話を進める。

「せっかくの海なんだから、二人ともケンカしないで、みんなと仲良くしましょ」

「こいつが失礼な事を言わなきゃ、あたしだってご機嫌のままだったぜ」

 保護者ならちゃんと教育しておけと言わんばかりのヒカル。

「ダメじゃないアキラちゃん。誉め言葉は女の子の栄養だって教えて上げたでしょ」

「ちゃんと褒めたぜ」

 不機嫌そうに口を尖らせるアキラ。

「アキラちゃん。女の子を褒めるにも、タイミングとC調が大事なのよ」

「タイミングは分かるが、C調ってなんだよ」

「えっと、なんでしょ?」

 自分で言ったくせに香苗が首を捻って、頭脳労働は任せたとばかりに明実を見上げる。だが明実も首を捻っていた。

「それを言うなら『タイミングとC調と無責任』だろ」

 相手に諭すような口調でヒカルが説明する。

「ほら業界の人間って単語の上下を入れ替えたりするだろ。コーヒーをヒーコーとか、銀座をザギンとか。それと同じで『調子がいい』の調子を入れ替えてC調だよ」

「ああ」

 ポンと手を打つアキラ。

「さすが昭和の女。よく知ってる」

「後じゃなくて、いま殴る!」

「うは」

 腕を振り上げたヒカルから頭部を守るようにビーチボールを盾にするアキラ。

「四人だけで話してないで、俺たちも入れてくれよ」

 先程から同僚たちにからかわれているお兄さんが、全然めげていない声で割り込んできた。

「俺が財前ね。右から小倉、吉川、高瀬、篠原、小林」

「私は香苗。この子たちは、アキザネくんに、アキラちゃん。そしてヒカルちゃん。よろしくね」

 保護者らしく香苗が応対する。

「おお、カナエちゃんかあ」

 お兄さん方がどよめく。どうやら六人から見て香苗が一番人気のようだ。

 アキラたちが四人に、お兄さん方が六人。合計十人だから五人ずつでチーム分けもできたが、まあ競技をしにやってきたわけではないので、みんなで輪になってビーチボールを追うことにする。

 それで特に盛り上がるわけでも無いが、ボールが数十周したところで、ビーチチェアの方から声をかけられた。

「おい、お前ら。水分の補給を忘れるなよ」

 こんな炎天下で遊んでいたのだから体内の水分は汗で失われ、脱水症状を起こす可能性がある。

「はいっ」

 威勢よく背中を伸ばして財前が答え、その滑稽さに再び場が和む。ぞろぞろとビーチチェアの所まで行って、飲み物が冷やしてある特大のクーラーボックスへ手を突っ込んだ。

 お兄さん方は岸田博士と石脇が呑んでいるビールでなく、スポーツドリンクを手にする。アキザネと香苗が果汁一〇〇パーセントを選んだ。ヒカルは炭酸飲料である。

「やめておけ」

 アキラがチラリと金のラベルを見ていると、明実の声が身長差から上より降ってきた。

「アルコールは脱水状態を助長する。特に飲みなれていない未成年が摂取すると、危険な状態になりやすい。ほら、スポーツドリンク」

「そうだぞ」

 パラソルの影とはいえ、ずっと金ラベルを傾けていた岸田博士が言った。

「未成年はアルコール禁止。君らに呑ませる分があるなら、その分も私が呑むからだ」

「相変わらずハカセは強いなあ」

 こちらも酔いを感じさせない隊長さんの石脇。まあ、彼みたいな体格であると、相対的に許容アルコール摂取量も多くなるだろうから、それは不思議ではない。

「ビーチも開いた事だし、私もちょっと入ってくるか」

 砂浜が無人な事を確認した岸田博士は立ち上がり、体に巻いていたラッシュガード代わりの薄布を落とした。

「おお~」

 八人分の声で場がどよめく。

「ふふ」

 見とれているお兄さん方へ微笑みを残し、クリーム色のホルターネックビキニ姿となった岸田博士は、砂浜を歩いて行き、静かに海へ歩み入って行く。水着の上から豊満な胸を両腕で掬い上げ、髪の毛は右肩から前へと持って来る。

「まるで女神だよ」

 眼鏡をかけた…、たしか小倉と紹介されたお兄さんが、眼鏡の位置を修正しながら呟いた。たしかに今の岸田博士は、有名な絵画である「ビーナスの誕生」に見えなくもない。

「ん~、気持ちいいな」

 満面の笑みでこちらを振り返る。それにこたえるように、お兄さん方が指笛を吹いたりしてパラソルの下から冷やかした。

「どちらかというと、怪しいイメージビデオというところか?」

 彼女には魅力を感じないらしい明実が、アキラに同意を求める。

「確かに」

「へえ、アキラもそういったモン見てるのか?」

 つい答えてしまったところを、ヒカルに聞かれてしまった。

「いや…、その。バ、バーロー、んなことねーよ」

 言葉で否定しても、これだけ動揺していれば認めたのも同然である。とは言っても、アキラが見たのは、まだ彰だった中学生の頃である。それに今のアキラにそこまでの性欲は無かった。これも男の子から女の子へ体を作り替えられてしまった副作用のようなものである。女の体を見ても、照れはするが興奮まではしないし、もちろん男の体を見ても同じだ。性欲自体が希釈された感じがした。

 ふと気になって、岸田博士が立って空席になったビーチチェアへ横座りした香苗の表情を盗み見る。香苗は涼しい顔をして缶ジュースを傾けていた。

「あんな美人が独身ねえ。彼氏もいないって言ってたっけ」

 ヒカルが感心したように腕を組んだ。言葉の端々に「もったいない」という響きが混じっている。

「あれだけの美人なのに?」

 アキラは信じられないと、明実を振り返った。この中では彼が一番彼女に詳しいはずだ。

「男に声をかけられたりはするだろ?」

「最低でもインピーダンス計算を、そらで三秒以内にこなせない人間は対象外なのだそうだ」

「はあ?」

 明実に人差し指を立てられて説明されても、そんな計算が世の中にあることすら知らなかったアキラが目を丸くするだけだ。

「そうでないと会話が成立しないので、ストレスを感じるそうだ」

「計算式と日常会話に何の関係が?」

 アキラの質問に、肩をすくめる明実。欧州の血が入っているから、そうした仕草が良く似合った。

「ピロピロピロ」

 と、肩を持ち上げたせいなのか、明実の白衣から電子音が流れ始めた。

「な、なんだ?」

 なにかまた爆発するのかと身構えるアキラの前で、明実は白衣の懐から自分で作った「象が踏んでも壊れないスマートフォン」を取り出し、アラームを切った。

「迎えが来る予定時間の三〇分前にセットしておいた」

 画面をこちらに向けて現在時刻を示しながら明実が告げる。

「なんだよ。また爆弾かと思って冷や冷やしたぜ」

 アキラが胸を撫で下ろしていると、明実が何でもない事のように言った。

「おまえは、オイラが作った物が全て爆発すると考えているのか?」

「ま、まあ…」

「失敬な」憤慨する明実「まあ、アラームを確認にしないと、強制的に時刻を意識できるよう、爆薬はセットしてあるがな」

 結局、爆発はするらしい。

「迎えって、もう帰るのか?」

 アキラが周囲を確認して明実に訊いた。

 絶海の孤島であるから、帰るのには時間がかかるだろうことは分かる。ただ往路にかかった時間から計算すれば、もっと夕方まで滞在時間を延ばせる気がする。

「遅めの昼はカレー、夕食はフルコースなんてどうだ?」

 ニヤリと笑う明実。何か企んでいる顔である。

「カレーは分かるが、フルコース?」

 言われてまず浮かんだのが、海の家で出される具の少ない(ぼったくり)カレーだった。それからフルコースと言われて、三ツ星レストランへと思考が飛ぶ。とは言っても、そんな高級店にアキラは入ったことが無かったが。

 もちろん一般的な高校生であるアキラは、正式なコース料理に対する所作がどうとか、自信は全くなかった。

 カレーとフルコース。昼と夜とで差がありすぎるのではないだろうか。

「あら、素敵ね」

 香苗が単純に喜ぶ。彼女は最低でも一回、フルコースを経験しているはずである。写真に残っている結婚披露宴はフランス料理であった。

「そんなに身構えることはない、楽しんで食べればいいだけだ」

 母親がスロバキア人な明実は、もちろん幼い頃からそういった所作は叩きこまれている。

「う…」

 アキラの目が泳いで、ヒカルへと辿り着いた。

「あたしだって流石にそのぐらいのエチケットはできるぞ」

 ドリンクを口にする間は邪魔なので、手に持っていたキャンディで指差されてしまった。どうやらアキラに味方はいないようだ。

「まあ、あれよ」

 香苗が手を合わせて微笑んだ。

「いい機会だから、これで覚えればいいのよアキラちゃん」

「何を話しているのかな?」

 いつの間にか岸田博士が戻ってきていた。財前が拾ってくれた薄布を再び体へと巻き付ける。

「ハカセ。そろそろ移動のお時間です」

 明実が丁寧に頭を下げた。

「もうそんな時間? じゃあ塩を落とさないとね」

 岸田博士は砂浜から離れたところに置いたバッグの山へと歩いていった。

 さすがに夏とはいえ、水着のままで移動するわけにもいかない。着替えるために真水で体を清めたいところだ。

「こんなところにシャワーがあるのか?」

 ヒカルが口にした当然の質問に、明実が答えてくれた。

「斜面をちょっと上がったところに、泉がある。間違いなく淡水だから、順番に使うことにしよう」

「でも…」

 香苗が意味ありげに、熱い視線をまだ送って来るお兄さん方へ視線をやった。

「俺たちは、もっと後から来る便になるから、まだここで遊んで行くぞ」

 安心させるためか石脇がこちらへ笑顔を向けてから、お兄さん方へ振り向いた。

「もちろん、不届きな真似しやがったら…」

 アキラたちからは石脇の顔は見えなかったが、お兄さん方の顔が恐怖に凍り付いた。それで石脇がどんな表情を見せたのか、容易に想像がついた。



 着替えが入っているバッグを肩に、獣道程度に踏み分けられた坂道を上る。

「道を一歩も外れるでないぞ」

 珍しく明実が真剣な顔で告げた。

「なんでだよ」

 当然の質問に、冗談ではない顔のままで明実がこたえた。

「不発弾の処理が終わっておらん。オマエも片足を吹き飛ばされて地面をいざりたくは無かろう?」

「はは…」

 冗談であってほしいと岸田博士の方を見ると、彼女も真剣な顔であった。

「地雷程度なら個人で済むが、榴弾なんかだと全員が巻き添えになるな」

「りゅうだん?」

「知らないのか?」

 機嫌悪そうにヒカルが腕組みをする。

「戦争中に、最大の激戦があった地域だぞ、ここらへんは」

「だ、だって…」

 いまだに砂浜で遊んでいるお兄さん方のいる今来た道を指差す。

「石脇さんたち、この森に入ってたんじゃあ」

「プロと一緒にするな」

 一言でバッサリと切られてしまった。

「大丈夫よアキラちゃん」

 こちらは事の重大性が分かっていないような笑顔の香苗。

「道を外れなきゃいいんでしょ」

「うへえ」

 へっぴり腰になったアキラと、普段と変わらない様子の四人は、坂道を上って行った。途中で古くなった土嚢で円形に囲まれた場所が左右に幾つもある場所に通りかかる。

「ここは海兵隊の砲兵陣地だ」

 明実が説明してくれる。

「ここから摺鉢山に立てこもる独立歩兵大隊に向けて、砲弾を二十四時間撃ち続けたのだ」

 わずかに切れている梢の間から海が見え、あの鉛筆山の右側に隣の島がうっすらと見えた。

「海越しに?」

「榴弾砲なんかじゃ当たり前の距離だぞ?」

 アキラの質問に、逆に不思議そうに首を捻ってこたえる明実。

「有名な戦艦『大和』なんか東京湾から撃って、今住んでいるウチまで弾が届く」

「はえ~」

「でも当たらなきゃ意味がねえ」

 銃火器の専門家であるヒカルがつまらなそうに言った。

「射的がやりたきゃ大陸間弾道弾でシャイアン山でも撃ちな。必要なのは、目標へ確実に当てるために、近づけるかどうかだ」

 ヒカルがつまらなそうにキャンディの柄を唇だけで揺らしていた。

「当たっても効かない場合があるがの」

 明実の一言でヒカルの目つきが鋭くなった。先日戦った『天使』がいい例だ。何やら不思議な力で、銃撃を全て無効化されたのだ。

 坂道は昇り切ったところで、小さな広場となっていた。突き当りは、一目で上ることを諦める程の崖となっており、周囲は見慣れない植生の森となっていた。

 ここで道は行き止まりとなっているようだ。崖に沿う形で足首程の深さがある水たまりが出来ており、そこから崖の上に向けて一筋のキラメキが立ち上がっているように見えた。

 それは間違いだとすぐに気づくことができる。軽快な水音をさせて、崖の上から水たまりに向けて落ちている、とても細い滝のようだ。

 見た目には水道の蛇口を捻った程度の水量のようである。アキラは上にそういった物があるのではないかと見上げたが、視線は崖の上にある森の下生えに遮られた。

 水たまりに視線を移せば、コンクリートで囲いが作ってあった。昔住んでいた島民か、それとも陣地を作った海兵隊か、ともかく古い時代には水場として利用されていたようだ。

「ここにテントを立てて、塩を落としたら中で着替えるというのがいいみたいね」

 香苗が広場を見回して言った。砂浜で着替えに使用した一人用テントは一旦畳んで、明実が小脇に抱えてきた。

「それがいいでしょう」

 香苗を神格視している明実が、彼女の意見に反対するわけもない。さっそく、その水場の際にテントが立てられた。

「きゃ、冷たい」

 水に足を触れさせた香苗が、嬉しそうに一回引っ込めた。その脇からズカズカと岸田博士が水場へ入り込んでいく。中は柔らかい砂が堆積していて、砂浜よりも心地いいぐらいだ。

 どうやら落ちて来る水とは別に、下からも水が湧き出ているようだ。

 溢れた水の行先はと目で追うと、これまた朽ちかけたコンクリート製の枡へと集まり、そこからどこかへ地下に消えていくようだ。

「先に失礼する」

 いちおう断って岸田博士が崖から落ちて来る水流を肩から浴び始めた。

「ハカセは、髪をどうするの?」

 香苗が心配そうに訊いた。ただ洗うだけでも大変そうな量なのだ。

「これだけの量だ、諦めているよ。あとでシャワーを借りる事にする」

 水着を着たまま手早く体中を撫でまわした岸田博士は、それで満足したのかテントの中へ。

「次どうぞ」

 香苗がアキラたちに振り返った。微妙な視線でやり取りをしていると、そんな事に気が付きもしなかったという態度で明実が先に立った。

「とっとと帰る準備を進めないと」

 白衣を広場の方へ投げ捨ててから水場に入ると、落ちて来る水を浴びながら海パンを下ろし始めた。

「お」

 目を丸くするヒカル。そんな開けっ広げな明実を見慣れているアキラも香苗も動じる事はなかった。

「こ、こら。レディの前だぞ」

 意外にもヒカルが照れた声を出して、いま上って来た道の方へ体ごと向いてしまった。

 先程のお兄さん方と比べては何だが、明実だっていちおう背の高さもあるし、それなりに運動している。あんな筋肉ムキムキではないがバランスの取れた体つきをしていた。

「なんだアキザネ」

 ひょいと岸田博士がテントから顔だけ出した。ゴソゴソとテントの中から音がするので、着替えをしつつ覗いているようだ。

「ちゃんと君もスネ毛が生えているんだなあ」

「そりゃ第二次性徴を迎えましたから」

 明実は、恩師にジロジロと見られても気にならない様子である。

「どうです?」

 自分の肢体を木漏れ日にさらす明実。容姿が日本人離れしているので、大理石で造られた彫像に見えなくもない。

「う~ん」

 特に一か所を見つめた岸田博士は、ちょっと眉を顰めた声を出した。

「まだまだだな」

「そうですか。では、これからの成長を楽しみにしていて下さい」

 自分が脱いだ海パンを手に、テントへと近づく。ちょうど着替え終わったのだろう、岸田博士が赤いTシャツにビンテージデニムという格好で出てきた。

「はい、交代」

 まるでスポーツの選手交代のように掌をタッチさせて入れ替わった。

「さきにアキラちゃんが浴びる?」

 香苗が訊いて来た。

「うん、まあ…」

「後にしろ」

 アキラが動こうとしたところで、ヒカルが止めに入った。

「?」

「ちょっと用事が出来た。なあ、そうだろ?」

 ちょっと怖い顔になったヒカルが、腰のホルスターから銃を抜いた。といっても水鉄砲で凄まれても、ちっとも怖くないのだが。

 だが春にコンビを組んでから、色々な事件に巻き込まれたアキラには、それで充分だった。

「うん。かあさんが先に浴びてて」

 そう言い残し、少し腰を落とした二人は、上って来た坂道の右側にあたる茂みへと小走りに走って行った。

「かあさん?」

 岸田博士が不思議そうに香苗に振り返った。

「はい、なんでしょう?」

 不思議そうに振り返る一児の母。その左の薬指に光る物を見つけた岸田博士の顎が盛大に落ちた。



「おい、もうちょっとそっちに行けよ」

「バカ、茂みを揺らすな」

 なにやらヒソヒソ声が、灌木の間から漏れていた。

「覗きなんて、悪趣味だぞ」

「そう言うお前は、なんでここにいるんだ?」

 声質からして、お兄さん方で中心的だった財前と、もう一人の諫めているのは眼鏡をかけていた小倉と思われた。

「…、爽やかな島の空気を嗅ぎに」

「言ってろ」

 人数は多くない、おそらく二人だけである。

「あ、右二時の方向に気をつけろ」

「地雷だって言うんだろ、とっくに気が付いてるぜ」

「いや、地雷のこっち側、たぶん不発弾だ」

「お、たしかに。危ない危ない、クワバラクワバラ」

「こっちに回って…」

「そっちのソレも不発弾じゃねえか?」

「じゃあ通れないのか? ココ?」

「この茂みを越えれば、おそらく、その向こうに…」

「向こうになんだって?」

 灌木の影を第四匍匐にて前進していた二人が顔を上げた。行く手を塞いでいた茂みを挟んで見おろす影がある。

 アキラとヒカルである。

 アキラは呆れ顔、水鉄砲を構えたヒカルは怒り顔だ。

 怒髪天ではなく、キャンディの柄が上を向いていた。

 地面に突っ伏していた二人は顔を見合わせると、素直に立ち上がった。

「や、やあ」

 焼けた肌とは対照的な白い歯を、無駄に口元で光らせる。

「君たちは、どこのガッコ?」

 屈託のない笑顔という物を作って話しかけられたが、誤魔化す気マンマンである。

「ええと、中学生だっけ?」

 女の子(に見える)二人は、そのぐらいしか身長が無かった。遠慮のない視線で上から下まで見られて、アキラは腕で体を隠そうとしたが、無駄な努力であった。

「せっかく南の島で出会えたんじゃないか、連絡先の交換を…」

「学生に手出ししようとすんじゃないよ」

 ヒカルがバッサリと言った。

「今すぐどうこうするなんて考えちゃいないけどさ。出会いって大切だよね」

 一生懸命取り繕った笑顔を続けるが、目尻がだらしなく下がっていた。

「失せな」

 ヒカルが手にした銃を向けた。

「ははは、威勢のいいお嬢さんだ」

 一瞬だけ真面目な顔になった二人が笑い飛ばす。ヒカルの鍛えられた動きに警戒したのだろうが、なにせ構えているのは水鉄砲である。

 ヒカルは遠慮なくトリガーを絞った。

 ガンガンガンガン。

 とても破壊的な音がして、お兄さん二人の足元に複数の穴が開いた。

「ひっ」

 思いも寄らなかった水鉄砲の威力に、その場でタップダンスのような動きを見せる二人。

「おい」

 態度は考えるところはあったが、善良な(?)お兄さん方へ向けての発砲に、アキラが声を上げる。

「次は痛いところに当てるよ」

 ギロリと睨まれて、お兄さん二人は口を空振りさせた。

「まだ分からないのかい?」

 今度は少し離れた場所に銃口が向けられた。トリガーが絞られると同時に、向けられた場所が爆発を起こした。

 破片なんかがバラバラと降って来る。

 おそらく先程見つけた不発弾を狙い撃ちにしたようだ。特に狙いを定めたようには見えなかったのに一発で当てるなんて、凄い命中率だ。

 二人は顔を見合わせると、肩を竦めてからスゴスゴと退散した。

「なんだよ、そのテッポウ」

 その広い背中が見えなくなってから、アキラが当然の質問をした。

「アキザネが言うにゃ、三〇〇メガパスカルぐらいの圧力がかかっているらしいぞ」

「また、あいつの発明品かよ」

 明実の発明には幼いころから苦労させられているアキラは、少々脱力してしまった。



「カナエさんは、ドコからそれを?」

 顎を落として硬直した岸田博士を放置して、明実は香苗に訊いた。

 彼女を驚愕させた指輪は、まだ香苗の左薬指にあった。どうやら明実はそれが気になるらしい。たしかに普段の香苗は、装飾品をまったく使用せずに生活している。

「ほら、声をかけて来る男の子たちを断る時に役立つでしょ。だから海に行くって聞いて、お守り」

 なにせ普段買い物に出かけただけで、警察の生活安全課員に補導される事がある程の若作りである。

 いつもは嵌めていない指輪を見せびらかした香苗は、明実の前で外すと、チューブトップに見え隠れする胸の谷間へ押し込んだ。

「まったく、しょうがない連中だね」

「まあまあ、荷物運んでもらったりしたし」

 そこへプリプリ怒ったヒカルと、それを宥めるアキラが戻って来た。

「やはり覗きか?」

 とっくに、在籍する清隆学園高等部の夏季制服に白衣を羽織るという、いつもの格好に戻った明実が、確認するように訊いて来た。

「まあね」

「よかったではないか」明実の言葉に何を言い出すのだろうと目を丸くするアキラ「こんな警察もいない島だ。襲おうと思ったら、か弱い女性四人の味方は、頭脳労働のオイラだけだ。あんなことからこんなことまでやられてしまうぞ」

 そう言われてゾッとするアキラ。なにせ身体は「女の子のようなもの」であるが、心は男の子のままなのだ。同じ感想を香苗も抱いたようで、桃色のチューブトップの上から自分を抱きしめていたりする。ちなみに下はたっぷりと余裕のあるガウチョパンツだ。

「そんなエロビデオじゃあるまいし」

 アキラが否定する横で、ヒカルが指をポキポキ鳴らし始めた。

「そんな不埒な事を考えていやがったら、全員の肋骨を一本ずつ数えながら折ってやる」

 アキラとヒカルの二人は『施術』のおかげで常人には出せないような膂力がある。おそらく成人男性に襲い掛かられても、余裕で跳ね除ける事ができるだろう。ただ勇ましいヒカルの方は、最近その筋力にも衰えが出ているのだが。

「さて、オイラたちはとっくに着替えてしまったぞ。迎えが来る前に、移動の準備を終えて欲しいのだが」

 明実が自分と岸田博士の荷物を持って告げた。

「はやく着替えてもらいたい」

 その言い方に、ヒカルが咥えたキャンディの柄だけがピクリと反応する。

「男の目があるところで女子が着替えられるわけないだろ」

「ん? ノゾキ犯には制裁したのだろ? それにテントもあるし」

「おまえがいるだろうが」

 ヒカルが見事なフォームで、明実の尻へ回し蹴りを命中させた。

「あいてて。たしかにそうだ」

 それだけで反省した明実は、まだ硬直している岸田博士の肩を叩いた。

「ハカセ。先に下りていますよ」

「ここはいつ? わたしはドコ? いまはだあれ?」

「どうした?」

 ヒカルが訝しむ声を出した。

「熱射病?」

 これはアキラだ。

「まだ錯乱しているようね」

 香苗が困った顔を傾げていると、明実が溜息をついた。

「仕方がない。最終手段を使おう」

「?」

 一同が首を捻っていると、明実は岸田教授に近づいて、何事か呪文のような物を唱え始めた。

「一、一、二、三、五、八、一三、二一、三四、五五、八九…」

「スーハースーハー。うむ? ルート五の素晴らしい結末の香り…。なんだアキザネではないか」

 深呼吸を始めた岸田博士が周囲を確認する。瞳に理知的な光が戻ったところから、現在の状況判断を終えたのだろう。だが数列で意識を取り戻すとは、さすが変態の明実の恩師である。

「私はいったい?」

「どうやら立ったまま気絶していたようですよ」

「おおそうか。考えうる原因は?」

「さあ? 火山性ガスでも吸いすぎましたか?」

「かもしれん。記憶に曖昧な部分があるようだ」

 自分の額を抑える岸田博士。それを見て明実が、自分の背中に回した右手の親指をグッと上げて、他の三人へ勝利宣言した。

「とりあえず砂浜へ下りて休んでみてはいかがでしょうか?」

「そうしよう」

 荷物を明実に持たせたまま、岸田博士が坂道を下り始めた。

「なんだったんだ?」

 ヒカルの質問に、何でもない事のように香苗。

「指輪を見たらおかしくなっちゃって」

「指輪?」

「ええ。結婚指輪」

「ああ~」

 納得する二人に、自分の荷物を纏めた香苗は告げた。

「じゃあ先に下りてるから、アキラちゃんたちも早くね」

「了解」

 香苗に返事している隙に、ヒカルに先を越されてしまった。落ちて来る水で体を漱ぎ、明実が残して行ったテントへと消える。

「なんだよ、オレが最後かよ」

 どこからか飛行機の音が聞こえてきた。おそらく迎えのヘリコプターであろう。

 早くしないと、こんな絶海の孤島に置いてきぼりにされてしまう。実の母親である香苗はそんなことはしないと信じたいが、明実だと確実に置いて行かれる。

 重ねた年月から幼馴染の行動パターンは知っているアキラは、慌てて水を浴びた。

「おい、ちょっと」

「ん?」

 呼ばれてテントに振り返り、慌てて崖の方へ顔を戻す。

 そんなアキラの行動がいまいち分からなかったのか、ヒカルが不思議そうに訊ねた。

「なにしてんだよ」

「なにって、その…」

 テントの出入り口を開いて、ヒカルはこちらに背中を向けていた。服は家に居た時と同じ白いTシャツに黒い作業着のズボンであった。が、いまヒカルはTシャツの背中を大きく捲り上げて素肌を見せていた。

 パステルイエローで上下を統一した下着が、Tシャツとズボンから顔を覗かせていた。

 ちょっと捻ってこちらを向いているところも含めて、とても艶っぽい。

「アキラ、ちょっと手伝ってくれよ」

「なんだよ」

 なるべくヒカルの背中を見ないようにしながら、アキラはテントの方へ寄っていった。

「背中のシールが剥がれなくてよ」

 見ればピッチリ貼りついたファンデーションテープを剥がそうと、背中に回した手で爪を立てていた。だが海水浴に使用できるように粘着力の強い物を選んでしまったため、うまくいかないようだ。

「剥がしてくれよ」

「そのままでもいいだろ?」

「あちーんだよ」

 なにせ南の島である。服ならば海風が入り込んで熱を奪ってくれるが、貼ってあるシールではそうはいくまい。水着の間は見栄もあって我慢できたが、服を着るとなれば話は別だ。

「しょうがねえなあ」

 背骨に沿った窪みがとても魅力的に曲線を描いていた。なるべくそれを視界に入れなくて済むように、アキラはシールへ集中する事にした。

「あ、おまえ、ゆっくり剥がすなんてイジワルすんなよ」

 気分は腰のシップが剥がれない、おばあちゃんの介護だ。

「なんか言ったか?」

「んにゃ、なにも」

 つい思ったことを呟いていたようである。気が付いたら肩越しに睨まれていた。

 細いヒカルの背中に指をのばす。

「一気にビッとやってくれよ、ビッと」

 ヒカルの背中はしっとりとした肌触りであった。あまり触れていると怒られるだろうから、なるべく早く仕事を終わらせることにする。

 お望み通り、アキラはヒカルの背中からファンデーションテープを、手首のスナップを利かせて素早く剥がした。

「~~~~~~」

 ヒカルがTシャツを握りしめて声にならない声で悶絶する。

「痛いか?」

「痛くねえ。痛くねえぞ」

 強がるヒカルの目は潤んでいたりした。その顔が訝し気に歪められる。

 アキラが悲しそうにヒカルの背中を見ていた。

 ファンデーションテープの下から『天使』との戦いで負った傷跡が現れていた。それで先程の問いかけの意味を悟ったヒカルは、掌で肉色が見えている傷跡を覆った。

「痛くねえよ」

 背中を隠すように前を向くが、腹側にも同じように傷痕がある。そちらも掌を当て、ついでに捲っていたTシャツの裾を落として隠した。

「なんだ気にしてんのか? あたしは護衛役だぞ、傷の一つや二つ…」

「ごめん」

 アキラが謝った。

「そういう契約だろ。あたしはアキザネに『生命の水』を貰う。あたしはおまえらを守る。な、単純な話だ」

「ごめんな」

 すっかり暗い顔になったアキラを慰めるように、ヒカルは言葉を変えた。

「大人が子供を守るのは、当たり前だろ?」

「それを言ったら、男が女を守るのが当たり前じゃないか」

「おまえが男だったらな」

 ニヤリとからかう調子を声に混ぜてヒカルは笑って見せた。

「まだガキなんだから、あたしに守られてろ」

「ごめん、何もできなくて」

 とうとうアキラの目からポロポロと涙が零れ始めた。

「おいおい」

 ヒカルは頭を掻いて困った顔になった。それから、そっとアキラを前から抱きしめると、自分の肩口でアキラの顔を包んでやった。

「おまえは助けてくれたろ、必殺技でよ。あれがなきゃ、今頃あたしは墓の下だぜ」

 ヒカルの慰めに、何度もうなずくアキラ。

「でも、おまえが傷つくのを見ていたくないんだ」

「ありがとうよ」

 幼子をあやすように背中を柔らかく叩いてヒカルはアキラに礼を言った。

「泣くなよ、しょうがねえヤツだなあ。だからおまえは、男じゃなくてガキなんだよ」

 アキラの髪を掻き回しながらヒカルが苦笑してみせる。

「泣くぐれえなら強くなれよ。どんなヤベー奴が来ても、あたしが後ろで茶ぁ啜ってられるようにさ」

 ヒカルの肩に顔を埋めたまま、アキラは何度も頷くのだった。




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